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わかると楽しいのか、楽しいからわかるのか

現在、飛び飛びであるが、Pythonのプログラミング学習をしているのであるが、実に楽しい。

プログラミングに出会ったのは、25歳ぐらいの時に、ハードウエアの開発のテスト要員をしていた時に、半年続いたプロジェクトが終わり、ポッカリとあいた3ヶ月の間に、プログラマーからC言語を学び、自力で電卓を作ったのが初めてである。

もともと、新卒で就職した電算室での仕事で、バッチ処理をしていたので、簡単なプログラミングをしているような経験があった。その時、Fortranとも出会っている。

実は、服飾の専門学校へ進学する際に、コンピューターの専門学校と迷っていた。

一番最初に出会ったのは、basicである。

本屋で立ち読みをしていただけなのであるが、その時は、さっぱりであった。

もともと、算数には、小学6年生の時に、はまったが、理科は、そんなに得意ではなかった。

中学1年生の時に、進学塾をドロップアウトした後、学校の授業と、自宅での独学で勉強していたのであるが、中学3年生の時に、大手塾の夏期講習に参加をした時に、ある講師に出会ったのである。

その講師は、本職レントゲン技師で、理科の担当であった。実に、授業が面白くって、理科がわかる。と感じた授業を受けた。

夏期講習の帰りに本屋に立ち寄り、中学3年間の理科の復習が出来る薄っぺらい問題集を買って、夏休みの間、理科の勉強に集中したのである。

薄っぺらいというのが、良かったのかもしれない。

苦手でも、得意でもなかった理科が、見る見る成績が伸びた。

理科が、面白い興味がある教科へとなったのである。

その努力は、通信教育の中学理科担当の赤ペン先生の仕事へと繋がるのであるが、

ひょんな事で、リケジョが誕生したのである。

もし、夏期講習で、レントゲン技師の講師に出会っていなかったら、理科が楽しい。楽しいから理解できる。理解できるとまた楽しいのスパイラル状態を味わう事は、なかったであろう。

そのわかるという楽しさが、プログラミングの学習に繋がる。

プログラミング学習も全て順調だから楽しいわけではない。

プログラミングのコードを書いては、エラーを吐き出し、正解へと導く工程が悩ましいが、正しい答えが出た時の達成感は、例えようがない。

長い時間かかり苦痛を感じても、最後は、面白かったという結末が待っている。

プログラミングは、面白いが、実は、仕事も楽しいのである。

仕事の楽しいところは、いかに楽に仕事をこなすかを考えるのが楽しくて、

共通していることは、自分の頭で考えて、結果が出るという事が、自分の中で、「楽しい」という感情に繋がるのではないかと考える。

みなさん、楽しいと言うことの大切さ、忘れていませんか?

なんでもいいので、楽しいと感じる事に、チャレンジしませんか?

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