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おおかみしょうねん (上)

昔の話だ。
ここではない他の国の、とある少年の話。


とある国のとある町。
その町の丘の上に、羊飼いのアイオロスという少年が住んでいた。


おおかみがでたぞっ!
おおかみがでたぞおお!!

13歳のアイオロスは、町に駆け降りてきて大声で泣き叫ぶ。

たすけてぇ!
みんなたすけてぇ!!!
羊たちがくわれちゃうっ!
おおかみがでたぞおっ!
おおかみがでたぞおおお!!


アイオロスのその泣き叫ぶ姿を見て、大人たちは、「ただごとじゃない」ことを察する。大慌てで鋤や鍬や大鎌を持ち、アイオロスの住んでいる丘の上まで駆け登る。


十数人の大人たちが、丘の上にたどり着くと、羊たちは、のほほんと草を食んでいる。のどかで平和で幸せな、放牧の景色だ。大人たちは、景色を見渡し、ぽかんとしている。


お、おい、アイオロス…お、狼なんて、いねえじゃねえか…まさか…また……嘘ついたのか?

アイオロスは、腹を抱えて笑う。狼なんて最初からいなかったのだ。大人たちは、舌打ちをしたり、小言を言ったり、やれやれと言ったりしながら、ぞろぞろと町へ帰ってゆく。

アイオロスは、帰ってゆく大人たちを眺め、大笑いする。




大人たちが帰ったあと、アイオロスは、羊の一匹一匹に話しかける。
羊たちは、容姿も違うし、鳴き声も違うし、首輪のベルの音も微妙に違う。

このベルは、アイオロスの父の手作りのベル。新しい子羊が生まれるたびに、鳴き声を聴き、どんな音色のベルがいいか考えてから作っていた。
それを、母が羊の毛で編んだ首輪に縫い付け、羊の首に結んでやる。


めええ

からんからららら
からからがらん

めぇえええええぎええぇ

けらけらけらん
ころかろん

めぇええいえええ

羊たち、一匹一匹、ぜんぶ違う。

草原に仰向けになって目をつむり、父の作ったベルの音を聴き、あいつ今日は、あんなに遠くまで行ってるのか。とか、あれれ、あの子は歩くのが遅いから今日は元気がないのかな。とか考える時間がアイオロスは好きだ。

それらの音色は、両親がまだそこにいるかのような、そんな気にさせてくれる。



日が暮れると、家に入る。ちいさな暖炉に火を灯し、昨日の野菜スープを暖める。

暖炉を、眺めると、火が揺れて、いろんな情景が湧き上がってくる。思い出したくない、思い出。アイオロスは、唇を噛む。

どうやら、何十分も経っていたらしい。ふと気づくと、鍋のスープが、激しく沸騰していた。慌てて火から鍋を離し、器にスープを注ぐ。

窓際に座り、星を見て、パンをかじり、スープを木匙ですくう。

静かな、ひとりの夜。




おおかみが出たぞ!
そう言って何度もアイオロスは、大人たちを騙し、笑いつづけた。

大人たちは、なんとも言えない困った顔をして、帰ってゆく。



ある朝のこと。


ドンドンドン!!

火事なの!

ドンドンドドドン!


大火事なのぉっ!!
町が焼けちゃうんだよおぉっ!


玄関を叩きながら、だれかがそう言っている。

アイオロスが寝ぼけ眼で玄関を開けると、町のパン屋の娘パルカが、髪の毛を乱して泣いている。

「ど、どうしたの…」

「火事なのっ!!!!!早く町へ来て!!!!!!助けてっ!」


アイオロスは慌てて服を着替え、町へ駆け降りる。


そして慌てて町の大人たちに、

「火事はどこですかっ!!!」

と訊ねる。


大人たちは答える。

「…え?火事?どっかで火事がおきてんの?さあ…知らないけど…」


アイオロスはぽかんとしている。大人たちは、首をかしげて彼を見る。

アイオロスは気づいた。
パルカは、嘘を言ったのだ。


なんでこんなことをするんだ…
パルカに起こされなければまだ沢山寝れたのに!

アイオロスは怒りが湧き上がってくるのを感じながら、丘を駆けのぼった。

自分の家の煙突から、煙が立ち上っている。おそらく、パルカが火を焚いているのだろう。

息を切らし、自分の家のドアを勢いよく開く。

「おい!パルカ!ひどいじゃないか!火事なんてどこにもなかった!!!僕は町で恥をかいたさ!なんなのさ!いったい!」

パルカは暖炉の火にフライパンをくべ、ちょうど目玉焼きを焼き始めるところだ。

テーブルの上には、ぶどうの枝で編んだ籠に麻の布を敷き、焼いた丸パンの上に焼いたチーズ、鴨の胸肉のハムをはさんで置いてある。その脇には、木皿が2枚。

「あ、ちょっと待ってね、いまお皿に、目玉焼き、を、っそれっ!よし、うまく乗った!見て!」

籠の木皿に目玉焼きがふたつ乗せられている。

「さて、行くよ」

パルカは、籠を持ち、家を出て、草原に歩いてゆく。

「あ!ま!まだ話は終わってないっ!」

アイオロスは顔を真赤にして、腕を組んで彼女を追う。

彼は13歳。
パルカは15歳。
体も歩幅も彼女のほうが大きい。
自然とアイオロスは早足になる。


パルカが草の上に座る。
アイオロスは息を切らし、パルカに抗議する。

「どういうことだ!説明してくれよ!火事なんてなかったじゃないか!君のおかげで、僕の大事な朝が台無しだよっ!」

パルカは、丸パンのチーズとハムのサンドイッチを頬張る。

木のフォークで目玉焼きをちいさくして、パンに乗せる。目玉焼きがとろりと落ちる前に、またかぶりつく。

「おい!パルカ!ひどいじゃな」

パルカは、食べながら、もう一つのサンドイッチをアイオロスに手渡した。

アイオロスの腹が鳴る。

サンドイッチを受け取り、アイオロスは座る。そしてまた抗議する。

「ちょっと!パルカ!聞こえてるだろ!どういうことだよ!」


パルカは、サンドイッチを食べ終わり、満足そうな顔をする。

「それ、チーズが溶けてるうちが美味しいから、先に食べてよ」

アイオロスは、複雑な顔をしてサンドイッチを頬張った。

久しぶりに、自分以外の人が作ってくれた食事を食べる。

胸がこみあげてきて、草原の風景がほんの少し滲んで見えた。

パルカは、目玉焼きの木皿も、彼に手渡す。

「どう?おいしいでしょ?」

「は?…う、うん…まあ…」

「まあ?」

「まあ…おいしい…」

「“まあ”とかいらないんだけど。“まあありがとう” “まあごめん” こんな言葉、言わないほうが良くない?“まあ”なんて、いらないんだけど」

「う、うん…ま……あ、うんおいしい…」

「うむ。まあ、よろしい。ほら、目玉焼きも食べて」

目玉焼きを、不器用にアイオロスが頬張る。黙ってもぐもぐと口を動かす。美味しいのだろう。無心になって食べている。


パルカは、とても遠くを見ている。

「……ねえ、うちのパパは、君の両親にとっても世話になったって、いつも話すんだ。

今の俺がいるのは、あの夫婦がいつも助けてくれたからだって。
ひよっこの俺が作る誰も買ってくれない不味いパンを、いつも買ってくれたから、あの時の俺は生活できて、そして腕を磨けたって。
だから、あなたのご両親にとっても感謝してるし、そしてご両親のこと、自分の家族のことのように悲しんでる。パパも、とっても、悲しんでる」

アイオロスは、黙ってもぐもぐ口を動かす。

「だから、あなたが“狼がでたぞ”って言うと、うちのパパが真っ先にここに来るの。知ってた?」

アイオロスは、黙ってもぐもぐ口を動かす。

「でもね、パパ、心臓よくないの。お薬飲んでるの。だから、走るなってお医者からは言われてる。

私もママも、走るなって怒る。
でも、パパは、あなたの嘘を信じて走る。

ここから帰ってきた日は、一人の部屋で胸をおさえて苦しんでる、いつもだよ。

私もママも、“また嘘だからやめて!”って言っても、“本当かもしれない”って、走るの」

アイオロスは、黙ってもぐもぐ口を動かす。

「パパも、幼い頃に両親を亡くしたの。まわりの大人のおせっかいに、傷ついたこともあったみたい。だから、パパは、あなたに何も言わない。ただ、一番に駆けつけるだけ」

アイオロスは、黙ってもぐもぐ口を動かす。

「…だから、もう、やめてほしい。
お願い。もう、嘘をつかないで欲しい。また嘘をついて、もしパパになにかあったら、わたし、あなたを一生許さないから」

アイオロスは、黙ってもぐもぐ口を動かす。

パルカは立ち上がり、お尻についた草を払い、ぶどうの籠を持つ。

「そのパンとチーズとハムと卵、昨日の夜、アイオロスに持ってけ、ってお父さんが。

私は持ってかなくていいって反論したけど、持ってけって、朝飯つくってやれって。だから、持ってきた。

でも、ただ持ってくるのはムカついたから、あなたに火事だって嘘ついた」

パルカは、「また、お父さんが持ってけって言ったら、来る」と言い残し、丘を降りていった。

アイオロスは、遠くを見ながら、黙ってもぐもぐ口を動かす。



数日後の朝方。
空が白くなり、山際がマーマレード色に変わり始めた頃。


うおおおおおおおおん!
がうがうがう!
ばうわうわうわうわうっ!
うおおおおおおおおおん!


狼たちの声で目が覚めた。
窓の外を慌てて覗くと、数十匹の狼たちが、羊たちを取り囲んでいる。

アイオロスは飛び起きて、裏口から家をでて、隠れながら丘の坂道を駆け下りた。


息を切らし、アイオロスは泣き叫ぶ。

おおかみだああああああああ!
みんなぁ!!!!!
たたたたた助けてくださいっ!!!
おおかみが出たんです!!!!
助けてください!!!
羊たちが、たたた食べられちゃう!
殺されちゃうんです!!!!!

町のいくつかの窓が、ばたばたと開く。

おおかみなんですっ!!!!
本当なんですっ!!!
助けてください!!!!
羊たちが殺されちゃうんです!
助けてください!お願いです!!!

アイオロスは町の真ん中で、家々に向かって泣き叫び、懇願する。

けれども、みんな少し笑い、呆れたような困ったような顔をして、アイオロスを眺めるだけだ。

アイオロスは、砂まみれになりながら、ヨダレと鼻水と涙を垂らし、大人たちに向けて懇願する。

アイオロスにとって、羊たちは両親の面影や息吹や想いを受け継ぐ“いのち”そのものだった。

それが今、狼たちによって奪われようとしている。

「お願いします!!!殺されちゃうんです!!!父ちゃんと母ちゃんと俺が、3人で大事に育てた羊なんです!!みなさん!!お願いしますっ!このとおりですっ!!!」

けれども、強く懇願すればするほど、それらが演技のように見えてくる。

あまりにひどく泣き叫ぶので、何人かは道具を用意して家を出ようとしたが、家族に止められた。「やめときなよ…どうせまた嘘だよ…」と。


「狼がでたぞおおおお!」


アイオロスは顔を上げた。
自分ではない誰かが、そう叫んだのだ。







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