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3.11震度5でも、大変だった
音楽の日、3.11を観ながらnoteを書いています。
本日は、体調最悪で、一日中、ベットに横たわりながら、リビングのテレビはつけっぱなしで、たまたま音楽の日がついていたのだけれど。
もう10年なんですね。
3.11の日、自宅にいたんです。
揺れ始めて、大きいな。長いな。と、今にもテレビ台から落ちそうなテレビを支えていると、キッチンの方で、ガッシャンと食器が割れる音がして。
こりゃ大変だ。と、後先考えず、小学校に走ったんです。
その頃住んでいたアパートは、小学校から近いところで、近所だったので、小学校で何か役に立てるのではと、走ったんです。
そしたら、すでに、全校生徒が校庭に集まっていて。
あっ。そうだ。我が子。と校庭にいる息子福山を見て、初めて我に帰りました。
息子福山を引き取ってから、帰り道で、そうだ、食料を買わないと、とスーパーに寄り、食料を買い込んでアパートに帰りました。
あっ。娘。
その当時、都内に通勤していた娘の安否と旦那の安否が気になって、連絡を取りました。
そしたら、娘は、シフト制の仕事だったんで、その日たまたま徒歩でも帰ってこれる百貨店の本屋にいたそうで、ほっ。
でも、その時、思ったんですよね。
小さい頃は、自分の近くで行動する子供達は守れても、大きくなると、行動範囲が広がって、もう会えなくなる事もある事を。子供が成長する事って、そういう事なんだなと、諦めとは違う、何か現実を受け入れなければいけない覚悟を感じました。
地震の影響で、交通機関が不通になっていたので、もちろん、娘と旦那は、徒歩で帰宅しました。
次の日、再び、スーパーに行ったら、棚は、ガラガラでした。
スーパーが近かったから、わざとストックの買い置きをしなかったトイレットペーパーも棚には、一つも残っていなくって、
地震後、なかなか入荷しないのは、トイレットペーパーとお米でした。
何箇所も徒歩で行けるスーパーを巡る毎日でした。
夜は夜で、国道は、真っ暗でした。
節電だったのか、電力の供給が滞っていたのか、照明が全て消えてて、信号の灯だけが、国道を照らしていました。
そんな毎日を送っていたので、テレビが、ACのCMだらけになっているなんて気がつくのは、だいぶ後の話。
3.11の震源地からだいぶ離れていたアジフライ地方も震度5だったけれど、物流などの遅延などを考えると、立派な被災地でした。
あれから、トイレットペーパーの在庫は多めです。
子供の頃、行ったことがある、松島の島々はどうされたんですかね。
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