LEONE #55 〜どうかレオネとお呼びください〜 一章 第14話 2/3
「ご主人様」
激化していた戦いの中で、セロンがようやくその状況に気付いたのはそんな呼び声を聞いてからだった。
その聞き覚えのある声に気付いた瞬間、セロン・レオネはビル・クライドに背を向けた。
その瞬間セロンの髪を引っ掴もうとしたビル・クライドが宙を抱いて倒れたが、セロンにはそれを気にする余裕すらなかった。彼女はさっさと屋上に立ち上がり下を見下ろした。信じたくなかった、その“まさか”を確認した。
やがて彼女の口から苦痛に満ちたうめき声のようなものが聞こえた。
「レンスキー……モレッティー」
セロン・レオネは初めて自分を危機に追いやった疑問の答えを探すことができた。
誰が自分の秘密口座を追跡できたのか。レオネ家の唯一の生存者である自分を除いて、いったい誰がレオーネ家の秘密を知ることができたか。
彼だった。彼なら可能だった。数十年にわたってレオネ家に忠誠を誓った執事、レンスキー・モレッティーなら
「ご主人様」
レンスキー・モレッティーは落ち着いた声でセロンを呼んだ。
セロンは震える手で手摺りを握り、辛うじて自分の体を支えた。
彼女の目には無表情で自分を見つめているレンスキー・モレッティーが映った。
左側には余裕たっぷりの目で自分を見ているルチアーノと、その後ろに群がっている数十名の『ホワイトスカル』が見えた。右側にはカルビンが腕組みをしたままこちらを睨んでいた。当然彼の後ろには数百人の賞金稼ぎが一緒だった。
絶望的な状況だった。
ついさっきまで一触即発で対峙していた者同士が、どうして今になって一斉にここを狙っているのかわからなかった。
だがセロン・レオネにはそれよりも先に聞かなければならないことがあった。
彼女は震える声で尋ねた。
「……あなたも裏切った?」
レンスキーは静かに頷いた。
「はい、ご主人様」
「いつから……いえ、どうして……」
「話せば長くなります。ご主人様」
レンスキーは左手を胸に当て、丁寧に90度腰を曲げて挨拶をした。その姿を見てセロンはさらに強く下唇を噛んだ。唇が裂け、うっすらと血が滲んだ。レンスキーはゆっくり腰を伸ばし、もう一度頭を下げた。
「お供の上、ゆっくりとお話しいたします」
レンスキーはそのまま後ろに下がった。
セロン・レオネの目はそんなレンスキーの姿を最後まで見逃さなかった。いつの間にか起き上がっていたカルビンが彼女の背後に近付いてくるのを感じたが気にすることはなかった。
セロンは何かが込み上げてくるのを感じた。
タリアは死に、レンスキーは裏切った。
改めてこの事実を反芻すると胸が痛くなった。
ルチアーノの裏切りを知った時、一番最初に沸き起こった感情は愚かな自分に対する怒りだった。そしてレンスキーの裏切りを知った今、セロンに押し寄せた感情は、血縁に近い最後の人間までもが自分を裏切ったという悲しみだった。
それは想像を絶する苦痛であり、彼女は危うく涙を流しそうになった。
彼女の背後でしゃべり続けるビル・クライドがいなかったら。
「クソッ、今回こそ最悪だな」
背後にビル・クライドが立っていることに気付いた瞬間、セロンはサッと目元を拭った。幸い濡れてはいなかった。
その事実を知ってか知らずか、クライドは再びマヌケな声でじゃべり出した。
「お嬢様、今度こそ本当に最悪の状況です。どうしましょうか?」
「……俺に聞くな。」
セロンは声を詰まらせながら呟いた。
クライドが欄干に姿を現すと、賞金稼ぎ達は一斉に武器を持ちこちらに照準を合わせてきた。拳銃や小銃はもちろん、迫撃砲やロケットランチャーのような屋上を丸ごと吹き飛ばせる物も混ざっていた。そのうえ、セロン・レオネが知っている『アーマードスーツ』の威力なら建物を粉々にしてしまうこともできた。
文字通り四面楚歌だった。
「おい! そこの腰抜け賞金稼ぎども!」
両手の拳を突き合わせながら出てきたのはボッシー・ルチアーノだった。ルチアーノは吠えるように叫んだ。
「その女は俺のモノだ! 今すぐ渡せ」
「消えろ? このまま消えればよいでしょうか? 」
「……死ね!」
クライドはセロンにだけ聞こえる声で呟いた。
「このクソ、もう。あそこでは消えろって言わなきゃ」
セロンは怒る前に呆れて尋ねた。
「……じゃあ逃げられるのか? 」
「お嬢様さえいなければ宇宙の果てまで逃げられます」
その言葉を最後に、クライドは再び口をつぐんだ。
皮肉めいた言葉とは裏腹に、クライドは真剣な目で街の状況をうかがっていた。
はっきりとはわからないが、鎧の兵士たちが約五十名。完全武装した同業者が数百人。
空港は目の前だ。お嬢様はお荷物だが、意外に走るのは早いから数分時間を稼げれば
脱出できる可能性は高い。
もちろんその数分間を稼げないからここにいるのだが。
「ビル・クライド!」
今度はカルビンだった。
「おとなしく降参しろ。そうすれば命だけは保証しよう」
残念ながらそれはもう20億GDで売り払ってしまった。
クライドは爪を噛みだした。閃光弾はすでにさっき使ったし、その他の武器といえば愛用の二丁拳銃だけだった。せめて爆弾でもあれば騒ぎを起こすのだが……。
「クソッ。腐った縄でも一応捕まえておくか」
クライドは悪態をつきながら後ろを向いた。もしやと思い屋上のあちこちを見て周ったが、適当なモノは何も目に入らなかった。今ここにいるのは、お荷物のお嬢様とそのお嬢様が持っているほかの荷物である。
そこでクライドの視線が止まった。
やがてクライドの口から意味深長な声が出た。
「……お嬢様」
「なんだ」
セロン・レオネは疑いの目でクライドを見た。彼女はいつの間にか手すりにもたれかかり身を隠していた。
「ちょっと聞いてもいいですか?」
「……また何を余計なこと……いや、なんだ」
「20億GD、いえ取り急ぎ5000万GDだけでもいいので、もしここから脱出できたらすぐに残りを受け取れますか?」
少女の目はすでに軽蔑感で溢れていた。
「……ビル・クライド」
「いやいや、これは本当に重要な質問なんですよ? できますか? できませんか? 」
「……ふぅ」
セロンはがっくりとうなだれた。最初に会った時から大体はわかっていたが、この男はどんなに尊重しようとしても無意味な人間だった。
「……あぁ。さっき銀行でクレジットカードを発行したから、もうネットバンキングも可能だ」
「よっしゃー! 良かった。ではお嬢様」
「今度は何だ!」
「ひとまずこれを読んでみてください」
クライドはポケットからクシャクシャになった紙を取り出した。セロンはそれを受け取るやいなやすぐにその正体に気付いた。さっきの20億GDの更新契約書だった。
「……ビル・クライド」
「その下から五行目を読んでみてもらえますか?」
「……」
「もぅ、早く読んでくださいよ」
……もうだめだ。
セロンはすべてを諦めた。彼女は自暴自棄な気持ちで、ビル・クライドの悪筆を読みはじめた。
「……依頼主はビル・クライドに対して任務中の所要経費を依頼人は別に支給する」
「いいでしょう。はっきり確認しましたよ」
その瞬間クライドが動いた。
セロンは紫色の瞳を丸くしてクライドを見た。彼はスタスタとセロンに近付き、通り過ぎていった。
セロンのすぐ横の欄干の端に立って、敵でいっぱいの街を見下ろした。
彼が姿を現した瞬間、ルチアーノが再び大声をあげた。
「この野郎、何をぐずぐずしている!」
それが合図かのように、大勢の賞金稼ぎたちの野次が飛び交った。
「ビル・クライド、この野郎!」
「いますぐ降りて来い、ぶっ殺してやるから!」
「今さらあの女と一緒に死ぬつもりか? ああん?」
クライドは一切動じなかった。彼はただ静かに、冷静な目で街を見つめてるだけだった。
セロン・レオネも彼が何をしようとしているのか見当が付かなかった。最後の突撃をするつもりなのだろうかとしばらく考えてみたが、クライドの性格やさっき自分にした質問をみてもそうするとは思えなかった。それから彼女はふとクライドが手に何かを持っていることに気が付いた。
それが何かわかった瞬間、彼女は逆に得体のしれない恐怖に襲われた。
2億GDが入った鞄だった。
「ビル・クライド」
セロンはよろめきながら席を立った。
「何をするつもりだ……?」
クライドはゆっくりと彼女の方に顔を向けた。そしてクライドの顔を見た瞬間、セロンはドキッとした。
彼は明るいーと同時にセロンにとっては不吉な、満面の笑みを浮かべた。
「ま、まさか」
セロンは口をつぐんだ。きっとそれなら可能なはずだ。だけど本当に?
クライドはしっかりと頷き、叫んだ。
「こうするんだよ!」
そして彼は全力で鞄を宙に放り投げた。
著者プロフィール チャン(CHYANG)。1990年、韓国、ソウル生まれ。大学在学中にこの作品を執筆。韓国ネット小説界で話題になる。
「公演、展示、フォーラムなど…忙しい人生を送りながら、暇を見つけて書いたのが『LEONE 〜どうか、レオネとお呼びください〜』です。私好みの想像の世界がこの中に込められています。読んでいただける皆様にも、どうか楽しい旅の時間にできたら嬉しいです。ありがとうございます」
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