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『撃ち落とされたエイズの巨星』が生まれたいきさつ(後編)【無料公開】

撃ち落とされたエイズの巨星』(2019年11月25日発行)の発行を記念して、本書の“この本が生まれたいきさつ”を公開します。著者のシーマ・ヤスミン氏がユップ・ランゲ博士の生涯を綴るにいたったいきさつとその想いが語られています。

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(前編を読んでいない方は、まずはこちらの記事からご覧ください。)

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 マレーシア航空MH17便のユップのとなりの席には、ジャクリン・ファン・トンヘレンが座っていた。ユップの人生、恋愛、エイズとの闘い、そのすべてにおいて、彼のパートナーだった女性だ。

 ジャクリンはエイズ専門の看護師だったが、まだティーンエージャーだったころの私は、彼女のことを知って驚いた。看護師である以外に、彼女は画廊を所有し、バレエを踊り、歴史的建物の修復もしていたのだ――しかも、すべて彼女が30歳になる前のことだ。いったいどうやって、一人の女性が、それほど多岐にわたる才能を持ち合わせることができるのだろうと思った。

 ジャクリンの友人には、彼女があの飛行機に乗っていて、ある意味よかったのかもしれない、という人もいた。彼女はきっと、愛するユップのいない人生など耐えられなかっただろうから。二人はともに生きてきたように、ともに亡くなったのだろうと、友人たちは想像していた。お互いのそばで、しっかり抱き合って。


 さて、私はジャーナリストである以上、本書の冒頭で、自分とユップとの関係を読者に伝えておくべきだと思う。私がユップと会う機会は少なく、会っている時間も短かった。知り合ってからの何年かのあいだに、世界各地で開催されるエイズ会議でユップとジャクリンに会う機会が数回あっただけだ。私など、その程度の知り合いにすぎない。

 しかしユップは、自分のスケジュールが多忙を極める――しょっちゅう飛行機で大陸を越えて飛びまわり、そしてしょっちゅう乗り遅れていた――にもかかわらず、私のためにたびたび推薦状を書いてくれた。私にとっては、かなり高望みの挑戦でしかないときでさえ、快く応じてくれたのだ。人生でできる限り多くのことを成し遂げたいという意欲に対して、彼が疑問を差しはさむことは決してなかった。

 あるときユップは、むっつりした教授たちを前に講演をする際、冒頭でルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』から、白の女王の台詞を引用した。
「あら、わたくしは朝食前にありえないことを6つも信じたことだってありますわよ」


 ジャーナリストはとかくバランスを大事にしたがる。でも、はたしてバランスなどというものが存在するかどうか、私は疑問に思う。私はユップと面識があったため、すでに自分なりの印象は持っているが、なるべく彼という複雑な人物の複雑さそのものを描くよう努力した。

 ユップは優しく、思いやりがあり、患者たちを心から大切にし、不条理に対して真摯に立ち向かった。仕事の同僚としては、やりにくい人でもあった。HIVに対する激しい怒りにあふれ、その感情がときに他者との人間関係に飛び火した。

 実際ユップは、シアトルでのエイズ専門家会議の後、私の母を泣かせたことがある。そのとき行っていた共同プロジェクトが思うように進展せず、いらいらしていたことが理由だ。ユップにとって、物事が満足する速さで進むことはまずなかったようだ。


 インタビューに応じてくれた何人かは、長年彼の友人だったにもかかわらず、一見些細なことで口論になり、友情が壊れてしまったと言っていた。かと思うと、彼は驚くほど親切な一面を持ち、他人を守るためにみずからのエゴは封じ込める人だった、という声もあった。


 一方ジャクリンはまるで違う性格だった。50人以上にインタビューし、彼女についての記録を読むのに多くの時間を割いたが、ジャクリンのことを悪く言う人は一人もいなかったし、批判的な言葉一つ見つからなかった。だれからも愛された人だったようだ。


 本書を書くにあたって、世界各地の取材先で直接インタビューを行った。アムステルダムをはじめ、ハーグ、バルセロナ、ボストン、ワシントンDC、ロンドン、プレトリア、ケープタウンまで足を運んだ。また、ユップとジャクリンの親族や友人、同僚の話を聞くため、オーストラリア、ウガンダ、フランス、アメリカ、タイ、南アフリカ、そしてアルゼンチンと、スカイプでつないだ。ユップの幼少期の家を訪ねたが、当時の村はもうなくなっていた。

 ユップとジャクリンの友人、家族、1980年代や90年代の同僚、そして二人が亡くなる前の数日間に言葉を交わしていた方々の話をうかがった。これらのインタビューをはじめ、文書として残された記録、医学雑誌、会議録音などを参考に、それぞれの場面を想像して組み立てた。

 さらに、オランダ史の専門家、ならびにエイズ問題へのオランダの対応を専門とする研究者にも話を聞いた。オランダという国の過去(宗教戦争そして帝国の遺産)を知り、その土壌がいかにして、エイズとの闘いにおける世界的なリーダーを生み出すにいたったのかを明らかにしたいと思ったからだ。


 涙ながらに個人的な思い出を語ってくれた方々に感謝したい。特に、ユップの姉リート、そして彼の一人息子マックスには、弟として、父としてのユップの思い出を惜しみなく語ってもらった。心からお礼を申しあげる。


 この本を書いたのは、2017年の春から夏にかけて、ちょうどMH17便の撃墜から3年となる時期だ。7月のその日、298名の方々が亡くなった。そのなかには、赤ちゃんもいたし、先生もいた。だれかのおじいさんやおばあさん、そして科学者もいた。そのすべての方々に、この本を捧げる。


著者:シーマ・ヤスミン(Seema Yasmin)

イギリス生まれの女性医師、ジャーナリスト。
生化学をクイーン・メアリー大学で、医学をケンブリッジ大学で学び、ロンドンのホーマートン大学病院にてドクターとして働く。2011年からは米国疾病管理予防センター(CDC)に通称「病気の探偵」として勤務。その後トロント大学でジャーナリズムを学び、『ダラス・モーニング・ニュース』の記者となる。
疫学をテキサス大学ダラス校で教えたり、スタンフォード大学のJohn S. Knightジャーナリズムフェローシップに選ばれ、その後同大学で教鞭をとるなど活躍の範囲は広い。
新型コロナに関しても、スタンフォード大学スタンフォード・ヘルスコミュニケーション・イニシアチヴ所長の立場から科学的な情報を発信。17歳のとき(本人曰くダメ学生のとき)に、ユップに出会い、そのアドバイスに導かれて医学の道に進んだ。


本書の序文も、下記の記事よりご覧いただけます。


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