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叶えて、マガジンハウス

高校を卒業して服飾の専門学校へ進学したお話は、何度となく今まで出てきたかと思われますが、ネット上にその詳細は書いたことがありません。

高校の進路のきっかけになったのは、一人のスタイリストさんの活躍を特集するものでした。

小さい頃から絵が好きで、デザイナーにあこがれていた者にとって、スタイリストという職業は魔法のように感じた一方、ビジネスとして成功できるのではないかと夢を見たものです。

そして、毎日、1時間半電車に揺られ、服飾の専門学校のスタイリスト科へ2年間通ったのです。

いつも乗っていた赤い電車はどんな天候であれ時間通りに運用されますが、山手線というものは、雨が降っただけでダイヤが乱れる乗り物でありまして、スタイリスト科1年を過ぎた頃からふと人生の岐路に立った時に、自分も山手線のごとく、雨が降ると学校をさぼるようになったのです。

スタイリスト科の授業は、ファッションを広範囲から学ぶ内容で、これでもか、これでもかと新鮮な驚きの毎日でした。が、1年生の時にクラス委員になった事で、他の学科の人達と交流することになり、いろいろな話を聞いて、自分の将来に迷いが生じてしまい悩んで学校に行けなくなったのです。

副担任から電話が家にかかってくると、「今日は雨で溶けちゃうので学校にいけません。」等と謎の理由で、家で細目をこなしていました。あの時、誰か大人に相談をしていれば良かったなどと今では後悔しています。

当時、考えていたのは、夢を追う代償についてと、やっぱり工科に転科をしたかった事でした。転科は金銭的に難しかったんですけど。結局、卒業し、就職してからパターンナーの修行をすることになるんですが、遅すぎた感はいなめなかったです。魔法にかかったままでいたかったです。

2年生のある日の事、授業中にマガジンハウスからの取材が入るらしいという情報がありました。

当日は、女子ばかりの中数人しかいない男子と日直をしていたのです。

日直の仕事を終え、移動教室に移り、前の方の席がいっぱいだったので、後ろの方の席に座っていた処、マガジンハウスさんが団体写真を撮られるという事で、自分たちが座っていた場所あたりを中心に全員で囲み撮影された訳であります。

発売日はもちろん『anan(アンアン)』を2冊記念に購入しましたよ。

見開き2ページの中心付近に写っていました。まるでリーダーのごとく。隣に写っていた男子は「彼氏か?」などと地元の友人には問われましたが、単なる日直関係である訳で。

その『anan(アンアン)』実家の建て替えの時に、仕事忙しくて親任せにしていたら、捨てられてしまい手元に残っておりません。

専門学校時代演劇を地元でやっておりましたので、そちらの写真は多く残っておるのですが、専門学校時代の写真があまり無く、チェッカーズのふみやヘアーをしていた姿を子供達に見せて笑われ隊!!

有名になったらマガジンハウスさんが発掘してくださるでしょうか?

服飾専門学校のスタイリスト科の広告の集合写真よもう一度。

有名でないから無理な案件ですな。(笑)


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