黄色のドアに手をふって
引っ越し業者のお兄さんたちはあっという間に家具たちを運んでいった。部屋はすっからかんになって話すと声がこだまする。
退職とともに、6年の東京生活に手をふることを決めた。
笹塚に住むと決めた理由は始発に乗って会社まで一本で行けるからという理由だった気がするけれど、この家に住むことを決めたのは、黄色いドアがかわいかったからだった。それを友人たちに言ったら、もっと重要視するべきところあるでしょ!と言われたりもしたが、どれだけ疲れて帰ってきた日でも黄色いドアに手をかけたときにはさまざまなよろいがほどけていった気がする。
笹塚という街もとてもだいすきだったけれど、街のなかで一番すきだった場所は家だったかもしれない。隣にはちいさい家族が住んでいて、帰ってくると誰かの家から淡いシャンプーの香り。自炊しようと買い込んだ生野菜たちがくさってしまった冷蔵庫。酔っ払って、帰り道にどうしようもなく落胆してしまって「なんのために働いているかわからん~」と号泣しながら友人に電話をかけたバスルーム。溜まった洗濯を干すたびに、洗濯物になって天日干しされたいと憧れを抱いたベランダ。一緒にこの街で生きてくれてありがとうと思う。
どれだけ頑張りすぎずに、肩の力を抜いて生きていけるだろうかを探し続けてきたこの街を去るとき、わたしはなぜだかもっと頑張りたいって意気込んでいる。ぐちゃぐちゃになっても、自分のことが嫌いになったときがあっても、それはわたしの土台をつくる揺るがなさになっていることを、この街で信じることができたからだと思う。生まれ変わることなんてできないのだから、この街で身についたどうしようもなさも揺るがなさも、これから一緒に生きていく。
長野の実家に戻ってスーツケースを開けると、黄色いドアの家の匂いがする。ラブレターだ。こんな匂いだったのか、と懐かしさよりも新鮮さに泣きそうになる。みずみずしい、これから新しい夏がはじまる。