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僕たちの人生がもしも

未来に生を繋ぐだけのものだとしたら

日々の暮らしの中で起こる様々な出来事には、一体なんの意味があるのだろう

毎日、目の前の出来事に一喜一憂しながら、明日はもっと良い日にしよう等と思ったり

大切な人を亡くして、深い悲しみに沈んでしまったり

自分が行動したことや、それによって得られた結果や、後悔や逡巡、見聞きすること等、全てに僕らは「意味付け」をすることで「自分の人生を生きている」という感触を感じている

でも、例えば神社にお詣りする時、手を合わせている時に頭の中で絶対に希望を思い描いているのは、その希望に近づくことこそが人生の意味だと信じているから

一方で、不慮の事故で突然人生を奪われる人々がいる

それが果たしてその人の運命なのだとしたら、人生の目的や意味なんて、なんの意味も無いのではないのか、と

ましてや、残された人達の途方も無い喪失感と悲しみに、一体どんな意味付けをすれば良いのだろうか

「あの人はそういう運命だったんだよ」なんて誰が言う事ができるだろうか

そういう出来事に触れるにつけ、本当は人が生きていることや、死んでしまうことにすら、なんの意味付けもできないものなのではないかと思ってしまう

だからと言って、明日から「全てに意味が無い」と言って思考停止したとしても、それだけのこと




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