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夏のしょっぱい桃20220725

今の時期になると、昔は、福島の父の実家から桃がよく送られてきた。
祖母が贔屓にしていた桃農家さんの美味しい桃だ。
段ボール箱にいっぱい。甘い香りと、赤く色づいた皮、やわらかすぎず、硬すぎず、へんな苦味も薄い水っぽさもなく、甘くて酸味があって、種の周りは真っ赤で。
桃が痛みそうで食べきるのが間に合わない時、一人ひとつ、皮付きでかぶりついて食べることもあった。
ちょっとざらざらというか、洗ってもなお細かな毛で摩擦のある皮だが、ちまちま切ってスライスごと食べるより、丸ごと豪快にかぶりついた方が美味い、という記憶があるので、私の中では、桃は皮ごと食べる果物のひとつだ。

いつだったか、普段よりたくさんの桃を祖母から送ってもらったことがあった。
ちょっとやそっとでは食べきれない量だったので、母が張り切ってシャーベットを作ろうとした。

母は料理もそうだが、菓子作りも好きで、日頃から何かとよく作ってくれていた。チーズケーキは得意なケーキの一つで、父の大好物だ。パイや型抜きクッキーは面倒だ、と言う一方で、ジャムや蕎麦クッキーは母の好物であるので、そういうものは苦もなくサクッとつくる。

シャーベットもお手の物、ということで、
たくさんの桃の皮を剥いて、種を取り除いて、身を潰して、思っているよりたくさんの砂糖を入れて混ぜて。

さて、味見、と、味見した母から悲鳴が上がった。
「なんてこと!」

なんと、間違って塩を入れていたのだ。古典的なミスだ。菓子作りが得意な母がどうして間違えることがあるだろうか。母自身もびっくりしていた。

「なんてこと!」
母は、悲しそうに嘆息しながら、決意したように砂糖を同量入れ始めた。しかし、味はどうにかなることはなかったし、なったとしても塩が多すぎて体に悪かっただろう。

母は泣く泣く、嘆息しながらそのしょっぱい桃ピューレを廃棄していた。ももシャーベットが食べられないショックよりも、その時の母の顔は、子どもながらにかわいそうで、どうにかしてあげたいと思った。
すっかり落ち込む母を父が慰めて、その年の桃は少しだけそのままで頂いて終わった。
いつも桃を見ると思い出すしょっぱい記憶だ。

今らなら、冷凍保存して、カレーのベースにしたら?とか、ニンニクと合わせてガスパチョ風にしても意外に美味しいかもよ、とか、なんとか励ましたりできるかもしれない。

今年70を超えた母は、色々記憶が飛び始めてるので、そんなことすっかり忘れているかもしれない。幸せな記憶しかないんだそうだ。
「何でも忘れちゃうのよ」
なんて母はいつも言ってるが、
「生きてれば、何を忘れても大丈夫だよ」
と私は返している。


それからしばらくして、その祖母が贔屓にしていた桃農家が閉業して、うちにも桃は送られなくなった。

この前、叔母に会った時に「おすすめの、桃買える場所ある?」と聞いたら、

「もうあそこ以外のが美味しいと思えなくてね、桃自体を買うのやめちゃった」と言われた。

確かに、直売所で買った桃も、スーパーで買った桃も、あの桃ほどは美味しくなかった。
もうあの美味しい桃は食べられないのかもしれない。まして一人ひとつ齧り付くなど。

桃を買ってはしょっぱい記憶を掘り出し、桃を食べてはあの味じゃない、と少し落胆する。

幾分損な記憶かもしれない。
でもあの桃は本当に美味しかった。


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