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アメリカにMBA留学した時のお話(その1)

今日は、以前自己紹介で簡単に触れた、海外MBA留学の話をしたいと思います。

このお話、恐らく一度で書こうとすると、相当の文字数になってしまうと思いますので、何回かに分けてお話します。
(今回だけでも5,000文字以上あります。)

1.海外事業担当部署への異動

私がアメリカにMBA留学するきっかけとなる出来事が起きたのは、今から22年前のことです。

新卒で入社した一社目の会社に入って5年目の事でした。
7月の人事異動で、私は千葉県のとある現場職場から、東京の本社に異動となりました。

これが私にとって、初めての転勤を伴う異動でした。

入社から約4年半の間、私はずっと千葉県内のある地域を管轄する第一線現場で設備の保守や工事などの仕事をしていました。

結婚して2年目となり、アパート暮らしにも慣れてきて、近所のお得な店に買い物に行ったり、週末には車で小旅行に出掛けたりと楽しい毎日を過ごしていました。

その頃の現場職場はアパートから自転車で10分ほどの場所にあり、毎日の通勤は、上は私服、下が作業ズボンという、何とも楽ないでたちでした。

当時の私は、そんなほのぼのとした毎日の生活が、この人事異動を境に今後の人生を変える出来事に繋がっていくとは、全く想像していませんでした。

辞令を受けた異動先は本社のとある建設部門で、その中の海外事業を推進する部署でした。

海外事業を推進する=英語が必要!

ということは直ぐピンときました。
ですが・・・

なぜ自分がそんな部署に異動になったのだろう?
そもそも英語なんてろくに使えない自分がなぜ選ばれたんだろうか?

全く意味が分かりませんでした。

2.入社当時の私の英語力

この会社に入社した年に、大卒・大学院卒の新入社員は全員、TOEICの受験を義務付けられていました。

会社に召集されて団体でTOEICを受験するIPテストというものです。

「まさかそんな英語のテストを受けさせられるなんて聞いてないよ!」

4月に入社して、そのテストが実施されたのが確か6月だったと思います。

入社後は様々な研修があり、研修が終われば毎日のように同期と懇親会(飲み会)をやっていましたので、テストの準備など全くやっていません。

それでもせめてTOEICの参考書や過去問を買って、少しでも見ておけば良かったものの、当時はまさか、「純国内業務」の典型みたいなこの会社で英語が必要になるなんて思ってもいませんでしたので、「会社に入れば英語は使わなくて良くなる!」

と、完全に決別できると安心しきっていたため、全くやる気が起きませんでした。

しかし、確かにこの会社にも、英語を使いそうだなぁ。という部署があることは何となく聞いていました。

「本社に、国際部という部署があるらしいけど、まあ、自分には関係ないな。きっと、ごく限られた、帰国子女みたいな英語ベラベラの人が入る部署なんでしょ。」

なんて、自分とは全く無縁の世界と思っていました。

結局、何の準備もすることなくIPテストの当日を迎え、見事玉砕したのです。

テスト結果は480点(990点満点)

その当時は、TOEICで何点取ればどういうレベルなのかすら知りませんでした。

そんな訳で、

「この点数を見て英語を使う部署に異動なんてありえないだろう。現場の仕事もそれなりに楽しいし、今住んでいる街の事も色々分かるようになってきたから、ここで暫くは楽しく生活しよう。」

などと、完全に無防備な状態でした。

英語について、中学、高校時代はどちらかというと好きな科目ではあったのですが、私が学生だったころの英語は、文法とリーディングに重点が置かれていた時代でした。学校の定期テストにはリスニングは有りませんでしたし。

このため、文法とリーディングに関しては、受験勉強でやっていたため、大学入試センター試験ではまずまずの点数を取っていました。

また、私は理系で大学受験では工学部を受けたため、受験生の多くは数学や理科が得意科目の人が多く、英語の点数はさほど取れなくても、数学や理科の点数でカバーして合格するというのが典型的なパターンでした。

ただ、私の場合は理系のくせに数学の点数があまり取れなかったため、むしろ英語の点数で救われた。という特殊なケースでしたが。

受験英語までは何とかなりましたが、その後大学に入ってしまうと、英語は教養部の2年で終了、その後学部の2年間、大学院前期の2年間は英語の授業はありません。

このため、海外の学会に研究論文を発表する機会でもない限り、英語を使うのはせいぜい海外の論文を読む時くらいで、英語を聞くこと、話すこと、書くことは4年間ほとんどやっていませんでした。

4年間も実用的な英語を使っていなければ、大学受験までに叩き込まれた英語能力もどんどん低下していくのは当然のことです。

そんな訳で、第一線現場の同期や先輩達が殆ど受け取ることのない、本社の海外事業関連部署の辞令を受け取った私は、理由が分からないながらも少しばかり優越感に浸りつつも、全く話せない英語を日々使うであろう新しい職場での生活のことを想像し、「ちゃんとやっていけるのだろうか?」と不安を感じていました。

3.本社着任後の日々

異動辞令が出てから、折角生活に慣れて楽しくなってきた街のアパートから、千葉県内でも東京に近い地域にある社宅に引っ越すことになりました。

会社に入社して以来、初めての社宅暮らし。
入居した社宅は築年数が10年ほどの比較的新しい低層マンションのような外観でした。とはいえ、中は、「ザ・社宅」という感じの、よくあるタイプの3LDKの間取りでした。

社宅から最寄りの私鉄線の駅までは、平坦地を歩いて7分ほど。
そこまではいいのですが、この路線、通勤時間帯の混雑度合いが半端ではありませんでした。

私が乗車する駅では既に座席は一杯、つり革につかまれればラッキーという感じで、次の駅に着くと既につり革にもつかまれません。

もう1、2つ先の駅に行くとドア付近はぎゅうぎゅう、車両中ほども乗客同士が密着し、カバンから手を放しても床に落ちないほどのすし詰め状態です。

会社最寄り駅に着くと、既にもう一仕事終わったかのような疲労を感じました。通勤はほぼ毎日こんな感じで、今住んでいる街よりもはるかに都心に近い場所ですが、今でもあの路線沿線には絶対に住みたくありません。

着任した部署は、課長級と係長級の上司が一人ずつ、担当は私と、私より2年入社の早い先輩の4人だけの小さなグループでした。

この課長と係長は、物腰は柔らかいものの言葉の端々に何となく、「自分達がこの部門で誰よりも海外の事を知っている。他の連中は自分達の足元にも及ばない。」という感じで人を下に見る態度が鼻につく、癖の強い人間でした。

課長は頻繁に海外出張に行っているらしく、何かと現地での自慢話をし、係長はイギリスの名門大学院に留学経験があるようで、表向きは慇懃話し方をしているのですが、課長と私と3人になると、何かというと海外に行ったことのない人間たちを小バカにしたような尊大な言い方をしていて、自分の事を言われている訳ではなくても、聞いていていい気分ではありませんでした。

ある日、私はその「英国帰りのインテリ係長」から、

「今後海外に事業を展開するために、部門の社員全体の英語力強化プログラムの企画・運営を担当して欲しい。」

と指示を受けました。

プログラムの大枠については既にその係長が企画書について、部門責任者まで承認を貰っていたため、私はその具体的内容の企画と運営を任せられることになったのです。

部門には全体で100名近い社員が在席していました。
係長から、在籍社員全員のTOEICスコアのリストを見せられ、私は恐ろしくなりました。

自分などよりもはるかに英語の出来る社員がごろごろいます。中には既に900点以上取っている人までいるじゃないですか!

そんな人達に対して、TOEICスコアがたった480点の自分が

「もっと英語力を高めるために頑張ってください!」

なんて、恰好悪くて言えないよ・・・。

とは言え、性格の悪い係長の指示に逆らえば、自分もどんな嫌味を言われるか分からない。もう、恰好悪いなんて言っていられないので、兎に角やるしかない。と、腹をくくりました。

幸いなことに、

「君自身も運営者として、状況を管理するために、部門として購入する教材をモニターとして使ってもいいし、採用する英会話スクールのグループレッスンに参加していいよ。」

と、大きな裁量を与えて貰ったため、自分の立場を最大限利用させてもらうことにしました。

様々なTOEIC関連教材を購入し、部門所属社員に貸し出す代わりに使用感をレビューしてもらうようにし、英会話スクールの法人営業担当者と打ち合わせをして、どのようなスキルを強化したいかを伝え、それにあったカリキュラムとグループレッスンの提案を出してもらいました。

自分自身も使いやすそうな教材を自宅に持って帰り、毎晩会社から帰って来てから夜中まで学習し、グループレッスンの受講対象として部門内で選考された、特に英語力強化を重点的に行うべき、将来の海外事業担当候補の社員達と一緒にビジネス英会話のレッスンに参加しました。

ビジネス英会話については、ネイティブスピーカーの講師からの質問が良く聞き取れなかったり、質問に対する答えの英語が出てこず、何度ももどかしい思いをしました。

こんな感じで、自分の英語力は向上しているのだろうか?
と疑問を感じつつも継続すること3か月・・・。

10月に、TOEICの社内IPテストが行われました。
リスニングパートは音声が勝手に流れていくので、答えが分からなくても適当にマークシートを塗りつぶりましたが、リーディングパートはパート7の長文問題の何問かが時間切れで解けませんでした。

うーん、こんな感じだと何点取れているんだろう・・・
分かる問題もそれなりにあったけど、やはり最後の方の問題が解き終わらなかったから、あまり点数は高くないかも。

しかし、予想に反して結果は、775点。
最初にスコアシートを見た時は、自分の目を疑いました。
え?あんな出来具合でこんなに点数取れていたのか!

何と、わずか3か月の学習で、新入社員の頃のスコアから295点もアップしました。

この当時、全社の社員を対象に、本社の人事部門が英語力強化策を実施していて、初めてTOEICスコア730点以上を獲得すると、イントラネット上で所属部署、名前、取得スコアが掲載され、お祝い金を貰えるキャンペーン中でした。

このため、私も思いがけずお祝い金を頂くことが出来ました。

その後も部門内の英語力強化策は続き、私は12月に行われた社内IPテストで、今度はスコア790点を取ることが出来ました。

毎日の帰宅後の学習と、週1回のビジネス英会話グループレッスンの成果が出て、5か月で310点のスコアアップを達成しました。

振り返って、私の所属部署の課長と係長の反応ですが、課長は私が英語力強化担当を始めたころのスコアが640点だったのですが、毎回外部の正式なTOEICの試験を受験しては730点がどうしても超えられないと嘆いていました。

それが、自分よりもはるかにスコアの悪かった私がいきなり彼のスコアを追い抜いてしまったため、配属当初は上から目線で私の事を憐れむような感じだった態度が一変、一目置かれるようになり、努力を認めてくれるようになりました。

一方、英国帰りのインテリ係長ですが、彼はIPテストのスコアが835点で、まだ私よりもスコアが上だったということで面目を保ったようですが、留学経験者としては800点台というスコアが恥ずかしかったようです。

私のTOEICスコアが急激に上昇してきたのを観察し、この係長は私に対し、次なる試練を与えました。

「ここまで短期間でスコアアップできたのであれば、社内の海外大学院留学制度に挑戦してみてはどうか?」

と言うのです。

当時の社会の風潮は、「上司の命令は絶対」という時代でした。
巷では、「24時間働けますか。ジャパニーズビジネスマン!」というエナジードリンクのCMもやっていた頃です。

今の世の中、もし部下にそんなことをさせたら、上司のパワハラ、過重労働強要で、完全にコンプライアンス違反ですよね。

言葉だけを見ればやんわりとした提案ですが、彼の笑っていない目を見ると、

「お前、俺がやれって言っているのに、まさか「出来ません」なんて言わないよな?」

という、圧力を感じました。

彼が、私が社内の海外大学院留学制度候補者に選ばれる可能性があると確信していたのは定かではありません。彼の日頃の上長や後輩たちに対する態度を見ていると、

「留学経験者の自分より遥かに下のレベルの若造が、急に800点近いスコアを取って粋がってやがる。到底かなう訳のない英語の強者達に叩きのめされて恥をかけばいいんだ!」

と内心思っていたのかな・・・。

それとも、純粋な気持ちで私の事を見込みがあると思って応援したかったのか?

本心は分かりません。

しかし、私が出来る係長への答えは、

「分かりました。どこまで行けるか分かりませんが、応募してみます。」

の一択でした。

この続きはまた次回にお話します。

長文にも関わらずここまで読んで頂き、ありがとうございました。






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