エンパス の基準〜じぶん時間〜
はかり、ものさし、をはじめとして、いろいろな物事をはかる基準が世の中にある。
役に立つのは、自分にとってわからないことをはっきりさせたい時だ。
私たちは、人に対しても、分からない→分かるに変えたくて、
しかも出来れば容易くそうしたくて、結構意識しないうちに、ものさし的なものを使ったり、カテゴリー分けをしたりしている。
体型だったり、年齢層だったり、出身地域だったり、学歴だったり。
他人にも自分にも当てはめてみて理解しようとする。
共感力の強い人はエンパス、というカテゴリーが存在してくれているお陰で、共感力が強いとはいえない人と分けて理解することが出来る。
でも、さらにその具体的中身や基準となると、曖昧だなと思うところもたくさんある。
最近、コロナのせいもあってか、時間の過ごし方についてあれこれ思いを巡らせていて、時間という切り口はエンパス理解のためのものさしになるんじゃないかと思った。
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■ 自分の時間と他人の時間
エンパス にとって、「じぶん時間」は自分のエンパス具合をはっきりさせるために使える基準のひとつになるのではないかと思っている。
私がここで考えている「じぶん時間」とは、自分のことに集中している、自分自身を感じている、自分のための時間ということだ。
この「じぶん時間」は、私のようなエンパスがさほど意識せず日々の時間を過ごしていると、たぶんかなりわかりにくいのだ。
いつもの生活を振り返ると、「じぶん時間」そのものはそこそこあるんじゃない?って思ってしまうかもしれない。
だって、何にもしてない、ぼーっとしてる時間もあるし。
結構だらだらしているし。
これは私だけのことなのかもしれないのだけど(苦笑)
でも、実は体はゴロゴロしながら、頭の中は他の人の気持ちに飛んでいっていたりする…
こう言うと、あるある、というエンパスの人は多いと予想する。
きっとあの人はこんな気持ちだろうとか、憶測がありつつも、かなり自分のことのように感じていたりする。
そんな風に考えている自分は疲れたな、人のことばかりで嫌だ、今の自分はきついな、だから今の自分はこれをしたい、あれがしたい気分ってなってなっていかない時点で、おそらく自分の時間を持てていない。
他人ありきの、他人由来の時間に過ぎない。
今の自分のための時間がどのくらいあるかを確認してみる。
「じぶん時間」
案外少ないことに気付くかもしれない。
少ないことに気づく。
すると、それは「じぶん時間」を基準とした自分関連情報そのものになる。
そして、その先の理解につながる。
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エンパスは共感力の強さゆえ、意識的にも無意識的にも本来自分のための時間を他人に割くことになることが多い。
エンパス体質の人は「じぶん時間」不足傾向の人といえるかもしれない。
エンパス であること。
「じぶん時間」不足であること。
結果、自分関連情報の不足であること。
それを知ったら、知ったことをどう活かすか。いかに自己コントロールしていくか。
私自身は、エンパスと知り、「じぶん時間」が不足しがちと知り、今は、決して得意とは言えない綴るという作業を、日々自分と向き合いながらこうして何とか続けている。意識して「じぶん時間」を増やしている。
それにしても、ビタミン不足、鉄分不足…体にとって不足するものには敏感なのに、自分の感情感覚をより健康的に保つための、「じぶん時間」不足していたとは!
なかなか栄養バランス意識高い系の食いしん坊じゃない?と自負していた私にとって盲点だった。
私はエンパスと思う人は、自分の健康管理リストに「じぶん時間」も最初から設定しておいたほうがいいかもしれない。
「じぶん時間」不足にご注意を!
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