#劣等コンプレックス
「まじめな人が成功しても、英雄になれない。怠け者が成功すると、英雄になる。怠け者は失敗しても、「やればできるのに」と言われる。怠け者は得ばかりなのだ」
勉強していないアピール皆さんにも経験はないでしょうか?
学生時代、試験の当日に友だち同士で探りを入れ合った経験が。
「勉強した?」
「全然してないよ!」
いわゆる「勉強してないアピール」です。
なぜこのような「勉強してないアピール」が横行するのでしょうか。
二重に得をするそれは「勉強していない」と言った方が二重に得をするからです。
もしも、いい成績を取れたとしましょう。
勉強していないに
「次々と仕事を変え、仲間を変え、パートナーを変え、人間関係を途中で抜け出す。劣等コンプレックスである」
人間関係を途中で抜け出す人たち転職を繰り返す人、結婚と離婚を繰り返す人、友だちと長い付き合いができない人に対して「彼(女)らはしばしば有利な結果を出すところまで到達することなく、友人、愛のパートナー、仲間、仕事を変える」とアドラーは指摘しています。
なぜ途中で投げ出すのかなぜ、最後までやり遂げずに途中で投げ出すのでしょうか?
それは彼ら彼女らが劣等コンプレックスを持っているからです。
つまり
「弱さは強さである。事実、泣く赤ん坊の要望に逆らうことができる親はいない」
弱さは強さ「われわれの文化においては、弱さは非常に強くて権力がある。(事実、われわれの文化の中で誰が一番強いか自問すれば、赤ん坊であるというのが論理的な答えであろう。赤ん坊は支配するが、支配されることはないからである)」。
「疾病利得」も「弱さは強さ」のひとつです。
病気という弱さが家族を支配する強さになる。
現代社会において、弱さは強さであるのです。
強さは弱さこのパラドックスは、強さを
「病気になれば、課題から逃れ、家族を支配できる。病人がこの便利な手段を手放すとは考えにくい」
疾病利得疾病利得とは、病気になることで手に入れる得や利益、という意味です。
子どもの頃、熱が出て学校を休んだ時は、家族がいつもよりも優しくて、栄養をつけて早く良くなってねと、美味しい食べ物が次から次へと出てきた記憶はありませんか?
病院で注射できたら、欲しい物を買ってあげるから、なんてこともあったかもしれません。
これが疾病利得です。
学習する疾病利得を経験することにより、「病気になると、
「心配性な人は危険を見つけるセンサー感度が驚くほど高い。取るに足らないような危険を見つけ出し、大きなサイレンを鳴らして、他者を支配する」
悲観的な人悲観的な人は、普通の人よりも、多くの危険や不運が訪れるわけではありません。
危険を探し出すセンサーの感度が高いのです。
「これくらいは問題ないだろう」というレベルのことがらに対しても、鋭くそれを嗅ぎ付け危険を見つけ出します。
アドラーによるたとえ「彼(女)らはいつもどんな不運にあうか、どんなこともまったくうまくいかず、自分が着手したことはすべて失敗に終わるということを確認するために
「社長の子ども、校長先生の子どもなど、社会的地位が高い親の子どもが失敗する例は非常に多い。『親に追いつけるはずがない』と最初からあきらめるのだ」
親の影響子どもは、否が応でも親の影響を受けます。
アドラー心理学は原因論を否定し、目的論を打ち出していますが、親からの遺伝や親が作った生育環境の影響という原因を完全に否定しているわけではありません。
私の場合も、親からの遺伝では色覚異常がありますし、生育環境としては貧しかったので、大学進学と言う選択肢を選ぶのが難しかったということがあります。
自己決定性それらは「影響因(影響を及ぼす原因)」
「不眠症の人は言う。『夜、眠ることができれば何だってできるのに!』不眠症は挑戦を避ける、最高の免罪符なのだ」
「不眠症」さえも劣等コンプレックス「AがあるからBできない」。
劣等コンプレックスを持つ人は、このAやBに無限のバリエーションを生み出します。
本人は苦しんでいるはずの「不眠症」もそのひとつです。
私たちは、そこに人間の持つ創造性を見て取ることがことができます。
しかし、その創造性は人生に無益で、非建設的な側面で発揮されています。
心因性の不眠症あらゆる不眠症が、アドラーの指摘するような心
「既婚者と不倫をする人は、結婚を恐れているのだ。既婚者との恋愛なら、結婚せずに済むのだから」
結婚したくない理由多くの場合、結婚したくない理由は以下のようなものです。
・結婚で失敗をしたくない
・不幸な結婚生活を送りたくない
・今現在、独身生活で手にしているような自由な生活、気楽な生活、家族に
甘やかされる生活を放棄したくない
アドラー心理学の考える「目的論」では、「相手が既婚者だから、結婚できない、のではない。結婚したくないから、既婚者を相手に選ぶのだ」となるわけです
「『理想の結婚相手が見つからない』という人は本当は結婚をしたくないのだ。他者と人生を共に歩む準備ができていないのだ」
結婚相手が見つからない「理想の結婚相手を探しているが、彼、あるいは彼女を見つけられない人は、ためらいの態度に苦しんでいると確信できる。そもそも前に進みたくないのである」
相手が見つからないのではなく、失敗を恐れているのだ、とアドラーは言いました。
「愛の課題」を避けている現在、日本では晩婚化が進み、生涯独身を貫く人も増えています。
また、恋人がいない人も同様に増え続けています。
私の周辺に
「『もしもAだったらBしたのに』は人生の嘘である。順番が逆なのだ。『Bでの失敗を避けるためにAを創り出した』のだ」
失敗したくないから病気になる「もしも病気がなければ(健康であったなら)仕事を頑張れれたのに…」
これは「人生の嘘であって虚構である」とアドラーは言いました。
本音は「仕事で失敗をしたくない。だから言い訳として病気を創り出し利用しているのだ」と言うのです。
人はなぜ神経症になるのか「AだからBできない」のではなく、本当は、Bに挑戦して失敗したくないからAという「見かけの因果律」を作っていると言
「『はい。でも…』という『YES,BUT』の多用は劣等コンプレックスのサインである」
予防線を張る「はい、やってみます。でも、やったことがないのでできるかどうか…」
「はい、わかりました。でも、時間がないのでできないかもしれません…」
「はい、挑戦してみます。でも根気がないので続かないかもしれません…」
自分の課題だと了承すると同時に、できない理由も並べて、できないかもしれませんけど、いいですよねと言質を取る、これも劣等コンプレックスだとアドラーは呼びました。
挑戦から逃げ
「劣等コンプレックスとは、弱さを言い訳にして本来なすべきことから逃げること。人生の嘘である。見かけの因果律である」
劣等コンプレックス劣等コンプレックスとは「強い劣等感を原因とて『これ以上失敗したくない。傷つきたくない。』と、できない言い訳を探してひけらかし、課題への取り組みを避けること」です。
アドラーは「『AだからBできない』という論理を多用すること」を劣等コンプレックス呼びました。
そして、このAとして、遺伝、才能、過去の体験、神経症などを例示し、「これは見かけの因果律である」と断じました。
できな
「勇気がある人は、努力して険しい道を乗り越える。勇気がない人は、努力を避け、楽ちんな抜け道を探す。抜け道の先に待っているのは、みじめな未来でしかない」
不幸になりたい人はいない多くの人は、優越コンプレックスにも劣等コンプレックスにも、どちらにもなりたくないと思っているいるでしょう。
なぜなら、どちらを選んでも、人生の無益な方向へ向かうことには変わりないからです。
進んで不幸になりたい人はいないはずです。
コンプレックスを選ぶ人とそうでない人の違いは何かアドラーはずばり「勇気」であると述べています
「勇気と自信を失った人の場合は、その目標は
「いばり散らして他者に奉仕させるか、病気や弱さをひけらかして他者に奉仕させるか。どちらを選ぶかは、子供の頃の成功体験しだい」
どうやって相手を支配するか人生の無益な側面で優越性の目標を設定する人がいます。
それが「いばり散らして支配する」優越コンプレックスか、もしくは「泣き言を言って支配する」劣等コンプレックスに陥った人たちです。
優越コンプレックスに陥った人相手に対して力ずくで支配しようとする人がいますよね。
私も力ずくで支配されたいた経験があります。
このような人は優越コンプレックスに陥っています。
今のご時