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【旅】ミャンマーそろり旅1/ウー・ベイン橋は音で誘う

ミャンマーのお話を始めます。

クジラのあばら骨をつなげたように長く続く橋杭。
頭に荷物を乗せた女性が橋の上をゆっくり歩き、橋の下では家族が語らう。
そんなガイドブックの一枚の写真が、橋へといざなってくれた。

ミャンマー第二の都市マンダレーからバスで南へ40分ほど行くと、
アマラプラという町に着く。集落の不規則な路地の向こうは、
鏡のように滑らかなタウンタマン湖の広がり。
この湖に架かる全長1200mの橋が、ウー・ベイン橋だ。

橋を支えるのは1086本のチークの柱。南隣の町インワで栄えた
ビルマ族王朝が1841年の遷都の際、王宮の柱を持ち出し、
湖に橋を架けた。この橋はいわば、王宮のリサイクル建築だ。
ある一本のチークには、王宮時代のものと思われる銅のプレートが
今なお張り付いていた。

この橋は170年以上もの間、アマラプラの人々とともに湖で生きてきた。
自転車に乗った3人の少女たちが、野菜満載の竹かごを頭に乗せて運ぶ
おばさんをチリンチリンと追い抜いていく。
前から歩いてきた2人の若い僧侶は托鉢帰りだろうか。
屋根付きの休憩所にはキャンパスを並べる絵売りがいる。

幾千の顔が途切れることなく橋の上ですれ違い、
そのたびに橋板がカタカタと木琴のように音色を奏でる。

橋の5mほど下には、乾季限定の湖底耕地が広がっている。
雨季になると沈む土壌は養分を多く含み、ピーナッツやトウモロコシ、
稲が元気よく育つ。稲は仕切りを設けず、直接、湖に植えていく。
湖そのものが巨大な水田と化している。

果物やお茶を出す屋台が連なる対岸の村からの帰り際、
2人組の女性に突然「シャシンヲ、トッテクダサイ」と日本語で
話しかけられた。英語さえ通じない村の橋の上で、
日本語を聞けるとは思ってもいなかった。

一人はヤンゴンの外国語専門学校の日本語教師、
もう一人は北海道大学に留学中で春休みのため帰郷中の学生だった。

通りすがりの旅人も橋の上で出会いにぶつかる。
橋はこんなふうにして、今までいくつの出会いを生んできたのだろう。

どこか懐かしくて、でもそれがどこなのか分からない。
橋を離れ、歩き出す。
カタカタと木琴の音色が追いかけてくる。
郷愁が淡く、やさしく心にしみてきた。
(つづく)

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