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高校時代が至福の時だった理由

Twitterで、中学生の男子が、学校の勉強が無駄だと呟いていた。

ネットで検索すれば自分でも勉強できるからという理由である。

うちの息子福山も検索君である。

検索をすれば、答えが見つかると思っている現代っ子である。

その反面、アジフライは、検索が苦手である。

アジフライは、壮大な夢を描いている。

検索しなくても欲しい情報が手に入る世の中を。

そうなると、Googleさんが困らない?などと思うかもしれないが、手段が検索ではなくなるだけで、必要な情報を手に入れるには、膨大なデーターベースの新規情報も必要だし、管理も必要なわけである。

そうそう、話を元に戻そう。

その呟いていた中学生に、ツイートを引用し、呟いてみた。

長い人生を振り返ると全てが無駄じゃなかったと思えます。
授業中の先生の脱線話も生きる糧になっています。
特に高校時代は、ユニークな先生が多くて学ぶことが楽しかった思い出です。人から学ぶとは、学問だけでなく、人生の視野がひろがって、より一層、知識が深まると思うのだが。検索君!?

高校時代がいかに居心地の良かった3年間であったかをしみじみ感じたのは、専門学校に入ってからである。

高校時代は、偏差値帯が同じ生徒が集まっているので、あまり、苦労という苦労は無く、実に自由で、好きな事だけをしていた毎日である。

中学生時代は、厨二病を発症をしていたので、学校に反抗し、はみ出した日々を送っていた。

両親は何も言わなかったので、両親には反抗することはなかった。

高校時代は、本当にユニークな先生が多かった。

よく、友達の前で、先生の口真似を披露などもしていた。

noteの口調で、「のたまう」とか「曰く」なども高校時代の古文遊びの名残りである。

声フェチのアジフライがイケボイスの化学の先生を惚れ込み、化学式を真面目に学んだこと。

2年間担任だった数学の教師が一人部屋をあてがわれていたので、よく友人と教師の部屋を訪れて、PC相手にオセロをしたり、チャート式を借りて問題を解いたり、数学しか取り柄のなかったアジフライは、真剣に数学と向き合った。

高校の卒業生だった家庭科の教師の挨拶が、昔の学生が使用していた「ごきげんよう」であり、毎回、その教師の雑談を楽しみにしていた事だったり。他の生徒は、「また始まった」とうんざりしていたが、

2年間の音楽の授業では、教師が考案した言葉での発声練習で、ドイツ語やイタリア語などの言語で歌ったり、個人発表会では得意のギターを弾き、友人の歌の伴奏をしたりなんかして、

部活も演劇部で、友人らと長時間のダベリングで楽しんだり、

家ではひたすら、コミックに囲まれ、絵を描きまくる生活。

高校生活があまりにも楽しくて、勉強をするのが楽しかった。

だから、中学生に人から学ぶ事の素晴らしさを伝えたかったのである。

よく教師は、社会未経験だからなどとも言われるが、だからこその面白さも感じた。

Twitterの中学生もnoteをやっているようであるが、今日のnoteを読んでくれる奇跡はあるだろうか。


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