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自閉スペクトラム症・神経障害の私が感じる感動ポルノ~私をおかして~

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この図は、以前英語の図(ヘッダにある)をInstagramに投稿した時に1日でのLike数が一番多かった写真でした。

「Fxxx me」は私の場合の切実なジョーク交じりの表現です

いきなりこれは過激な表現じゃないか、と思われるのは承知だが、あえてこの表現を用いた。というのも、24時間テレビという日本テレビ系列の番組があるが、この番組に関して身体に難を抱えている人に対して、それに耐え前向きに積極的に頑張らせるように意図的に煽情する、そしてこれを利用して懸命に頑張っていて何かを達成していくことを切り取ってクローズアップしたり誇張させられたりする、「感動ポルノ」という表現を人権スピーチに表現された今は亡きステラ・ヤング氏の言葉を引用して非難していたからだ。この話題は、たまたま私が大学生の頃に、国際人権問題が専門だった教授が英語の講義の時にそのスピーチを映像で流してくださり、人みな同じ人として見ることの大事さを学んだ。

(ステラ・ヤング氏によるスピーチ、文章と音声はアクセシビリティ対応、他言語対応です。閲覧する機種によっては難読症に対応した字幕設定も可能です。)

大学生の頃のエピソード

大学生の頃に、同学生で一緒に観ていた人の中に「癲癇(てんかん)」をカミングアウトしている学友がいた。その学友は、自分の苦難を頑張って克服しようとしているが、それをなかったことにされたり見て見ぬふりをされたのがあの番組だったと感じたと語った。同学生のその辛さが伝わってきて、私は「広汎性発達障害;重度(自閉スペクトラムアスペルガー症候群型)」と「神経障害」をカミングアウトしているのだが、同学生と同じものを感じ、この類の障害はあの番組からは感動どころか啓発の対象にされず村八分にされて何も取り上げてくれなかったり、憎悪を向けられて自尊心を丸ごとを傷つけられるような扱いをされ、存在を否定されたこともある。だから、「感動ポルノ」だから、私からは「私をおかして(搾取して)」のような表現をしたくなるような気持ちになり、すごく悲しくてなお悔しい気持ちになった。
その感動ポルノという構図ができあがったせいで、24時間テレビによって「障害の種によるカーストを作られてしまったように感じた」のだ。とんでもない二次的被害で、同じ障碍者同士では二重規範を作られたか、その中での差別的待遇(逆差別も)を感じてしまう問題も生んでしまった、障害の中の障害という大きな傷を起こしてしまった。低カーストに「心や見た目ではわからないような障害、ジェンダー関係に難をもたらしてるタイプの障害」を割り当ててしまったように感じる。

韓国語の講義での国際交流エピソード

国を超えて「同意のない障害者“感動ポルノ”」と「同意のある“感動ポルノ”村八分」へ先生が「Times UP」連帯
まず、「Times UP」は時間切れという意味だが、「MeToo」に近く「MeToo」より広く性差をこえてあらゆるジェンダーに対して連帯した運動である。賛同者の中にはエマ・ワトソンさんなどがいる。
韓国語の講師を受けていた時に、ネイティヴ出身の韓国語のソンセンニム(先生)にこんなジョーク(画像・自分が話した習いたての韓国語ママ)を言ってみたが、それは真面目なブラックジョークであり悔し涙も出たし、先生が笑いながらも同情・賛同をしてくれた。

“たしかに下ネタの言葉だけどなるほどね、その気持ちは私も本当にわかるよ。”
と_

先生から、隣の国・韓国にも同じような問題があることがわかった。心の難ではストレスが引き起こすとする間欠性爆発障害や忿怒障害の一種の理解はできている(韓国では、それを表す漢字語から出たUlhwabyeong(鬱火病)という言葉もあると教わった)ものの、まだ啓発にさえされてない種類の生きづらさもたしかにあり、見える障害が過剰に受け取り側の煽りに使われることがあるという問題を語ってくれた。

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日本語:私は仲間外れにされた。発達障害(※1)と難読症(=ディスレクシア)をカミングアウトしている。私にとって、このテレビ番組に6時間不足してる(※2)と思ったよ。「感動ポルノ」と言われるだけにそう言ってみたんだよ。

(※1)実際には「発達障害」ではなく「発達障碍」のハングル表記。韓国では漢字表記としては「障礙」も使われる
(※2)ジョーク。6を引くと、その数字の韓国語は「チクショー、くそったれ、fxxx you」のニュアンスの韓国語と発音が似ているからである

★あくまでも、私がカミングアウトした二つの生きづらさと「障害」は一部であり、重度と言われたものだけ言って、神経障害は言わなかった。

英国では、障害者を「かわいそうなものに仕立て上げることを禁じる、同じ人間として社会交流を作るように」というガイドラインが19世紀末に制定されていたそうで、彼女のスピーチに先立ってもう問題視していたようだ。

「感動ポルノ」の副作用も怖い

障害があるかないかにかかわらず、人には生きづらさや難はだれでも持っているはずだ。しかしながら「障害者じゃないと頑張りを認めてもらえない」といういわゆる「健常者」から逆差別じゃないのだろうかと感じる声もあって、本当にその声をあげてくれた人は、「勘違いをさせられた」に違いないと思い私は同情したことでもある。

自分らしさ、アイデンティティを尊重せずにフェイクまみれのドキュメントを作られている現状は完全にフィクションでない場合、本当に許しがたいものではあるが、今度は自分から「自分は自分の生き方がある」ということを外に向かって前向きに啓発していこうと思う。

人は、みんな、人として、ただ一つの命を生き続けているんだ。それが一番素晴らしいことではないだろうか。


それが一番生きていくうえで心の中の引き出しにいれておかなければならない大事なことだと思う。


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