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僕と君の違いがあるのは、僕と君が生き残るために違いない。

すずめが、緑の芽吹き始めた雨上がりの地面を啄んでいる。

見ていると、同じすずめでも、様々な性格、性質がある。一番最初に飛ぶすずめもいれば、人が近づいてきたことに最後に気づくすずめもいる(どんくさすずめ、おっとりすずめ、やけっぱちすずめ、くいしんぼすずめ、学問のすずめ)。鳴き声の大きい小さいもあり、寒さや病気に強い、弱いもある。同じ種の中にも、そのように違いはある。

僕はずっと、無性生殖って最強なんじゃないか、と思ってきた。アメーバなんて永遠の命のように思ってしまう。あらゆる状況下でも、自己完結で生殖できるのであれば、最強だと僕は思う。

対して、有性生殖は、相手がいなければ滅びる。ハリガネムシの結婚も、珊瑚の結婚も、なんだか途方も無いことのように僕は思う。だから、有性生殖は、リスキーだケロ。

なんで生命の企画部署は、そういうまどろっこしいことを、生命の大半に課してきたんだろう。無性生殖は、言わば永遠の命。
なぜペアを探さねばならぬ有性生殖がこの星でのスタンダードになったんだろう。


ところで心太、今朝、雑記草さんの記事を読んだ。雑記草さんは昔、インターネットに投稿した文章を、日々noteに移行させている。


 生物の進化とはその体の構造の複雑化とすれば、魚類や両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類で行われている有性生殖は無性生殖の進化の結果だろう。無性生殖であれば相手を見つけることなく自分一人で増えていくことが出来てすこぶる便利である。何故、わざわざ有性生殖に進化していったのだろう。
 無性生殖は、親の複製なので生きている環境が変化すると受け継いだ遺伝子の情報だけでは対応しきれなくなる可能性がある。そこで他の環境で生きてきた別の個体の遺伝子情報を取り込むことで、環境の変化に対応するために性が分化*6したらしい。


無性生殖は、変化に弱かった。
一つの環境しか生き延びてきた事がないので、環境に対応する為の情報が少なすぎたのだ。

けれども有性生殖は、自分の知らない環境で生きた個体の遺伝子を取り込み、来たるべき未来、今より順応できる種になる為に、それぞれの違いを受け入れてきた。

生き延びる為には、違いが必要だった。
自分は知らない未知の別の情報が必要だった。




1月に、ことば展覧会というものを開いた。
noteのみなさまの言葉に対する考えを、みなさまに書いて頂いた展覧会。

その展覧会の作品、全てを読んで僕が思って、感じ、学んだこと。それは、言葉は本来、暴力の反対であったはずだということ。

略奪や暴行は、無言で行える。
奇襲もだまし討ちも、言葉なく行える。
だから言葉とは元来、理解し合うために生まれたものだったように思う。宣戦布告にしても、言葉を変えれば「ほんとうにいいんですね?」ということになるのかもしれない。


この前、あきやまやすこさんが、偏見に対する記事を書いていた。日本の田舎の片隅にフジツボのように生きている僕からすれば、街を歩いていて誰かから暴言を吐かれる、明らかな敵意を向けられる経験はない。だから、結構、衝撃を受けた。

買い物していて暴言を吐かれる世界線がこの星にある。そもそも、人種が違うだけで買い物ができない世界線もある。いや、厳密に言えば、この僕のいる世界線に、それがある。

日本が本当に平和なおかげで(もちろん日本人が他の国籍の方々にこういうことをしていることもある。だからその人達にとっては、この国は平和でもなんでもないのだと思う)、少なくとも僕はそういう経験はない。

人は、人が人らしい暮らしを始めた頃から、人と人に「違い」をつけ、壁を作ってきた。現に、日本の最古の戸籍にも、奴婢という奴隷が存在している。

それぞれの違いを「宝」として生き延びてきたはずの生命は、何千年も前から、違いを積極的に「排除スベキモノ」と変換してきたようだ。

違いによって僕たちは生き延びてきた。それならば、太古のご先祖に倣い、それぞれの違いを、優しく手にとり、見つめてみる時間が必要なのかもしれない。大事なのは拳ではなく、手のひらである。

コメントくれたらうれしいケロよ。

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