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息子福山の気づき

昨日は、息子福山が大学の図書館に行くという事で、図書館帰りに待ち合わせをした。

なぜならば、スタバのご当地フラペチーノをまだいただいていないからである。

9/1からは、もうマロンが発売されると発表されいるのであるが、確かに、ちんすこうフラペチーノを所望したいと思っていたところである。

しかしながら、ご当地フラペチーノは、訪れた店舗に山梨ぶどうしかなかったので、一択となった。

息子福山は、大学の図書館で、Pythonの機械学習の教本を借りていたのであるが、今度は英語の本を借りてきたと言う。

プログラマーになるためではなく、大学の研究室の実験でPythonが必要なわけで、プログラミングに必要なのは、英語であるとたどりついたという。

リファレンスを読む解くのに、英語力が必要だからだ。

誰かが言っていたが、プログラミングに必要なのは、

英語>国語>>>数学であると。

英語が嫌いだと、まず、プログラミングは難しい。

アジフライは、英語は苦手であるが、英語が嫌いなわけでは無い。

だから、英語のエラーメッセージも読み解こうと取り組める。

でも、自分でもプログラミングをやっていて、英語力は欲しいなとは思う。

長年、そう思っていたことを、大学3年の時期に気が付いた息子福山は優秀だと思う。

なかなか社会人になってからだと、なにかを勉強しようと思っていても、長続きをさせるには大変だからである。

学生のうちに気が付き、勉強の時間がとれるのであれば、それに越したことは無いからである。

でも、思う。

英語が大事だからと、英語だけ優秀ではあまり意味がないと思う。

なにかを極めるために、英語が得意だと有利だということだ。

英語は、言語なので、単なるコミュニケーションツールだからだ。

そこを勘違いすると悲劇が生まれる。

英語は出来るが、他にスキルを持ち合わせていなくて、社会人で通用しないとか!?

しかし、現実問題としては、大学進学に英語が必須となっているので、親は子供に、必死になって英語を学ばせようと考えるであろう。

英語を学ぶことは大切であるが、他の科目も平均して学ぶ環境を整えてあげて、幅広い将来の選択肢を子供には、与えてあげたいと思う。

なにしろ、先ほどもあげたが、プログラミングに必要なのは、

英語>国語>>>数学である点である。

英語に国語?と意外に感じたかもしれない。

ある意味、バランスが取れている人材ということだろう。

まあ、国語力が無いと、算数の問題さえも解けませんけどね。


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