算盤と電卓
幼稚園から算盤を習って、4年生ぐらいの時に日商3級の合格を手に入れた。
算盤は、11級から受験していったのであるが、全珠連と日商の両方を取って行った。
夏になると、近所の私立高校で行われる大会に参加をしたりした。
九九も珠算教室の先生のもとで、唱えて覚えたのである。
3級までの受験は暗算ではなく、応用で受けていた。
暗算が得意ではないからである。
日商2級は、応用ではなく暗算での受験だったので、2級は取れなかった。
というより、いい加減、飽きちゃったんですね。
そんな算盤。
高校を卒業してから、専門学校の入学までの間、叔父の紹介で、アルバイトをした。
パートのおばちゃんに混じってのアルバイトであった。
しかしながら、仕事が無いとパートのおばちゃんはお休みになるが、アルバイトの身は、お休みにならず、あちらこちらの部署のヘルプに回った。
ある日、営業部に呼び出され、電卓を渡され、伝票の整理を頼まれたのであるが、「電卓使えません。そろばんはないですか?」と算盤で伝票整理をした過去がある。
今、思うと、電卓よりも算盤の方が間違いが無いという認識が怖くなる。
その後、電卓の達人となる。
新卒で電算室に配属になり、タイピングを鍛えたので、算盤よりも一層電卓の方が確実である認識に変わったのである。
アパレル会社で、経理事務をおこなった時に、毎日、電卓を叩いていた。
キーボードは、JとFに、電卓には、5のキーに突起がある。
だから、電卓を叩くときに、5のキーを基準に数字を叩いていくので、手元を見なくても計算ができるのである。
今はもう電卓は叩けないな。
キーボードは、正解率98%であるが、電卓の感覚はもう忘れちゃったな。
離れると算盤も電卓も正確性を失うものであると思う。
しかしながら、現役時代は、計算で困ったことが無い。
まあ、暗算は得意ではなかったので、ひたすら筆算であるが、小学生の時は、計算問題を解くと、大体1番か2番だった。
それぐらい、計算が楽しかったのである。
だから、中学生の時に、息子福山が進学塾のテストで、解き方はあっているのに、筆算を間違えて点数を失っているのが信じられなかった。
息子福山は、珠算を習っていないが、自分が暗算が得意でなかったので、息子福山の暗算を鍛えた。
保育園時代のお風呂の中で、息子福山とお湯に浸かりながら、暗算を繰り返したものである。
それが功を奏したのか、旦那からの遺伝なのか、息子福山は暗算が早い。
暗算が早いから、良く突っ込まれて、途方に暮れる事も多い。
その場に旦那が加わると、旦那と息子福山の戦いになって、いつも置いてきぼりを食らう。
そういえば、どこかの箱に子供の頃からずっと一緒だった算盤が入っているはずだ。思い出の算盤、いまだに捨てられない。
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