「個性を殺し自己犠牲を続けるのか?そうではない。個性を発揮しながら、共同体に貢献する。両立は可能だ」
誤解されがち
共同体感覚は誤解されがちな概念です。
「全体の一部として生きる」ことは、あたかも「個性を殺し」「我慢して」「犠牲を払う」ことのように見えるからです。
しかし、それはアドラーの意図するものではありません。
そのような人は「バランスの感覚を失い、社会に過度に適応した人」だと指摘しているのです。
逆もまた真なり
しかし、逆もまた真なりです。
「まず何よりも自分自身の利益を守ったり、あるいは、自分自身の個性を強化すること」が優先だという指摘に対してもアドラーは明確に「ノー」と言っています。
どうすればいいのか
では、どのようにすればいいのでしょうか?
著者は「個性の発揮と共同体感覚の発揮は両立し得る」と言っています。
私は、妻をどのように喜ばせようか?とよく考えますが、この考えることが「個性の発揮」そのものだというのです。
相手をどのようにして喜ばすかは、数多くの方法があります。
そこに自ずと個性が発揮されるというわけです。
そして、相手を喜ばせることに自らが喜びを感じる。
それは共同体感覚の発揮です。
この二つは両立しているのです。
ささやかな喜び
妻は甘いものが大好きです。
そんな妻のために、最低週1回は仕事帰りにスーパーやコンビニに寄って、新発売のアイスをチェックしています。
そして目ぼしい商品があったら買って帰ります。
アイス1個でも喜んでくれる、そんな妻の姿を見ることが私の幸せでもあるのです。
寒い冬の北海道の暖かい家の中で食べるアイスは格別ですよ🍨
得意を仕事に生かす
「自分の得意な仕事を通じて、顧客を喜ばせること」もまた、個性と共同体感覚の発揮を両立している、と言えるでしょう。
私は他者とのコミュニケーションを得意としているので、患者さんからの様々な要望を迅速に理解して、その要望に応えて喜んでいただけることが、私の喜びになっています。
このように、個性と共同体感覚の発揮を両立させる方法はあるのです。
個性を発揮し、自己利益を尊重しながら、同時に共同体感覚を発揮しよう。
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