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最近の心の通院後に遭遇した色んな問題

 現在、私は広汎性発達障害の二次症状が起こることと、それに複合している自律神経の機能不全、不安神経症と恐怖症性不安障害にかかわる症状の緩和のために通院中である。

感覚過敏と緩和ケアを受けたことについて

 私は、コロナ禍の防疫方法を受けて不織布マスクがつけられないという感覚過敏の症状と、マスクをつけた時に身体中にビリビリするような感覚と細かい不随意運動が出てしまうため、昨年5月から感覚過敏の症状緩和ケアを受け続けた。

 防疫方法だけでなく、軽い強迫性障害の症状もあるため「付けたいのに付けられない」状態だった事を相談して感覚過敏の緩和ケアを受けることを決意した。

 安定剤と鎮静剤を継続的に投与する薬物療法の方法で、10ヶ月経った時に、いつのまにか自分は不織布マスクをつけられるようになっており、主治医の先生から「成功宣言」が出た。まれに突然マスクをつけた部分に針が刺さるような激痛が走ることもあるが、その場合の対処法もいろいろと相談しながら、公共の交通機関で対応できるまで回復できた。

(成功宣言の自筆日記 4/12,2021)

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 その緩和ケアを受けて「成功宣言」を受けた直後、「マスクを暴力を振るいながら拒否した人が逮捕される」という事件が起こった。この事件がきっかけなのか、身近にいる感覚過敏の当事者が感覚過敏と繊細さと暴力を結びつけられた風評被害を受けている事を知った。

「心の障害はわきまえなければいけないのだろうか」〜昨今のできごとから

 後日、通院日に主治医の先生に前項の「マスク拒否から暴力を振るった事件が報道された悩み」と一緒にこういう悩みをぶちあけてきた。以前の障害者に関する番組コラムで「障害者はわきまえる必要がない」と放送していたのだが、心の問題になるとそれが当てはまらず、自分がどんな症状があるかわきまえなければいけないケースもあるのではないか、と過去の経験を振り返って主治医の先生に説明してきた。
 主治医の先生も首を傾げるほど、今の社会でも大変難しい問題に遭遇している状態でそう簡単に解決できるものではなさそう、という説明を受けてきた。


 私が悩んだのは、自分が中心でありたいという内面的な心から、自分の権利が侵されたと錯覚して他人をいじめたり、攻撃したり、執拗な自己主張を繰り返したりしてしまう「好訴妄想」、恐怖症であることを自覚していない時に生まれてしまう嫌悪や排外などの攻撃、さまざまな妄想性の症状が未成年の頃に多くて非常に手がかかった、というものである。それを悩んだころは児童相談所に通っていた時期もあった。いまは昨今のSNSでの発言であったり、最近ではLGBT理解増進法という法案をまとめる時に、差別的と捉えられるような発言をしてしまった議員がいた例などが挙げられる。


 そして、坂爪真吾さんが著した「「許せない」がやめられない」にジェンダー関係や表現に対する攻撃に関わる一説を読んで心当たりがあったため、それも通院時に相談した。

(坂爪真吾さんの著書)


 LGBT理解増進法にかかわる一連の問題に関しては、私の性自認が「ジェンダークィア」といってもかなり複雑な気持ちになった。
 複雑な気持ちになったのは、「限局性恐怖症」という心の病気を診断されており、その症状が引き起こす恐れもある他害行為と重なった部分があるからである。これは不安神経症の一種で、特定の状況や事象に対して激しい不安や避けたいという強迫観念により神経的・精神的に支障をきたすという症状がある。
 動物に対する恐怖が非常に著しく(要潤さんが「カエル恐怖症」である事をカミングアウトしていたが、彼と同じようにデフォルメされたものに症状が出ないタイプである)であり、高校時代に修学旅行へ行った時の健康調査票にそれがある事を書いたら、奈良公園を護送車で移動するという配慮をしてもらうことができた。修学旅行で奈良公園をみんな行けなくさせる、という権利を侵す事態に走るわけにはいかないから。

 主治医の先生によるとこの心の悩みは、自らこの病気であるという意識がない場合の症状のうちに他害に走ってしまうものもあるので、自分で恐怖症である事を意識していた方が社会で打ち解けられるというアドバイスを貰っていた。
 たとえば、さまざまな表現や人格を排除するなどの発言がSNSに見られるような例を挙げてくださり、それは新しいことや奇妙なことに対する無意識の恐怖から「嫌悪」を生んでしまい、それが人格を否定したり差別したり、排外したりなどというロジックがある、と説明を受けた。恐怖対象がLGBTQ+や外国人やギーク(オタクや変わり者など)、発達障害、自分と無縁な集団などに向けられる事を考えると、自分の恐怖症の症状に罪深さすら感じてしまう。

もしかしたら、こういう発言をしてしまった原因は、恐怖により生んでしまったものかもしれない、と考えると発言してしまった議員を非難したくても自分の心の問題から人の事を言えないのではないか、とすごく複雑な思いだ。

(多様性を認められないこともまた「恐怖を伴う障がい」なのかもしれない––)


 そのとき、一部の心の障害の問題は、「わきまえないわけにはいかない」ということがわかったのだ。

 そういうことが原因で、心の病気に対する偏見を生んでしまうマイナスのスパイラルができてしまうのだと思うと色んな悩みが巡り巡ってしまう。本当に困ったよ。

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