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美しさの中に潜む恐怖-それでも海は蒼く心を癒す-

夏休み約5年ぶりにふるさとに帰る。「何もない」と思って育ってきたそのふるさとは、この頃テレビでもよくとりあげられている。そして、いつの間にか出身を聞かれると「いいとこですよね!!」と言われるほどメジャーになった。

しかし、島をでたことがなかった頃の私は、その景色が日常だった。いいところなんて微塵も感じたことは、なかった。

目の前に海が広がる漁師町は、私の親に限らず、ほとんどの大人が漁業・牡蠣養殖など海に関わる仕事をしていた。スーツを着て仕事をするような大人は公務員くらいだろうか。

今現在私は、島からは離れた海ひとつ見るのにも車で数時間離れた場所に住んでいる。「私の海への思いについて」そして、「これから夏休み海に出かける人に向けて」私の幼き頃の体験が届き楽しい夏休みが過ごせるようになればと願いながら書いていきたい。

海と幼い頃の私


これが、いかだです。

親の職場

そんな私にとって、海は単なる親の職場であった。「夏はただただ暑く、冬はただただ寒い、逃げ場のない地獄の場所。」

保育園はあったが、16時前に迎えに行かなければいけないルールは親にとってみれば使い勝手が悪い。その為、私たち子どもたちは、みな職場のいかだの上で過ごすことが日常であった。元保育士の私からすると、なんとも危険しかないぞっとする話だ。

その予想通り4歳の頃、「落ち着き」というものをどこかにおき忘れてきた私は(今だに探してます)「いかだといかだの間をジャンプする」というスリル満点のあそびを手に入れてしまう。
何度か挑戦し、成功した私は自信をもつ。そして、明らかに自分の力量を超えたいかだジャンプをした結果・・・まっさかさまに転落。

そう、溺れた。

大人たちの見守りがない遊びをしていた私は大ピンチを迎える。

かろうじて沈まず、いかだのロープにしがみつく。必死だ。だってこのロープを離せば私は確実に死ぬ。

「わー!!」と泣きながら、何度も何度も叫んだ。

しかし、助けはこない。
終わったと思った。船が通るたびに波の勢いでイカダとイカダが私を挟み私の背中は傷ついていく。

服が重い、背中がひりひり痛い。
少しずつ、記憶が遠のいていく。

顔が海に浸かりかかる頃に、遠くから聞いたことのある声が聞こえてきた。

「なんばしよっとか!!しっかいせんか!!手ば出せ!!」と真っ黒な手が私をひきあげる。
普段は、寡黙で何を考えているか分からない父の姿がそこにあった。

そう、溺れている私がいないことに1番に気付いたのは、父であった。

保育園生活のスタート

それから、海=両親の職場に一緒に連れて行かれることはなく、安全な保育園という場所で過ごすこととなる。(そりゃ、そうだ)

溺れた経験と運動音痴な私は、目の前が海という環境でありながら海にいくことがなくなった。
同級生15人程度。気が合う友達もいなかった為、夏休みは家で過ごし、好きなことは、ピアノと読書になった。

海の向こう側の世界


5年前の息子と家の周りを散歩した時


いつからか、この海の向こうに憧れを抱くようになる。早く海の外にでたい。この島をでたいと考えるようになる。
狭くて、小さな島の環境が嫌だった。

それなのに人は不思議なもの。家族4人で過ごす家の至る所は海を想像するもので埋め尽くしている。
理由なんてない。どうしてだろうか。
ただ、ただ、落ち着く。私のルーツなのだろう。

初めて島をでて、島以外の海を見た時、「どぶだ」と思った。それでも、その地域では美しい海で有名な海であった。

そう、レベル違いの島の美しさが、あの青さが、わかったのは島を離れてから。それが、非日常となってからはじめて気付いたのだ。
そして、私は、海が好きなんだということも。

自然の怖さを海から学び、自然の楽しさも海から学んでいた。
私の人生の全ては、海から学んでいることを改めて気づく。

5年ぶりにあの蒼さと出会える喜びを



何度も言う。大好きなんだ。産まれたふるさとのあの蒼さが。
何かあれば、海を見に行きたい。元気をつけたければ、海鮮丼を食べたくなる。
海のポッポーという音が目覚ましがわりだったあの日常を味わえる喜びを。

いつかは、海の近くで生きていきたいと思っている。
私が私らしく入れる場所は、都会の雑踏ではなく、波の音がBGMになるような場所。
いつも臭くて、嫌だと思っていた父親がスーツをきているとやっぱり父は漁師のカッパ姿が一番かっこいいと思っていた。

最後に


NHKの朝ドラにもとりあげられ、今現在も漫画が実写化された島に来る方がきっとこの夏はふえるに違いないだろう。
そこで、どうか知っていてほしいことがある。

私は父に命を救ってもらったが、救えなかった友人もいる。

海は、美しい。だが、残酷でもある。地元の人々特に漁師はそれを嫌と言うほどわかっている。地元の人々が「今日は出ないほうがいい、波が高くなる」と言う言葉をどうかよく聞いてほしい。

そんなに長居しないのに、高い交通費や宿泊代。そして、台風がくれば何もできず旅が終わる。
「もったいない」その気持ちもよくわかる。
でも、自然の怖さを侮らないでほしい。

私は泳げないので、見ているだけで十分楽しめる旅にできる。ないなら、楽しみはつくれるはずだ。もう誰も海のせいで、悲しみに包まれないでほしい。亡くなった人を引き上げる時の漁師たちの表情は見るに耐えない。本当に辛いものだから。
海を楽しく、幸せなものとして、うけとめていけるように。
どうか安全を確保して、子どもたちから目を離すことなく楽しんでほしい。



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