父とのお別れエピソード6

今回の父親の葬儀は、喪主です。

4年前の母親の葬儀の喪主は、父親でしたが、父親を車椅子に乗せ、ほぼ自分が走り回っている状態で、お坊さんをタクシーで向かいに行ったりと、忙しい思いをしていたので、感覚的には、喪主2度目のような感覚でした。

今回は、お坊さんが自家用車で来てくださったので、誰をタクシーで向かいに出すか悩まずに済みました。

葬儀当時の朝は、早かったです。

前の晩、コンビニに買い出しに行ったおにぎりを家族4人で食しました。

喪主である私は、皆よりも早めに喪服に着替えて準備を行いました。

葬儀が終わり、とうとう父親との最後の別れです。

棺の中の父親の胸元には、退職時に会社からいただいた賞状を置き、娘が編集してくれた、父親が作ったボトル入りのプラモデルの写真や、カラオケで100点を取った時に父親が取った写真、そして、アンケートに書いた、アップルウオッチの画像を印刷したものも入れました。

葬儀前に、入院していた時の主治医がアップルウオッチをしていて、父親が自分も欲しいとのたまっていた話をしていたら、葬儀社の担当の営業さんが、アップルウオッチの印刷物を用意してくださったのです。

どこまで、サービス精神を貫くのか、さすがだと。

花祭壇のお花と親戚からのお花で父親の棺の中は埋め尽くされました。

訪問入浴のスタッフが撮ってくれた父親の写真を遺影に使用したのですが、その写真を見ると、いつもの調子で、父親が喋り出すのではないかと。

その遺影とともに、火葬場に向かって葬儀会場を後にしました。

アジフライ地方の火葬場では、このコロナ禍でお坊さんがお経をあげるのが禁止されておりますが、火葬場まで、お坊さんは、ついてきて下さいました。

火葬場に行ったのは、うちの家族4人と、父方のいとこの5人でした。

火葬場は、閑散としていました。

お弁当をいただきながら時間を待ったのですが、その時に、父親の遺言を果たすことになります。

父方のいとこは、私よりも墓参りや父親の元を頻繁に足繁く通ってくれました。

生前父親は、いとこに好きなものを買ってもらうようにお礼がしたいと言っていました。

私も父親からいただいていたので、私の時の同額の金額を包んで、いとこに渡しました。父親の遺言だということで。

これで、やり残した事はないと、

父親は、小さい姿になりました。

小さい姿になった父親を抱えて、いとこの車で実家に戻ったのです。

お供物のりんごを剥き、供え、みんなで食しました。

娘には全員分の烏龍茶を注ぐように指示を出しながら、りんごを剥きました。

そして、ずっと付き合ってくれた父方のいとこに、喪主からと、車代を手渡し、一連のお仕事は終了となりました。

いとこが帰宅してから、銀行に走りました。

公共料金専用の口座を用意するためです。

銀行の帰りにマックで軽い食事を買い求め、家族の待つ実家へ。

マックを食した旦那と息子福山と娘は、帰路についたのです。

こんばんは、一人でお守りです。

次の日、息子福山が2度目のワクチン接種をするので、副反応が気になるので、父親を置いて、一旦自宅に戻る予定になっていました。

一人の晩、コンビニにハガキを買いに走りました。

そして、誰とも会話ができず、寂しい夜でしたが、介護サービス各社に、ハガキ一枚一枚に御礼を書きながら、夜はふけていきました。


いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。