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過干渉毒親育ちって、同年代からの人望なくない?

 同僚が、5年上の先輩の結婚式に招待されたという。私には、声がかかっていない。私も飲み会で何度かご一緒したことがあったし、よくしていただいていた先輩だが、先輩が同僚を可愛がっているのはなんとなく感じていた。

 というか、その先輩に限らず、比較的年の近い先輩方から飲み会などの声のかかり方に違いを感じていたのだ。私の同僚がとても魅力的な人物であるということは前提として、それを差し置いても、私と比べて彼女の方が圧倒的に、うーん、率直に言って人気があった。私としても、時折そうした飲み会にせっかく呼んでもらっても、いまいちノリについて行ききれないというか、同僚や後輩の子たちが大いに先輩を楽しませるようなリアクションをいかにも自然な様子でとっている中、一人どうしていいか分からない居心地の悪さ、緊張感を感じていた。
 一方、私は幹部クラス以上の先輩方にはとても目をかけていただいている自覚がある。取引先の重鎮との飲み会にもよく駆り出された。こちらは、彼女より私の方が人気があると言って差し支えないだろう。そして、こうした飲み会なら、私も水を得た魚のようにイキイキと振る舞える。私にどういうリアクションや態度が求められているか、こちらは手に取るようにわかるからだ。

 同僚と私を取り巻く人間模様の違いについて、今回の結婚式招待の有無を受けて考えた。そしてふと思いついたのだが、私を気に入ってくださる方というのは、幹部クラス、重鎮、つまり、私の親と同世代の人たちなのだ。
 そのことに気付いてしまえば、あとは芋づる式に自分の中で納得がいった。

 小学生の頃から、毎年学級委員を率先して担当していた。テストの成績はいつもトップで、授業中に騒ぐ男子、掃除をサボる男子をせっせと注意して回る、そういう子供だった。
(…我ながら、こうして文章に起こすとドン引きである。そんな大人にとって都合のいい子供、自然にいてたまるか!)
 当然、先生たちからはいたく可愛がられた。良くないことだが、担任の先生から個人的にお土産をいただいたりしたことは一度ではない。
 そうして先生方から可愛がられると、エコ贔屓と言ってクラスの友達からは煙たがられる。その上、私は家で流行のテレビ番組などを一切観せてもらえなかったので、クラスメイトの話題についていくのも一苦労だった。そうした人間関係の悩みを、毎日提出する連絡ノートの日記欄で先生に相談する。先生はますます愛情を持って私の心に寄り添ってくれるようになる。クラスメイトからはますます煙たがられる…。
 私は、友達より、親や先生、つまりオトナに好かれることを優先する(というより、私の心情としてはせざるを得ない?当時はそんな自覚も当然なかったし…)子供だったのだ。

 友達より、オトナに好かれることを優先した子供が、そのマインドのまま大人になると、多分今の私のようになるのだ。親世代の仕事(接待の飲み会)には重宝されるけど、同年代の遊び(交友の飲み会)には呼ばれない。たまに呼ばれて行っても、いまいちしっくり来ない、噛み合わない。

 はーそういえば、一生の伴侶と思って手をとった夫だって、一回り以上年上、親の方が歳が近いと来たもんだ!!(夫のことはダイダイダイダイダイ好きだから、全く後悔してませんけどね)

 あぁ、自分で書きながら本当に切ないし、情けない。私は、評価者に媚びることはできても、共に伴走する仲間の作り方はほとんど知らないのだ。。もうアラサーだというのに。。。。こんな心細いことがあっていいのだろうか。
 私の価値観は、きっと評価者の価値観になってしまっていて、無意識のうちに仲間たちを上下で見ている、ような気がする。上下で見ているうちは敵にしかなり得ないと、もちろん頭では分かっている。分かっているけど…アドラー曰く、「尊敬」があれば横の関係を築けるというけど、まだまだ私にはそのテクニックがいまいち掴めない。
 誰か、克服した人がいるならその方法を教えてほしい。。。。

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