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アドラーの100の言葉を自分に当てはめて考えたseason2

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#共同体感覚

「あらゆる困難を解決する唯一の方法は、共同体感覚を発揮させることである。そうすれば、すべての困難から解放される」

「あらゆる困難を解決する唯一の方法は、共同体感覚を発揮させることである。そうすれば、すべての困難から解放される」

心の拠り所私は宗教を信仰していません。
神様の存在も信じていない無神論者です。

なので、長らく心の拠り所を求めていましたが、この言葉を見つけたときに「これだ!」と確信したのでした。

「われわれにあらゆる困難を乗り越える統一的な観点があるとすれば、それは共同体感覚を発達させる観点である。このことに成功すれば、すべての困難は取るに足らぬものになる」

この極めて力強い、シンプルな答えに、これまで悩

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「『これが正しい共同体感覚だ』という絶対的な真理はない。コモンセンス(共通感覚)がそれに代わるだろう。コモンセンスは、私的感覚に比べて常にほとんど正しい」

「『これが正しい共同体感覚だ』という絶対的な真理はない。コモンセンス(共通感覚)がそれに代わるだろう。コモンセンスは、私的感覚に比べて常にほとんど正しい」

共同体感覚の重要性と各論ここまで私のnoteを読んで頂いた皆さんは、共同体感覚の発揮が人生においていかに重要であるか、ご理解頂けたのでないかと思います。

しかし、問題は各論です。

具体的な日常の場面で、どうすればいいのか判断に迷うことがあるでしょう。

具体例を見てみよう例えば、自分の子どもが不登校になったとします。

無理にでも子どもを学校に行かせるのことが共同体感覚の発揮なのか、本人が嫌が

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「個性を殺し自己犠牲を続けるのか?そうではない。個性を発揮しながら、共同体に貢献する。両立は可能だ」

「個性を殺し自己犠牲を続けるのか?そうではない。個性を発揮しながら、共同体に貢献する。両立は可能だ」

誤解されがち共同体感覚は誤解されがちな概念です。

「全体の一部として生きる」ことは、あたかも「個性を殺し」「我慢して」「犠牲を払う」ことのように見えるからです。

しかし、それはアドラーの意図するものではありません。

そのような人は「バランスの感覚を失い、社会に過度に適応した人」だと指摘しているのです。

逆もまた真なりしかし、逆もまた真なりです。

「まず何よりも自分自身の利益を守ったり、あ

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「『自分は集団なしには生きていけない』と認め、『自分は全体の一部である』と考える人だけが共同体感覚を高めることができる」

「『自分は集団なしには生きていけない』と認め、『自分は全体の一部である』と考える人だけが共同体感覚を高めることができる」

共同体感覚の定義アドラーは共同体感覚について、さまざまな角度から定義しました。

そのひとつが「個人は全体の部分として生きる」ことです。
全体とは共同体を指します、

つまり、共同体感覚がある、ということは「自分よりも大きな団体、組織、社会、宇宙に自分が所属し、その一部である」ことを認め「一部として生きる」ということです。

全体主義ではないでは、私たち個人は、国や社会の「歯車」として、自分を殺し

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「共同体感覚は生まれつきのものではない。誰もが皆、平等にその種を持って生まれてきている。親や教師は種に水をやり、太陽に当てなければならない」

「共同体感覚は生まれつきのものではない。誰もが皆、平等にその種を持って生まれてきている。親や教師は種に水をやり、太陽に当てなければならない」

学校「学校は、子どもが学校という社会的な課題にどれほど準備されているかを示す実験、試験です」とアドラーは言っています。

「学校で子供が、社会とその問題に適応しているかどうかが、明らかになる」と言うのです。

共同体感覚の高低共同体感覚が高いか低いかは、生まれつきでも遺伝でもありません。

共同体感覚がゼロのまま生まれる子どもはいませんが、逆に共同体感覚が100年時代%で生まれてくる子どももいませ

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「共同体感覚が高い人は、相手に尽くし、与えるだけでなく、自分も援助してもらう勇気がある人だ」

「共同体感覚が高い人は、相手に尽くし、与えるだけでなく、自分も援助してもらう勇気がある人だ」

他者は味方共同体感覚があるということは、喜んで他者を助け、他者が喜ぶことをする、ということです。

それは、他者が敵ではなく味方である、と信じていなければできません。

もしも、他者を敵だと思っていたら、助けることで逆恨みをされてしまったり、「いいかっこしい」と誤解されるかもしれない、だから、恐くて助けることができないのです。

逆もまた真なり他者を仲間だと思えればこそ、自分に能力や経験が足りない

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「忘れっぽい人、ミスが多い人、不注意な人は、仲間に関心がない。共同体感覚が低いのである」

「忘れっぽい人、ミスが多い人、不注意な人は、仲間に関心がない。共同体感覚が低いのである」

目的あらゆる行動には目的があります。
その目的とは、優越性の追及、もしくは劣等の回避です。

それは、うっかりミスが多い人も同じことです。
ものごとを忘れることで、何らかの優越性の追求か、もしくは劣等の回避を無意識のうちに行っているのです。

仲間に無関心アドラーは「注意が欠如しているのは、仲間に無関心だからである」と指摘しました。

もしも、仲間に関心が高く、共同体感覚が高ければ、果たすべきもの

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「共同体感覚の高い人が教師になった。目的は貢献である。共同体感覚の低い人が教師になった。目的は弱者を支配し、弱者の中で安心することである」

「共同体感覚の高い人が教師になった。目的は貢献である。共同体感覚の低い人が教師になった。目的は弱者を支配し、弱者の中で安心することである」

なぜ医療事務を選んだのか?医療事務になる前、私はまったく畑違いの製造業の仕事をしていました。

しかし、もっと直接的に人と関わる対人業務に憧れるようになり、医療業界に強い関心を持つようになったのです。

でも、私は何もライセンスを持っていなかったので、ノンライセンスでもできる医療事務の仕事にチャレンジすることにしました。

何時でも何処でも誰にでも私はなぜ医療業界に関心を持ったのでしょうか?

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「結婚は、あらゆることが思い通りになる天国ではない。結婚の課題は、通常の対人関係の課題となんらかわらない。夫婦は、相手を喜ばせることを喜びにしなければならない」

「結婚は、あらゆることが思い通りになる天国ではない。結婚の課題は、通常の対人関係の課題となんらかわらない。夫婦は、相手を喜ばせることを喜びにしなければならない」

結婚は天国か?「愛と結婚を、あらゆることが欲求通りに起こる天国であると考えるのは違っている」とアドラーは言っていますし、その通りだと思います。

しかし、相手のルックスや社会的地位などにのぼせ上り「恋に落ちた」カップルは「結婚は天国であるに違いない」と思いがちです。

恋愛と通常の対人関係をあたかも別物であるかのように勘違いしてしまうのです。

結婚の現実しかし、結婚生活を長く続けた人はわかるはず

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「共同体感覚がない人に、地球はこう告げている。『地球上におまえたちの居場所などどこにもない。とっとと消え去れ!死に失せろ!』」

「共同体感覚がない人に、地球はこう告げている。『地球上におまえたちの居場所などどこにもない。とっとと消え去れ!死に失せろ!』」

らしからぬ過激な台詞「立ち去れ!死に失せろ!消え去れ!」

穏やかなアドラーらしからぬ言葉ですよね。
しかし、これは本当にアドラーが表現した言葉です。

「共同体感覚がない人を、地球や宇宙は激しく否定している」とアドラーは辛辣に表現しました。

誰も共同体感覚なしに生きていけない、と断じているのです。

対人関係が苦手な人は価値がないのか?ここまで断言されると、「対人関係が苦手な技術者や芸術家はど

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「あらゆる失敗は、共同体感覚の欠如に原因がある。協力する能力が低いから失敗するのだ」

「あらゆる失敗は、共同体感覚の欠如に原因がある。協力する能力が低いから失敗するのだ」

失敗=共同体感覚の欠如「われわれが失敗と呼んでいるものは、すべて共同体感覚の欠如を示している」とアドラーは述べています。

「あらゆる問題は対人関係の問題である」以上、「あらゆる失敗は対人関係の失敗である」のは当然のことです。

そして、対人関係の成功、失敗を測る尺度は「共同体感覚」にあるということです。

実はシンプル共同体感覚があれば、人生は成功し、それがなければ、人生は失敗する。
それがアド

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「共同体感覚とは、他者を助け喜ばせることに、喜びを感じる心。奪うことよりも与えることに、喜びを感じる心」

「共同体感覚とは、他者を助け喜ばせることに、喜びを感じる心。奪うことよりも与えることに、喜びを感じる心」

season2も折り返し地点に到達しました。
毎日頑張っています!

それでは今日も張り切ってまいりましょう!!

共同体感覚とは共同体感覚とは「他者を助け喜ばせることに喜びを感じる心」であり、「奪うことよりも与えることに喜びを感じる心」です。

「どれほど援助し、促し、喜ばせる用意があるかを調べれば、人の共同体感覚を容易にはかることができる」とアドラーは言っています。

人が幸福に生きるためには

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「共同体感覚は、心の正常さと幸福のバロメーター。導きの星である」

「共同体感覚は、心の正常さと幸福のバロメーター。導きの星である」

共同体感覚はバロメーターアドラーは、人を評価、判断する様々な尺度に「勇気」と並んで「共同体感覚」を繰り返し用いています。

つまり、共同体感覚の「あり」「なし」で人を分類し、共同体感覚の「多い」「少ない」を正常性のバロメーターとしたのです。

共同体感覚を重要視したアドラーその分類は、「正常」「異常」「幸福」「不幸」の別にとどまらず、共同体感覚のあるなしで「成功」「失敗」も決まれば。「善」「悪」ま

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「勇気は共同体感覚の一部である。アドラー心理学で最も大切なのは、勇気と共同体感覚の二つである」

「勇気は共同体感覚の一部である。アドラー心理学で最も大切なのは、勇気と共同体感覚の二つである」

勇気とは「勇気は共同体感覚の一面である」とアドラーは言っています。
それは、勇気の定義を確認すれば、自ずとわかることです。

勇気とは「自分は課題を解決でき、他者に貢献することができる(能力がある)」という感覚と「他者は仲間であり、自分には居場所がある(価値がある)」という感覚です。

この「能力がある」「価値がある」という感覚は、二つとも、他者との調和が前提となっています。

共同体感覚とは共同

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