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フィンドホーン・コミュニティの還暦を祝う旅。コロナ禍を経て3年ぶりの探訪記

11月17日、フィンドホーン・コミュニティは60歳の誕生日を迎えた。1962年のこの日、創設者と呼ばれる、アイリーン&ピーター・キャディ夫妻と3人の子供たち、ドロシー・マクリーンが失業した暁、荒地のキャンピングサイトにあった壊れかけたトレーラーハウスに住み始めた。
周りには木も畑もなく、野生のハリエニシダの群生と石ころと砂地があるだけ。そんな厳しい環境の中に住み始めた彼ら。60年後の今、その場には緑豊かな景色が広がる。「いつかここは光の町になる」と言われた、その道を歩むフィンドホーン・コミュニティの「今」を確かめに3年ぶりに訪れた。

Inner Listening - 内なる小さな声を聴く
Co-Creation with Nature Intelligence - 自然界の知性と共同創造する
Love in Action - 愛を行動で表し、形にしていく

たった三つの指針を日々実践していった先に、目に見える形で起きた「奇蹟」が世界中から人々を惹きつけ、彼らの知恵と情熱、必要なモノが集まりコミュニティとして発展し、それが今でも続く場所。

誰かの頭の中で構築された設計図ではない、大きな流れの中に生まれた「意図」によって顕現したコミュニティ。それがフィンドホーン・コミュニティのユニークな存在感だと私は思う。

60年という年月の中で、何度も危機を迎えながら生き続けてきたフィンドホーン・コミュニティ。世界中が体験したコロナ禍はフィンドホーン・コミュニティにも大きな変容の波を起こした。

ちなみに、「フィンドホーン」という時、そこには三つの意味がある。
一つは、もともと北スコットランドのモレイ郡にある、北海に突き出したユニコーンの角のような半島の、先端にある元漁村の「フィンドホーン・ビレッジ」。フィンドホーン湾に面した小さな村は、静かで美しい環境により、閑静な住宅と別荘が並んでいる。

二つ目は、「フィンドホーン財団」。非営利団体のチャリティーで国連との連携や、資産管理、教育プログラムの運営などの母体となる組織。創設者たちがこの地に移り住んでから10年後に設立された。

そして、三つ目が私たちが「フィンドホーン」という時に多くの方がイメージする、フィンドホーンの土台、「フィンドホーン・コミュニティ」。創設者たちと共に、この場を育て発展させてきた人たち、財団のプログラムに参加し、インスパイアされ移住した人々、現役の財団スタッフはもちろん、既に財団を辞めたり、リタイアした後もここの生き方、暮らし方などに共鳴して住み続ける住人たち、そして、住まいはこの場所になくても精神的につながる人たちまで含めてのコミュニティとなる。財団そのものもこのコミュニティの一部となる。

今回の60歳のお祝いのイベントは全て、フィンドホーン・コミュニティの有志たちが主催し、運営したもの。

目的は、もちろんここまでにコミュニティの歩みを祝福し未来に繋いでいくことと共に、昨年、火災で消失した「メインサンクチュアリー」の再建のためのファンドライズでもあった。

2020年の3月、3人の創設者のお一人、ドロシー・マクリーンが100歳で天に還った直後、パンデミックが始まり、フィンドホーン財団もコミュニティも完全なロックダウンとなった。

全てのプログラムと活動が休止状態になり、コミュニティの大切な「集う」営みも止まり、オンラインでのコミュニケーションが中心に。そして、プログラムの休止により、そもそも立て直しが必要な状況だったところに、この圧倒的な財政難からくるリストラが始まり、一年かけて財団のスタッフは半分以下になった。組織として致し方ない決断だったとはいえ、そのプロセスは多くの関係者が心に深く痛みを感じるものであり、また、怒りも戸惑いも渦巻くものだったと聞く。

いわゆる営利目的の企業であればドライに受け止められるようなことも、
人間性の向上や魂の成長する場を実践することが土台となる組織だったために、その傷はより、深いものとなっただろうことは容易に想像できる。

2021年の4月、財団を去ることになっていた、ある元スタッフの男性による放火で二つの象徴的な建物、「メインサンクチュアリー」と「コミュニティーセンター」が焼失。起きあがろうとした矢先の大きな喪失に言葉を失う人も多かったことと思う。(彼は直後に自首をして、裁判の判決を受け、フィンドホーン・コミュニティが在る街、フォレスの公園で300時間の勤労奉仕をしながら罪を報いているそうだ。)

しかし、フィンドホーン・コミュニティの底力は破壊の先には創造があるという希望を必ず誰かがホールドしていること。まさに、灰から蘇るフェニックスのエネルギーをビジョニングし、ロックダウンの最中には有志により、新たなフェニックスのモザイクが「フェニックス・カフェ」の床スペースに作られた。

湧き上がる感情に嘘はつかず、同時に、起きていることを受け入れながら、赦しと深い洞察によって、止まらず、一日一日を歩んできた。

痛みがあっても前に進むことができることを教えてくれたのは、やはり創設者達の生き様であり、お互いであり、常にそこに立ち返りながらコミュニティの人たちはそれぞれに、人生の扉を開けてきた。

フィンドホーンのスピリットを蓄えてきた二つの建物が焼失し、そこに封じ込められてきた光の粒は一気に飛び出し、その場につながる一人一人のハートに宿ったのかもしれない。私はその光の粒子が世界中にいるフィンドホーンとの繋がりを持つ、コミュニティメンバーに飛んでいくビジョンを得た。放火という方法を決して称賛しないけれど、その結果を創造的に選択していくことはできる。私もその光の粒を受け取らせてもらったと感じている。

外側から見つめている私が想像できないほどの心と魂のプロセスを経て、今回の60歳の誕生日をコミュニティがコミュニテイのために祝う、というところに立ったのは、このコロナ禍が及ぼした大きな変容の流れの真ん中に一つの敷石を置き、その流れを飛び越えていく、そんなタイミングだったのだと思う。

フィンドホーンの種と繋がり直す

プログラムは11月12日の夜、四方の精霊と要素に感謝を捧げる祈りから始まった。体験週間のプロセスのように、最初は歌や踊りでお互いの心を紡いでいく。

コミュニテイメンバーによる始まりの祈り。四方のスピリットへ。

ここまでの歩みをあらためて振り返る時間を迎え、創設者たちへのオマージュ。彼らと共に歩んできたコミュニティメンバーによる、一人一人の創設者への回想録。この場を開いてきた人達の人となりを身近な人たちの言葉で語られる時、その人となりをより身近に感じられるもの。そして、彼らも私たちと同様に生徒たちだったと伝えられる。

アイリーン・キャディ、ピーター・キャディ、ドロシー・マクレーン、ロック・クロンビー、ディビッド・シュパングラーと既にフィンドホーンを知る人にはよく知られた方々のエピソードの他に、今回初めて知ったのは、アイリーンたちと共に、この荒地に移り住んだ時、もうひと家族、リナという女性とその三人の子供たちが暮らしていたということ。

キャディ家の3人の息子達と、リナの3人の子供達の中で唯一の女の子、ルースが、今回ゲストスピーカーの一人としてエジンバラから来ていた。アイリーンとピーターの息子、ジョナサンと子供時代に戻ったように、思い出話を分かち合った。ルースはこの一週間、たまたまハウスメイトにもなり、朝ごはんを食べながら、また、寝る前のティーテイムで当時の暮らしぶりを楽しそうに話してくれた。

Ruth とアイリーンが住んだ家「Cornerstone」にリビングで

アイリーンには元の家族に娘さんがいらしたこともあり、ルースがその娘と重なっていたのか、よく髪を溶かしてくれたり、お化粧するときにそばに置いてくれたそうだ。また、お客さまを迎えるとき、とても丁寧に「私はあなたをここでお待ちしておりました。」と挨拶するアイリーンを真似したくて、遠方からやってきた従兄弟に同じように丁寧に挨拶したら、相手がポカンとしていた・・・などなどルースさんにとってもう一人の母のようなアイリーンへの愛情が伝わってきた。

創設者たちの類まれな感性と行動力。そこに直に触れ続けてきた方々が、敬愛と共にシェアされたからか、彼らのスピリットが降りてきたようで、その夜のユニバーサルホールはとても暖かな空気感に満ちていた。3年ぶりにそこに、画面越しではなく集ったコミュニティの人たち、100人余り全員が手を繋いで歌った。繋がり直した、と実感する夜だった。

そして、コミュニティの今を見つめる

週末が明け、コミュニティの「今」に触れる時間。
パークは現在エコビレッジとして500世帯が暮らしている。過去10年の間に北側のハリエニシダの群生地は開発されて、コーポラティブハウス群が次々建ち、メンバーの人たちがそれぞれのエリアで小さなコミュニティを形成しつつ生活している。コロナ禍の間にも、二つのコーポラティブハウスが新たに建設されていた。

このエコビレッジがヨーロッパにおいて脱炭素ライフスタイルのモデルとして評価され、2021年にグラスゴーで行われたCOP26においても実践モデルのプレゼンターとして招かれたり、BBCの番組で取り上げられたりと存在感が高まっている。パークの入口の看板も『スピリチュアルコミュニティ』から『エコビレッジ』と表現が変化したのも今回印象的だったこと。

The Parkの入り口に立った看板。財団はエコビレッジの中に含まれる

そんな立ち位置を保ちつつ、脱炭素をさらに進めるべく『私たちはパイオニアか?のろまか?』というタイトルのコミュニティ・シェアリングが行われた。「脱炭素ポリス」なる人たちが、いわゆる「SDGs」違反を取り締まり、それが行き過ぎてコミュニティの人達の生活が本末転倒になっていくという、シニカルなパロディ短編映画はユーモアのセンスバッチリでそんな斜めの目線があるのもいい感じ。そして、真面目に世界の温室効果ガス削減の数値とパーク自体の数値の比較や取り組みについてのプレゼン、今後の助成金申請のことなど、それぞれ持ち寄ったプロジェクトが紹介された。

素晴らしいプレゼンを目にしながらも、それらはある意味、真っ当なお話。なぜ、フィンドホーンが目を見張るほどCO2排出が抑えられているのかといえば、そこには大切にされてきたスピチュアルプラクティスがあったからだと私は思う。

自分を愛することは
今いる場所を愛すること
共にいる人を愛し
自分が行っていることを愛すること

そして、自然界との共同創造を試み続けること。

この在り方を試みていく中で「足るを知る」ことを身につけて来たことが大きな功績なんだと思う。今は、脱炭素社会に向けて世界的な大きな動きがあるし、ビジネスとしての商機でもあり、ともすれば、方法ばかりに注目してこの大切な土台を忘れてしまいがち。フィンドホーンコミュニティがこの土台の上にどんな歩みを進めていくのかをこれからも注目したいと思う。

同じ日の午後に行われた、「メモリー&メモリアル〜記憶と追悼」
主に60年から85年あたりのコミュニティメンバーや活動の写真を見ながら、そこに映る仲間たちのことや、まつわるエピソードがシェアされた。
どの写真も、皆の顔が無邪気でエネルギッシュで豊かさに満ちている✨

歌、踊り、シアターと「表現する場」のシーンも多くフィンドホーンコミュニティの創生には「クリエイティビティの発露」が、とっても大切な役目を果たしてきたことが写真を通じて伝わってくる。アートは心の扉を開き、コミュニティの繋がりを築く源になってきたんだと思う。実際、今回のイベントも至る所にパフォーマンスや歌、踊りが散りばめられている。フィンドホーンのユニークな伝統の一つなのだ。

その後、ここまでの60年で天に還った方への黙想を捧げた。
丁寧に一人一人、ABC順に名前が呼ばれた。アイリーンもピーターもドロシーも他の人と同様にABC順のリストに入っていた。

些細なことだけど、大切なこと。
教祖やカリスマにならないリーダー。
これがここからの世界のパイオニアなのかもしれない。

今という場から一歩を踏み出すために

トランスフォーメーションゲームのグループ版のライフパス

誕生日の前日、ちょうど週の真ん中に、グループで行うトランスフォーメーションゲームが行われた。過去からの遺産をしっかりと感じ、あらためてこのコミュニティの根源に繋がり直した上で「今」に立ち、ここから向かう先への一歩を踏み出すために。

あらかじめ、ゲームのチームが準備したコミュニティとしての「意図」は

Individually and Collectively
We intend to honor, bless and lay the past to rest
awaken to the spirit that is calling each and all of us
and step into the future that is seeking to take shape in and through us

個人として、また集合的にも
私たちは過去を一旦横たわらせて休ませ、私たち一人一人、また全体として
呼び声を上げるスピリットに目覚め、今、顕現しようと試みている未来へ
一歩踏み出してきます。

最初に、この意図のどこに今の自分は最も響くのかという問いかけがあった。

私自身は自分の中の「呼び声を上げるスピリット」に目覚めたいと感じていた。一方、この「過去を横たわらせて、休ませる」という過去との付き合い方にも深く頷く。コミュニティの中では過去はまだ終わっていない、まだ解決しなくちゃいけないことがある、とこの部分の文言に意義を唱え、ゲームにも参加しなかった人もあると聞いた。でも、私は、ある時点で過去のどうにもならない問題については、そっと手を離し、時を待つことが本当に意味で「解決」を招くということも個人的な経験の中で味わってきた。なので、このセンテンスにはとても共感した。

3人のバディグループに分かれ、クジで当たった人がプレーヤー&バディとしてプレイする。37組いたので、やはり100人を超えたメンバーが参加したということになる。コミュニティ全体の人数ではないにしろ、101匹の猿効果ということもあるので、ここでプロセスされた変容の波はコミュニティ全体へと広がっていくことだろう。そして、このクラスターが世界各地のコミュニティや同じような意図を持つ人達のクラスターと響き合えば、世界への波及にもなることをイメージしつつ。

全体を見渡すエンジェルは「Creativity〜創造性〜」まさに、未来を形作るこのタイミングにぴったりのエンジェル到来。すでに超えた痛み、として現れたのは「もういっぱい、いっぱい!私は何もできません!!」というもの。
個人的な経験をもとにこの痛みの本質を見出し、それをどう超えてきたか、という分かち合いが行われる。これは被害者としてのドラマ。どこにでも転がっているテーマ。コミュニティの経験としても、コロナ禍の最中にはこうした痛みがたくさん叫んでいたのではないかと思う。

会場には、財団を自ら去った人もいれば、去ることを言い渡された人もいる。それぞれの立場でこの痛みは角度を変えて現れたことだろう。最も繊細で生々しい痛みをここに集うみんなが向き合い、自分ごととして分かち合い、受け止めてもらう場は、作ろうと思っても作れるものでもない。ゲームディーバの優しい導きだったと思う。このプロセスをきっかけに、場が暖かくなったと私は感じた。この後も、コミュニティ、世界、そしておそらく、個人個人に「まさに。」と響くカードや体験がゲームを通してプロセスされていった。最後、完了のプロセスの中で引かれた、未来への一歩を示すメッセージは

I love and accept myself exactly as I am.
私は、私のありのままをただ愛し、受け入れます。


その旅を共にするエンジェルは
「Play〜遊び〜」

私個人として、コミュニティとして、そして、この世界としてこの言葉を受け止めた時、全てが赦され、そして一人一人が自由になっていくのだと思った。

こんなプロセスを100人余りのご近所さんとできるなんて、やはりフィンドホーンは成熟した環境であり、コミュニティだとつくづく思う。自然の美しさやライフスタイルだけでない、深い洞察と知恵、経験値、ひらめきに満ちたコミュニティだからこそ世界中から人生の旅人たちが集い、成長していく場が育ったのだと実感体感。日本から通うのはなかなか大変だけれども、この里帰りは私の人生において欠かせないものとあらためて思うのだった。

祝福の一日*変容の流れを飛び越えて。

大きなステップを踏み出した翌日。フィンドホーン・コミュニティは晴れて還暦を迎えた。日本人として、この還暦の持つ意味は特別であり、彼らは全くそのことは意識しなかったとは思うけれど、過去3年間の解体と破壊を経て、生まれ変わる特別な誕生日を迎えた。

朝、日が昇る方向に向かい、みんなで歌った。

目を覚そう、目を覚そう!
地球からの呼び声を聴き、今こそ私たちの真実に立ち、
新しい大地を踏み締めて。

みんなはもちろん、ここからの新しい門出と昇る太陽に想いを重ねていたと思う。私も同じく。でも、日出る国、日本に向かってみんなが歌ってくれたことを私は密かに感動し、まだまだマスクの下に恐れを抱え続ける日本の人たちに、このメッセージを送りたいという願いを込めて歌った。

ハーモニーを生み出し、みんなが自分の声と内側からの想いが響き合った。この祈りの波紋がどうか世界に広がっていきますようにと。

その後の瞑想が私にとっては印象的な経験となった。
目を瞑り、静かに内側に向かった途端に腹の底から感謝が湧き出し、自分自身、家族、友人やご縁のある人たち、私が関わるコミュニティとそこに生きる方々、そして日本、世界、宇宙を意識を広げる中で全身が喜びに満ちた感覚となった。

一週間、私たちに中心で灯されたキャンドル

すると、目の前に大きな木が現れ、その木の下に小さな少女が現れた。
私だと分かった。その子はその木に守られて休んだり、木陰で遊んでいた。
突然、その大きな木がシューーーっと小さくなり、少女が大きくなった。
そして、なんと、その少女自体がその木となりぐんぐんと育っていった。
やがて、大きく育った木の下には子供たちが集まり、寝っ転がったり、
遊んだりし始めたーーー

そんなビジョンがはっきりと見え、ああ、これは私とフィンドホーンとの関係を示しているんだと感じた。

アイリーンやピーターたちがフィンドホーンを訪れる人たちに必ず伝えていたこと。それは「あなた自身がフィンドホーンとなりなさい。」だったと聞く。そのメッセージがビジョンとなってこうして届けられたのだと私は受け取った。

なろうと思ってなるわけでなく、探求と実験・実践を重ねてなっていくもの。そして、いつの間にそうなっている、というフィンドホーンコミュニティのように成長していけたなら。容易くはないけれど、新しい種が私の中に蒔かれたように思う。

朝のセレモニーを終えた後は、コミュニティのあちこちで子供たちのゲームやダンスが行われた。また、一年余りの時間をかけてコミュニティと対話をしながら新たなサンクチュアリーのプランがパネルで紹介され、実際の大きさを示す杭と紐でそのイメージが作られていた。新たなサンクチュアリーの真ん中に当たる場所で光を降ろしていくセレモニーが行われた。火災にあった後も、丸太の椅子に座りながらサンクチュアリーの光を灯し続けた方々もあったという。コミュニティのスピリチュアル・プラクティスのセンターがここに生まれてくるのだ、と思うと安堵感がやってきた。

シニアメンバーのお一人、キャシー・テイラーさんによるリードでアチューメントが行われた
アイリーンの息子さんのジョナサン、共に育ったルースさんも共に。
一年あまりコミュニティの人たちとの対話を重ねながら生まれたプラン

この日のメインイベントはアメリカにいるフィンドホーンの精神的リーダーのお一人、ディビッド・シュパングラーによる1時間の瞑想。オンラインで世界各地からも参加者があり、光のネットワークが地球を結んでいく。

ディビッドは過去から現在、未来へと繋いでいく誘導をしながら、みなさんを導き、この瞑想の中で敷居を超えていった人たちもいたことだろう。私は途中、ウトウトしながらも新たな光のたまが生まれ、すでに結ばれているネットワークを通してそれぞれのハートに送り込まれているようなイメージを得ながら瞑想を終えた。

明日につながる新世代の人たち

コミュニティの新世代たち✨
コミュニティの裏にある野生エリアに住む精霊たち。衣装も本気!
ミツバチからのお祝いメッセージ
映像と歌と音楽のコラボレーション
長年のメンバーの方が歌うリラックスしたカントリーミュージック

誕生日の日の夜は「Grand Sharing」。恒例、コミュニティ・メンバーの有志によるいわば「隠し芸大会」。と言ってもチケット代を払っても見たいと思わせるパフォーマンスの数々。フィンドホーンには、イギリスで活躍する 俳優やシンガー、パフォーマーが住んでいたりする。フィンドホーンの歴史の中においても、かつては週に一回、メンバーの表現の場が設けられ、歌やダンス、芝居などによって互いを分かち合ってきた。まさにクリエイティビティの宝庫。今回、このシェアリングで目立ったのが、次世代と次次世代の活躍。なんせ司会が10歳の男の子。堂々と「僕はフィンドホーンの新世代!」と自己紹介をする。

10歳のルイス君。間の取り方とか完璧だった!

現在、フィンドホーンで育った子供たちが一旦外に出て戻ってきていたり、結婚してフィンドホーンに住みながら次の世代を育てている人たちもいる。また、フィンドホーンのライフスタイルに共鳴した若い世代が何らかの形で関わりながら、コミュニティの中に住み、自立してそれぞれのプロジェクトを運営して暮らす。

私が初めて訪れた2004年から見ても、随分とコミュニティにいる人たちの多様化が進み、外の世界から隔絶されたコミューンというよりも、一つの小さな「町」になってきたと思う。自然保護を大事にする人たちが多くいることもあり、住宅のために開発を進めることにはそれなりの時間をかけながら進められてきた。嘆く人もある一方で、外の世界から一つの理想的なライフスタイルとして、新たな層の人たちが住み始めることは、このコミュニティのここからの方向性を見せてくれているようにも感じる。

たった一週間だったけれど、約三年にわたるのコロナ禍の変容期を経て訪れてみて、フィンドホーンがそもそものその意図の通り、人の暮らしが大きな自然の循環の中に溶け込み、共に生きている場所として深まっているということ。

それは、ゲストを世界中から迎え、「フィンドホーン」という舞台をみんなで創り、運営してきた時間が否応なしに中断となり、よりコミュニテイの人たちが、日常に根ざしたスピリチュアリティと自分達のあり方をみつめながら実践し「暮らす」ということに軸がシフトしたことにあると思う。
ここに住む人たちの肩の力が抜けて、より、日々の営みのしっかりと根を下ろしているのを感じた。

フィンドホーンの奇跡は、依然、その日常の中のそこここに散りばめられ、決して特別なことではなく煌めいている。私たちがただ、そのことに目を開き、ハートで感じ、対話をしていれば、ずっとその煌めきが無限に巡っていることに気づくことができる。

そして、それは私の日本の日々の営みにそのまま重ねられる。

還暦を迎え、コミュニティが生まれ変わってほやほやの今、この特別な一週間に渦巻いたエネルギーが改めて創造の源となり、「未来」が形になろうとしている。楽観と希望を全身に吸収して今回の旅は完了となった

大きな流れに合流していけば

フィンドホーンの滞在を終えてインバネス空港にてこの一週間を振り返っていた。

インバネスに向かう途上で

スコットランドのハイランドの真ん中にあるこの空港は、風光明媚で
この土地の美しさを感じられる。美しい広々とした空と牧草地森と河、
人々の暮らし。

自然の中に潜り込むことが、日常にある人々の暮らしに憧れる。
昨日、私のメンターのお一人であり、体験週間ではほぼ私がお連れするグループの担当をしてくださったジュディスさんが、懐かしのフィンドホーンリバーとランドルフス・リープの森に連れて行ってくれた。

何度となく、参加者の皆さんと輪になって「アチューメント(心合わせ)」をした記憶が折り重なる景色の中で、ゆっくりと散歩をした。私が一番好きな場所は、ふたつの川が一つになる突端の大きな岩場。皆さんがそれぞれの時間を過ごす中、私はよくそこで一人の時間を過ごしていた。

このところ雨が多かったからかその岩場に至るまで、とても激しい水の流れがあり、渦が放つエネルギーに掻き立てられるものがあった。ここ数年の、そして今も世界に渦巻くエネルギーがそこに現れているかのように。そして、それは同時にフィンドホーン・コミュニティの過去3年の過渡期のエネルギーとも感じられた。

フィンドホーン・リバー。ウィスキーの原料となるピートが混ざる水は琥珀色をしている

霧雨で濡れていて、滑りそうな岩の上を慎重に一歩ずつ歩きながら、お気に入りの岩場の突端についた。目に飛び込んできたのは、片側にあった激しく水飛沫をあげ、岩にぶつかりながら渦を巻く流れが、反対側からくるの川の流れと合理したところで渦は泡となり、大きな流れとなって、悠々と、その先にある北海へと流れていく風景。ふわっと緊張感が解け、安心し、その穏やかな流れに心を委ねることができた。

川の流れはやがて大海に向かう

私自身もこの3年は思いがけない世界の変容に戸惑い、人間関係も自分の心との関係も否応なしに掻き回され、流されながらも何が自分の真実かを掴んできた時間だったと思う。まさに、この渦巻く流れに身を任せながら、進む道を選んできた。懸命に進んでゆくこと。その先に何が待っているかはわからないけれど、この大きな川の流れのように私たちを全て迎え入れる「流れ」があるに違いない。そんな確信がやってきた。

3年ぶりのフィンドホーンの時間は私の蘇生の時間でもあったのだと。そして、ここからまたUnknown(わからない)未来に向かって進んでいくために、新たな種を携えて。


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