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チェコスラヴァキアとナチス: 「独裁者のブーツ」、映画「ハイドリヒを撃て」など

写真はプラハ、モラヴィア地方

「独裁者のブーツ イラストは抵抗する」は、チェコのイラストレーター、ヨゼフ・チャペックが1937年に「リドヴェー・ノヴィニ(人民新聞)に掲載した連作風刺画「独裁者のブーツ」、及び1933〜38年に同誌に掲載されたり収容所で描かれた風刺画をまとめた前半部分と、チェコスロヴァキアの歴史およびヨゼフ・チェペック研究者たちによる解説からなる後半部分で構成されている。

「独裁者のブーツ」初め、1939年のナチス・ドイツによるズデーテン地方の割譲前に描かれた作品には、後に私たちが未来から知ることになるナチスや第二次世界大戦で起きたいくつかものことを予言するかのように描かれたものもあり、<現在>の事象から先を見通す洞察力の逞しさに驚愕する。本記事でイラストを掲載することはできないので、ぜひ実際の風刺画を目にしてほしい。

(道路を這いつくばって掃除させられているユダヤ人の風刺画が一枚掲載されていて既視感があった。映画「黄金のアデーレ」*1 でウィーンの街で同じ目に遭うユダヤ人の姿が描かれており、また写真でも同様の光景を写したものはよく見る。)

ここでは、本書やその他文献を元に、チャペックの生きたチェコスロヴァキアの歴史を簡潔にまとめ、最後にナチ下のチェコ及びスロヴァキアを描いた映画を3つ紹介する。

<チャペックとチェコスロヴァキアの歴史>
チェコスロヴァキアがオーストリア・ハンガリー帝国から独立したのは1918年。チェコ語またはドイツ語を話す人々、少数のスロヴァキア語を話す人々、そこにユダヤ人が加わる地域であった。たった20年しか経たない1938年、ミュンヘン協定によりドイツ語話者が多く住んでいたズデーテン地方のドイツ割譲が決まる。チャコスロヴァキアは会議に参加すらしていなかった。英仏が自国の戦争を回避できると考え、ズデーテン地方をドイツに差し出したというのが実状。その間にチェコスロヴァキアはドイツ軍に侵攻され、チェコはドイツのボヘミア・モラヴィア保護領となり、スロヴァキアは独立しチトーによるナチスの傀儡政権の統治が始まる。この経緯は英仏による「裏切り」と捉えられ、戦後チェコスロヴァキアがソ連と接近する大きな要因となった。
当然ながら、ナチスの「ユダヤ人政策」はここでも行われるが、それは別記事にする予定。
(書こうとしたら長くなってまとまりが悪いので、別に書いたらリンクを貼ります。体調不良でなかなか書けていませんが悪しからず)

隣国ドイツでナチスが台頭し独裁政権となるのを目の当たりにしながら、ヨゼフ(カレル・チャペックとの区別のためにヨゼフと記載)は「独裁者のブーツ」に代表される独裁政権の危険性の警鐘となる風刺画を描いた。ズデーテン割譲に続くナチスの占領下でも描き続けたヨゼフはナチスから危険人物と見做され、1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻(第二次世界大戦勃発)のその日に捕えられ、その後の人生全てを収容所で過ごすこととなる。カレルはこの一年前に病死している。

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ヨゼフは「政治犯」としてまずベルゲン=ベルゼンへ送られた後、いくつかの収容所を転々とする。彼らは労働力の不足があれば必要な収容所に送られていった。彼は収容所内でも絵を描き続け、本書にそのうちの2枚が掲載されている。絵のタッチががらりと変わっていてすぐにそれとわかる作品だ。ヨゼフは1945年4月4日、再び収容されていたベルゲン=ベルゼン収容所で生存が確認されたが、4月27日の死亡者リストに名前が載せられている。ここはアンネ・フランクと姉マルゴがチフスで亡くなった場所でもあり、時を同じくしてヨゼフも亡くなったということになる。本書内にはカレルについて、捕まるまでのヨゼフ、彼の収容所生活についての丁寧な解説があるので参照されたい。

ナチス占領下のチェコでの大きな事件として挙げられるのが「保護領副総督ラインハルト・ハイドリヒ暗殺事件」である。ナチス高官暗殺で唯一の成功例「エントロポイド作戦(類人猿作戦)」は駐英チェコ亡命政権と共にイギリスにいたチェコ軍兵士がパラシュートでチェコに入りハイドリヒを暗殺する計画であった。1942年、無事にプラハ入りできた二人のチェコ兵はプラハで活動中のレジスタンス(「三博士」)と協力し、ハイドリヒ暗殺に成功する。二人の兵士含め暗殺計画に協力した人たちは殺され、それと同時に「リディツェ虐殺」が行なわれた。これは暗殺事件とは関わりのないリディツェ村の村民の掃討作戦で、男性全員が銃殺され、女性と子供は収容所に送られた。ナチスは暗殺計画に加わった者がこの村の出身ではないかという疑念を持ちその証拠もなかったが見せしめとして行った。村が全滅する虐殺事件となった。

1945年5月のヨーロッパ戦線の終結により解放されたチェコ、チトーの傀儡政権が倒れたスロヴァキアは再統合され共産主義国家となった。「ミュンヘン協定」の影響があったことは前述のとおり。そして、次の時代に現れることになるのがヴァーツラフ・ハヴェルである。

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<ナチス占領下のチェコスロヴァキアを描いた作品>

この時代についての作品は近年のものが多く、これは中東欧の共産政権が倒れたり、ドイツ統一がなされたことで当時の資料の新たな発見されたこと、またレジスタンスなどのナチスに抵抗した人々への評価の変化が要因となっている。チェコに限らず、ナチスに占領された国々では抵抗運動が行われ、またドイツ国内にもその動きはあったが、こうした運動に加わった人々を好意的に受け止めるようになったのは1980年代になってからの場合が多い。それまでは当時の各国政権が市民権を剥奪したり不名誉な人物としていたままの状態になっていた。これはナチスを倒したのは「連合国」であると強調するために抵抗運動の存在を隠したい思惑があったためで、名誉回復1980年代になってやっとというケースが多い。東側より西側での遅さが顕著である。そのためレジスタンスについての映画(特に新資料に寄りより真実に迫った内容の作品)や本は比較的新しいというわけだ。

ハイドリヒ暗殺事件について
『HHhH』ロラン・ビネ(小説)
  タイトルはドイツ語の「Himmlers Him heiβt Heydrich」の略(ヒムラーの脳、呼び名はハイドリヒ(英語からの拙訳))。「エントロポイド作戦」を詳細に綴ったノンフィクション小説で、文学的にも新しい試みが見られる作品。ミステリー作品のようにおもしろく読める。

『ナチス第三の男』(映画)
  原題「Man with the Iron Heart」(ヒトラーはハイドリヒを鉄の心を持つ男と称したという)。小説『HHhH』の映画化。とはいえ小説とはだいぶ異なった仕上がり。ハイドリヒのナチ入党直前から暗殺までを描く前半と、二人のチェコ兵を中心に「エントロポイド作戦」の顛末とその後を描く後半とに分かれている。パラシュート来る2人がかなり素朴で下記作品と印象が違う。

「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(映画)
  原題は「Anthropoid(エントロポイド)」。こちらはハイドリヒについては暗殺対象としてしか描かれず、文字通り暗殺作戦を詳細に描いている。人物設定など上記作品との違いも見受けられる。情緒的描写がも多め。リディツェ事件が噂程度の扱いで最初は残念に思ったが、レジスタンスの視点中心なのでしかたない。映画としては良作。

チェコのこの時代の映画がこれしか見つけられずにいる。チェコ映画で言えば「コーリャ、愛のプラハ」が好きだけれど共産党政権崩壊と国の分裂の前夜のお話。

スロヴァキアについて
「破られた約束」(映画)
   チェコスロヴァキアのユダヤ人一家の青年が主人公。平時のユダヤ家庭の日常生活や習慣が見られる序盤がとても良い。タイトルにある約束はここで出てくる。ナチスの危険への感度と決断の早さで生死が分かれてしまったことも描かれている。ナチス侵攻、突然のチトー政権樹立、ユダヤ人政策の開始、労働収容所、レジスタンスと内容は盛りだくさん。

2021年日本公開の映画「アウシュヴィッツ・レポート」は、スロヴァキアのユダヤ人がアウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所の実態を書き記したメモを外部に持ち出した実話を元にした作品。
コロナ禍で劇場に行かれず未見。

*1「黄金のアデーレ 名画の帰還」(映画)
オーストリアでのユダヤ人政策の被害者の実話ベース。アメリカに移住したユダヤ人女性の家族が保有していたクリムトの「黄金のアデーレ」はナチスに奪われ、いまはオーストリア政府が保有。この絵の返還を求め裁判を起こす。

参考文献
「独裁者のブーツ:イラストは抵抗する」
  ヨゼフ・チャペック
「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」
  ラウル・ヒルバーグ
「100分で名著『力なき者たちの力』バーツラフ・ハヴェル」
  阿部賢一

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