父親の介護と介護施設までの道のり

昨日に続き、父親の介護を通した感想を述べたいと思います。

口を酸っぱく言っておりますが、小さい頃から両親の介護を見ることに対するプレッシャーをかけられ成長しており、実際、一人っ子なので、自分1人でなんとかしなければいけないのも事実でした。

両親の介護に費やしたのは、たったの5年でした。

両親の介護に入る前に、高齢者通所のディサービスの事務仕事についたのも、両親の介護をする上で、重要な経験でした。

働いていたディサービスは、実に、利用者を大事にする職場でして、介護者がどのように高齢者に対して対応しているのか、どのようなサービスを提供しているのか、同事務所にケアマネージャーも多数勤務しておりましたので、ケアマネージャーさんは、どのような人格の人がなるものなのかと、介護現場を内側から見れた事は、両親の介護サービスを冷静に見れるようにもなれたのです。

母親を亡くした後、父親の対応に手を焼いて、もう限界と思い、介護施設を探すことになるのです。

父親が入院して退院する時に、普通であれば、老健という施設に入所し、リハビリをおこなったりする施設で時間を稼ぎ、終の住処となる特養の空きを待つのが王道なのですが、父親は、薬をたくさん服用していた関係で、老健には、入所が出来ませんでした。

終の住処になる特養を実家のある自治体と自宅のある自治体の両方で探すことになりました。

実家の自治体は、特養の情報は、ケアマネージャーからもらえますが、申し込みは、自分で行わなければいけません。そして、見学、面談、待機という感じでした。

自宅の自治体は、特養の相談センターがあるのですが、エリアが大きく、施設の数も多いために、特養を絞り込む事を断念したのです。

当時、1件だけ特養の見学に行ったのですが、見学した施設で見かけた高齢者たちは、お昼時だというのに、みんな暗い顔をしていました。どうやら、空きがあるらしく、すぐにでも入所が可能だったのですが、入所金額の月々の金額が、まるまる父親の年金額だったことと、やっぱり暗い顔をしているところに父親を預けたくなくて、特養を後にしました。

その後、ショートステイで特養を父親に体験してもらおうとしたのですが、父親がショートステイを拒否したので、申し込みはそのままで、話もそのままになりました。

父親は、その特養の月々の料金が年金全額で高いことが反対原因だったようです。

もし、父親が特養に入所したら、特養の施設費の他、散髪代やお小遣いで別途かかりますし、実家の維持をする為のお金もかかるので、やりくりするには、確かに無理がありました。

そして、4年、父親は、1人暮らしを継続しました。

2回目の父親の入院の際は、父親には認知症で、徘徊が見られましたので、もう、今回は、本気で特養を探さなければいけないと本腰を入れました。

しかし、コロナ禍ということで、見学がままならなくて、見学をしないまま申し込んだ特養が1件と、どうにか見学が出来た特養が1件見つかりました。

とりあえず、父親の退院後、老健にショートで1ヶ月お願いする事となって、その後、自宅に1週間、そして、再び老健にショートで1ヶ月で、特養の空き待ちをする計画をケアマネージャーさんが作成してくださいました。

退院日に、直接、介護タクシーで老健に向かい、その場で、持ち物全てに名前を記入させられました。

だいぶ前に、アイロン用の名前用の名札も用意していたというのに、

ケアマネージャーさんは、自宅に戻る1週間の間に、主治医に訪問してもらう連絡もとっていただいていたのに。

父親は、退院後、十日ほどで、老健で急変し他界しました。

あっけない、最後でしたが、認知症で徘徊してしまい命に危険が迫っている中での判断だったので、突貫工事のような計画でしたが、認知症になると、当の本人が必要以上に不安になるので、結果、父親には、良かった結果ではなかったかと。

父親は、内臓がかなり悪い状態だったし、癌も進んでいたので、もう長くはないと思っていたのですが、あまりにも突然の連絡だったので、今もまだ、父親がいなくなった実感がありません。それよりも4年前に亡くなった母親もいなくなった実感はありません。

もし、老後、旦那を施設に預けなければいけなくなっても、施設代を出してしまうと、自分達の生活が出来なくなるので、父親の時とは、状況が異なるだろうなとは、思っています。

なるべく節約して、子供達にお金の負担をかけないようにしないととは考えています。

いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。