「『自分は集団なしには生きていけない』と認め、『自分は全体の一部である』と考える人だけが共同体感覚を高めることができる」
共同体感覚の定義
アドラーは共同体感覚について、さまざまな角度から定義しました。
そのひとつが「個人は全体の部分として生きる」ことです。
全体とは共同体を指します、
つまり、共同体感覚がある、ということは「自分よりも大きな団体、組織、社会、宇宙に自分が所属し、その一部である」ことを認め「一部として生きる」ということです。
全体主義ではない
では、私たち個人は、国や社会の「歯車」として、自分を殺して生きていかなければならないということでしょうか?
まるで全体主義ですよね。
全体主義を辞書で調べると
1.個に対して全体を優先させる主義。
2.個人の権利や利益、社会集団の自律性や自由な活動を認めず、すべてのものを国家の統制下に置こうとする主義。独裁や専制政治などと同義に用いられる。
とあります。
まるで、戦前の日本やナチスドイツのようですね。
でも、アドラーは全体主義を唱えているわけではありません。
全人類の理想
アドラーが定義する共同体とは、具体的な組織ではありません。
それは抽象的な概念です。
「現在ある共同体や社会」ではなく「全人類の理想的な共同体、進化の最後の完成を意味する目標」を共同体と定義しているのです。
ですから、ここでいう全体とは「あらゆる人、生物、宇宙が幸せになる理想的な架空の世界」のことです。
私たちが「全体の一部として生きる」ときの全体とは「人類の理想」のことなのです。
決して目の前にある小さな会社や組織のことではありません。
戦争経験者
アドラー自身も、第一次世界大戦に医師として従軍して、悲惨な体験をしています。
戦争をはじめとする、弱者が虐げられる世の中をどうにかしたいと、社会主義運動にも関わりますが、ロシア革命の現実を目の当たりにして政治に絶望し、心理学からのアプローチで全ての人々が幸せになる道を探求したのでした。
みんなで幸せになる
共同体感覚の発揮とは、目の前の組織の言いなりになることではなく、「みんなが本当に幸せになるにはどうすればいいだろう?」と考え、行動することなのです。
実際に、全人類がそのように考え行動したら、理想の世界が訪れると思いませんか?
実践は極めて困難だとは思いますが、そんな日が来ることを信じて、まずは自分から行動したいと思います。
目の前の組織の歯車になるのではなく、人類の理想をもとに考え行動しよう。
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