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ハンバーガーは人生の縮図である

※ペコリッチの食べることが大好きな
スタッフが書いた勝手なコラムです

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ハンバーガーを食べているとき、大人になったなあと思う。


大人になるまで、ハンバーガーを家族以外の人の前で食べることができなかった。

口を大きく開けないといけないのがどうしても恥ずかしい。大きい口を開けてものを食べる姿というのは、人間の本能が剥き出しになっている感じがする。食べることは生きることである。生きるということに対して、自分みたいなものが、“生”へしがみついているところを、人に見られるのが怖くて仕方なかった。

しかも、ハンバーガーというやつは、なんだかふてぶてしい。

なんでパンが2枚も重なっているんだ。パンって意外とカロリーがあるし、その間に肉が挟まっているくせに、申し訳なさそうにちょっとだけ野菜が入ってたりして、なんだか煮え切らない。丸いかたちは、お前も丸くしてやると言わんばかりの威勢であるくせに。セーラー服を着た中年女性を目撃した気分だ。無理がある。マクドナルドの一枚だけ乗せられたピクルスの意味とは。

今なら言える。ハンバーガーはそれでいいのだ。


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三鷹/ButaBaco
スモークチーズバーガー/¥1180


先述したように、食べることは生きることだ。
ハンバーガーはそういうことを言っている。

このハンバーガーは特にすごい。
馬鹿みたいに限界を挑戦するように乗っけられたチーズ、塊肉を粗くチョップして作られたハンバーグ、肉のゴツい歯触りに対して軽やかなバンズ、その見た目をパッと明るくするように挟まれたトマト・レタス・オニオン。

具材のひとつひとつを切り離してはいけない。
一緒にいるからこそ良いのだ。

ハンバーガーは人生の縮図である。
バンズ(下層部)は、人間の根底を表す。常に人間には土台がある。その人の人生にに彩りを添えるのが野菜という爽やかなアクセサリ、真ん中に己のこれが無くては始まらないぜと生きがいを表すエネルギー(ハンバーグ)が挟まり、遊び心のようにたくさんの可能性を示しているチーズなどのトッピングが乗っけられ、そこに蓋をするのもまた己自身・バンズ(上層部)である。

これを大口を開けて食べることが、生きているという証である。
生きるということは決して恥ずかしいことじゃない。
生きることに、ハンバーガーに、かじりつけ!

マクドナルドのピクルスだって、今見てみれば、いじらしく、なんとも可愛らしいじゃないか。丸いかたちであるところも、「どこからでもかじって頂戴な」とどことなくエロテックで良い。大口あけて、かじってやらあ!

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ハンバーガーを食べれるようになったきっかけは、やはり人との外食。「ハンバーガーを人前で食べられない」と言うことが大人になってからは余計に恥ずかしく、嫌な気持ちを押し殺して無理やり食べた。意外と食べれた。美味しすぎてびっくりした。ハンバーガーでいうとチーズな出来事である。もしくはアボカドやパイナップルかもしれない。

「ハンバーガーを食べる」という生きる上で絶対的に必要ではないというトッピングが人生に追加されたとき、私のゆくみちがパッと明るくなったような気がしたのだ。

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今日掲載したお店
【三鷹/ButaBaco】
テイクアウトOK/ウーバーイーツ加盟店
自家製ソーセージもイチオシだそうです
(既に食べましたがとても美味しかった)