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バギーの部屋を観たあとに…LGGBDTTTIQQAAPP?

先週のバリバラがLGBTに関する特集で、根は「性の多様」をテーマにした「バギーの部屋」でした。
その内容は、おもに「LGBT」を中心とした啓発でした。
その内容を受けて、米国とカナダに関する事情を考えてみました。

区分けの議論

やはり番組ではこの内容が取り上げられていたので、その名前に含まない「性の多様」を区分けすることに対する事を考えていました。
 Fox Newsでは、カナダ・オンタリオ州でアイデンティティの多様としてLGGBDTTTIQQAAPPという超長いアクロニムの綴りの性的自認教育研修を受けさせられた、という事を取り上げていました。
その略語の内容は…


L→レズビアン(Lesbian);女性同士の同性愛
G→ゲイ(Gay);男性同士の同性愛
G→ジェンダークィア(Genderqueer);和製英語のXジェンダーに近い。実際には既存の枠組みをこえた自認(この中にも細分化されるものが多い)
B→バイセクシャル(Bisexual);両性愛/二種類の性別に対する愛
D→デミセクシャル(Demisexual);半性愛・準性愛。ふつう性欲を抱かないが心理的繋がりから欲求を生じるなどがある。
T→トランスジェンダー(Transgender);性超越などというが、性転換しているかしていないかは問わず、自認だけ異なる場合と自認に合わせた性転換をしている当事者もいる。日本では性転換している方を指す場合が多いらしい。しかし、大辞泉の説明は外科的手術を望まない人を指すとある。
T→トランスセクシャル(Trans-sexual);身体的性別と自認が一致しておらず違和感を感じる状態。性転換をしているか望む場合。日本ではこの事をトランスジェンダーという場合もあり混用されているようだ。大辞泉の説明は性転換をしているか望む人に限っている。
T→トゥースピリッツ(Two Sprits)→北アメリカで男女のカテゴリを属さず、性的役割に縛られない自認。しかしここでも定義が定まっていないらしい。
I→インターセックス/インターセクシャル(Intersex(ual));半陰陽、間性、中性。ジェンダーアイデンティティとして使われる場合が多い。狭義には性遺伝子が多数現れる2種類(XX,XY)以外の身体的性別が二元論に当てはまらない場合。性遺伝子の特殊なものなどがある。(この場合でも、自認は男女どちらかであるという場合が多い)
日本では性分化疾患(DSDs)と混用される場合があるが、性分化疾患当事者に一律にIを用いることは蔑視的であるとされ不適切とされている。
Q→クィア(Queer);かつては同性愛者に対する差別用語であったが、逆手に取ってプラスの意味に転じさせて自ら「性的自認や性欲が風変わり」として使っているもの。
Q→クエスチョニング(Questioning);性自認がわからない、性自認を探している、性自認はどうでもいいと感じている状態。
A→アセクシャル/エイセクシャル(Asexual);無性愛。性的な魅力や欲求を感じる部分がない状態。
A→アライ(ズ)(Allie(s));仲間たち。性の多様分野で一般的に性的少数者とされる者に対して心を寄せてくれる人。日本では「薔薇族」「百合族」「やおい」の一種も該当している。うち「ゲイを理解してくれる女性」という意味で海外で日本語のYaoiが通じる場合がある。
P→パンセクシャル(Pansexual);全性愛。両性愛をこえてすべての性的自認に対しありとあらゆる人々に性愛を抱くこと。「人間性愛」という場合も。
P→ポリアモリー(Polyamorus);複数性愛/多重性愛。複数のパートナーすべてが同意を得ていて、複数のパートナーを愛し、親密になりたいという自念。「不倫」「浮気症」とは区別されていて一夫多妻・一妻多夫制などであったり、一般的な「カップル」にあたるものが「円満な三角関係を生む現象」のような状態などがありたくさんの形態が見られる。

LGGBDTTTIQQAAPPの概要はこのようなものだそうです。本当にややこしく、しかも性愛や性自認と思考・嗜好の多様を考えるとこの名前だけでは足りません。細分化すると100文字以上のアクロニムが生まれてしまうかもしれないほどきりがないものとなっています。

この略語に対する意見は、自分の自認がないので排除された感覚があるということ、例えばフリュード(性自認が揺らいでいる)のFがないというのが多かったほか、「ジェンダークィアの中にも沢山あるのでラベリングしても意味がない」「多数派のヘテロセクシャル(異性愛者)をHとして入れるべき」「性的指向は人間以外にもありうるのにそれを考えていない」などがあり壁を作っていたり、多様の本質が迷子になって混乱させてしまっている状況にあるような感じがします。
 先週のバリバラの内容でも、「LGBT」という言葉の議論に同じような話題がありました。性多様を重視しているどころか、用語の中に自分の主義がないので排除された感覚でもあるなど「名前ばかりつける」ということの弊害を生んでいることがわかりました。
フォックスニュースもリベラルすぎるのを揶揄した事象であり、リベラルが度を過ぎてしまうと、きりがないラベリングというこんなことが起きてしまいます。自分も図を書こうとしたらきりがないものとようやくわかりました。最初はLGBTから始まることはそれでよかったのですが、かなりの種類の自認の権利が主張されるごとになって「自認の多様」という集約した言葉(私の場合はGSD,GSID)に帰属することがすべて「みんな当たり前に知るような世の中」を作るべきであると思います。

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多様の啓発に闇がある?

LGGBDTTTIQQAAPPによる性多様教育に対しては、まだ負の意見がありました。この性多様を啓発したオンタリオ州のあるカナダでは、「日本の作品の性表現、パラフィリアの検閲をしておいてこれが性の多様を啓発していると言えるのか」というものもありました。この意見を汲み取ると、カナダでは性の多様を啓発しているのに多様の一部が排除されている村八分現象になっています。
パラフィリアの話題は先週のバリバラでは取り上げられませんでしたが、「愛の不自由、」にて統合失調症の症状として起こりうる「幻覚性愛」を取り上げたことがありました。
パラフィリアというものは、性指向・嗜好が人間以外のものであったり、偏りがあったりするなどの状態でありこのようなものも個性としてみるべきという考えに拡張されたものです。
 本当に「ジェンダー、ロマンス、セクシャルの考え方の多様を受容する・啓発すること」を訴えるなら、創作物の特定の性の表現を排除するのは、詳細図(2)を村八分にしている状態なので矛盾しています。

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性表現については別の問題でも色々議論がありますが、性をオープンにするかクローズにするかの違い、嫌悪感や様々な性自認や嗜好に対するヘイトの問題、性愛だけではなく恋愛にも沢山あるという問題、性的指向から嗜好の多様へと拡張しなければいけない問題などとすべてが包括されて考えなければならない、新たな個性の多様と受容・人間の尊重という問題に出逢ったような感じがしました。

(2020/04/22 訂正)
Intersex(ual)がDSDsと混用されている、という現状があり、DSDs当事者に一律的に用いるIが適切ではないという旨を追記しました。

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