ボタンつけ、針に糸通し歳感じる
昨日は久しぶりにのびのびとした。
このところ、体調が思わしくなかったから、一日の達成感とか全然感じられない日々が続いていたからである。
今日はと言うと、やっと朝、副作用止めを服用しなくても、体調が安定し始めたので、のんびりとした日曜日だった。
そうそう、まもなくバチェラーの女性版の最終回を迎えるそうで、本日は、PCの前を陣取って、続きをアマゾンビデオで視聴した。
夕方になって、息子福山がシャワーを浴びるみたいでアジフライの所にやってきて、「ボタン取れちゃった。」とのたまう。
「これからどうせシャワーでしょ、ズボン脱いで。」と身ぐるみはがし、ボタンつけを試みる。
そういえば、ボタンつけとか何年振りだろうか。
と、針に糸を通そうとしたのであるが、あれ?穴が二重に見えて、糸が通らん。
ほぼ、感で糸を通し、ボタンつけをす。
すでに3年前に、リハビリ施設での作業で、ミシンの針の穴に糸を通す事が難しくなっていた事を思い出す。
まだ、老眼鏡のお世話になっていないのであるが、自分が年老いた事に気が付いた。
ハンドメイド構想とか言っていたが、針の穴に糸を通せないとか、もうお話にならないどころの騒ぎではない。拡大鏡とかのメガネが必須なレベルなのであろうか。
もともとの近視って、老眼になりづらいのであろうか?
幼馴染は、かなり昔の段階で老眼に悩まされていると年賀状に書いてあったことを思い出す。
noteは、1000文字を目標に書くようにしているので、書き始めてからもうだいぶ時間が経過しているのに、まだ、息子福山はシャワーを浴びているようだ。
今、こっそりと脱衣室のドアを開けて、ボタンをつけ終わったズボンを洗濯の山に積んできた。
お風呂場では、シャワーの水音が響いていた。
シャワーに打たれると、生き返ると息子福山は言っていたな。
さて、どうしよう、ハンドメイド構想。
著作権問題とかあるからオリジナルのデザインのアップリケが必要である。
オリジナルのデザインとか考えている時間が自分にはあるのだろうか?
何をしたいんじゃいアジフライ。
目は大事。
ドラマ楽しみたいし、読書もしたい、ハンドメイドを再開するならば、目を酷使する事は目に見えている。
何が出来るのかと、何がしたいのかの線引きをしなければならない。
もう間もなくnoteが書き終わるのであるが、まだ、うちの修行僧はシャワーを浴び続けているみたいである。
すごく長くない!?
さあ、明日からは、再び、未来に向けて進む一歩を踏み出せそうである。
いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。