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自分語り 〜喜びは倍に。悲しみは…


目の前の人が喜んでいると、その喜びをそのまま自分も味わう。そしてさらに、味わった自分自身が喜ぶので、喜びは2倍になる。

美味しいもの、素敵な場所…私は、自分がいいと感じたものはつい誰かにしゃべりたくなるほうだ。

自分はどうしてこうなのかと思ったら、共感力も影響していたらしい。
自分がいい気分になるものを人に伝えると、他人の喜びも倍になる気がして、つい話したくなってしまうのだ。
実際には、相手は同じことに同じようにいい気分になるとは限らないし、そもそもエンパス のような感情の受け止めがなければ、簡単にそんなことにならないだろうに…。

それだけ、自分はいつも他人の感情を一度丸呑みしているんだなと思う。

喜びは倍に。
そして、悲しみや苦しみは…やっぱり倍に(苦笑)。

エンパスがありのままでいると、おそらくこうなると思う。

喜びが倍になったら、悲しみや苦しみも区別なく簡単に倍になるのだ。
他人の悲しみや苦しみが自分の中に入り、とにかく悲しくなる。苦しくなる。
そして、こんなに悲しいなんて苦しいなんて、とそれを味わった自分が悲しくなり苦しくなる。
他人と自分のものと2人分味わう。

苦しみは悲しみは半分に。世間ではよく言われる。

半分になるのは、苦しみや悲しみを相手が身体の中で受け止めるのではなく、
重さが軽くなるように目の前で一緒に抱えるからだ。

同じ苦しみや悲しみを丸呑みして味わって打ちのめされては何もできない。

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以前書いたように、私は、親に対する共感を強いられるような環境にいた。
そこから脱出したいという気持ちはなかなか湧いてこなかった。

親の気持ちにひたすら共感する環境で過ごすことが出来てしまった理由。
それは、親が喜ぶことで自分が嬉しくなったから。
親の悲しみや苦しみを感じることでこんなに悲しんでいるんだ苦しいんだ、と自分事のように体験して、悲しみ苦しむ人から離れる気がしなかったから。

実は、そうして自分が親の感情を抱えている割には、自分自身が悲しい苦しいというとき、親がそれを一緒に感じてくれる様子がなく、嬉しいときも、さぞ喜ぶだろう、と想像したことは起こらず…あれっ?と小さな違和感はあった…。
でも、その違和感は当時気づかないほど小さなものだった。

そしてその後、私は援助職として活動するための学びを続けたり実際に活動することで救われた。目の前に苦しみや悲しみを抱える人がいても、かなりコントロール出来るようになった。

コントロールしたい、コントロールする自分を選んでいったのは、とにかく目の前の人を救いたいと思ったからだ。
一緒に苦しむだけでは共倒れになる。それを避けたかった。

今のところ、目の前の人の苦しみや悲しみを半分だけ呑み込んで、一緒に抱えたり、本人が抱えていけるような言葉なり具体的な行動を提案したりするパターンが多い。片足は自分の靴を、一方には他人の靴を履いて立っているような感じ。

自分が助けるポジションにいないとき、つまりプライベートのときは、苦しみや悲しみを感じる相手は選ぶ。
共にいられないときは静かにその場から距離を置くこともある。

こうして自分をコントロールすることの副作用は、ちょっと冷たい自分を感じることだ。寂しいと思うこともある。
でも、そんな自分もよし、とする。

本当のところ、以前はそこまで自分をコントロールしたいと思っていなかった。

誰よりも他人の感情がわかるエンパスなのに、コントロールしてしまったら喜び倍増の機会も失ってしまう気がしたのだと思う。
それに、共感しない自分を想像したら、ずいぶん冷たい嫌な自分になりそうだったからだと思う。

コントロール出来る自分になる怖さがあった。
エンパス は共感力による大きなギフトをいつもどこかで味わっているからこその、それを失うかもしれないという怖さだった。

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もちろん今も、他人の苦しさや悲しみを自分の中で感じやすい。
だから疲れやすい。
でも、誰とどこと構わず、2人分の感情を味わうのはやめた。

もし、共感力が高い、高すぎると思っている人が、その能力をコントロールしたい場合、どうしたらいいか?

私なりのおすすめをひとつ書き留める。

自分のため、と考えてコントロールを試みると、エンパス の自分軸はそもそも弱々しいから、その決意はまもなく折れると思う。
だから、苦しむ人を助けられる自分になるため、といったように、人のためだけど自分のためでもあるような決意がおすすめだ。

そしてそのとき、特定の誰かのため、とはしないこともポイントだ。

なぜなら、特定の人のためとした時点で、その人の気持ちや感情を常にキャッチしながらことを進めていって、延々に自分のためというところまで辿りつくことがない。
不特定の人を相手としたほうが気が楽に保てるし、不特定の誰かのためだから、むしろその取り組みは長期戦になる。よりよい自分を維持しようという理由が出来る。

ある程度コントロール出来たなら、ちょっと冷たい自分、ちょっとした寂しさを感じながらも、喜びは倍増。悲しみや苦しみは半分呑み込むほどリアルに味わっても、きっと目の前で一緒に抱える力がある。
リアルに知るから、本当にその人に必要な言葉をかけたり、提案が可能になる。

周りと味わう喜びはそのまま倍に。
悲しみは半分に。

私の理想のエンパス 像だ。

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