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もうすぐで、初の、

来る2022年8月28日、わたしは小学生の頃から目指し続け、夢にまで見た留学に出発する。

あー、ここまでが長かったなぁ。(笑)
留学の出発が目前になったとき、今までの留学先輩のみんなは、どんな気持ちだったのだろう。
ワクワク?不安?ドキドキ?心配?
わたしは、一周回って楽しみな気持ちだけが心に残ってる。

もともとわたしの留学は、大学の学科のカリキュラムに含まれていたもので、留学は入学した時点で決定事項だった。コロナパンデミック2年目を迎えたときに大学1年生になったわたしは、留学が延期もしくは中止になった2、3年生たちよりは不安が少ない、「留学に行ける」と強めに言われてきた学年だった。
その通り、コロナウイルスは未だに勢力を弱めずにいるものの、同期の殆どが留学に行くことになった。行き先はバラバラだけどね。

この留学は交換留学で、留学先の大学も何校かあったうちから自分の学びたいことや取っている教職に合わせて自分で選ぶというもの。一応教育学科のため、この留学は語学習得が目的ではなく、ほとんどの留学先大学では教育系の勉強をする。
わたしはもともとフィンランドの「誰一人取り残さない教育」に興味があり、職業教育やサードプレイスとしての若者のための施設が充実していることから、今の日本に根強く残る「点数主義」から展開される受験競争や子どもたちが抱える将来への不安を解消できるヒントを掴めるんじゃないかなぁと思っていた。
フィンランドの大学を第一希望に書いた留学先希望調査は、自分の言葉でわかりやすくかつ熱が伝わるように、勉強計画、調査計画まで細かく、本当に本当に一生懸命書いた。

しかし、わたしのこのフィンランドの教育に対する熱量は大人たちに伝わることはなく、半年前に一斉受験したTOEICの点数で学校が決められちゃった。あーあ。
希望が通らないことなったわたしに与えられた代替案は、①英語教職専門のコースの大学、②英語言語発達専門のコースの大学、③リトアニアの大学、この3つだったの。

①わたしは英語教職じゃなくて、中高社会教職を取っているんだけどなぁ。
②英語の言語発達なんて一度も考えたことないよ〜。それに、「教育」と一口に言ってもわたしが興味あるのって、中学後半〜大学生の「若者」であって、しかも進路選択とか、将来に関わる世代なんだよなぁ。言語発達って、ベイビーじゃん。
③わたしたちの代から留学先に加えられたリトアニア。情報ない。教育を学びたいけど、「リトアニア=教育」にならないんだよね、正直。リトアニアって教育のイメージ何かありますか?

この選択肢なら留学行きません、とも言った。
そしたら全力で止められた。

そんなこんなで結局、リトアニアに留学することになった。この中だったらまだ自分の自由がきくかなーって。
リトアニアの大学はコースとかは無くて、学科に所属して自分で取りたい授業を取って勉強する、っていう感じだから、パッケージになってないから同じ人とずっと一緒に過ごす、とかもない。
まだ自由そうでしょ?
同じ人とずっと一緒にとか高校みたいな生活、もうしたくなかったから、自分一人で好きに決められるリトアニアの大学にした。


まぁでもやっぱりね、何かしらで
「リトアニアに行きたいなんて一度も望んでない!」
みたいなね、反抗というか、モチベーションが無くなる瞬間も本当に多くて。留学先が決まった1月末から7月上旬くらいまでかな、その約5ヶ月間は留学に対するモチベーションがジェットコースターみたいに上がったり下がったりする日々だった。

「なんで留学行かなきゃいけないの?」
「なんであの子はフィンランド行けるのにわたしは行けないの?」
「リトアニアで学びたいことなんてない!」
一度吐き出せば止まらなくなって、それと同時に、ずっと夢だった「留学」がどんどんぐちゃぐちゃしていくことが悔しくて、涙も毎日止まらなかった。
留学ってもっとキラキラしてると思ってたな。
まだ留学行ってないのにこの事実に気がつくなんて想像してなかったな。

「留学行きたくない」と「やっぱり行く」が大抗争。
自分の意思だけではどうにもできなくなったから、「ふうかはどうしたいか」「何がやりたいのか」とかそんなことも見失って、決断をコロコロ変えてばっかりだった。
留学の目的も見えなくなって、こんな自分は留学行くべきじゃない、とも毎日思ってたな。

そんな中で、いつもわたしに何かしらの教えをくれる友達と駅でバッタリ会って、バイトに行くまでの列車の中、ずっと話した。

「ふうかは問題を目にした時に、それを問題だって認識できる人で、さらにそれをどうにかしようとするマインドも持っている人だと思うし、変化を起こす人だと思う。ふうかは今目的なくてどうしようとか言ってるけど、目的作ろうと思えばちゃんと作れる人だと思う。」

と言われた。
ふうかには留学する価値があるし、意味もあるって、言ってくれたの。自分自身でさえも見出せずにいたことが、第三者の立場から言われたことで、すごく嬉しかった。
その子は今回の留学は一緒に行けなくて、誰より悔しい苦しい気持ちをしていたはずなのにふうかに言葉をかけてくれたから、ちょっぴり背筋が伸びて、パッと目が覚めた気がした。
本当に、嬉しかった。ありがとう。

自分の留学は、誰かの犠牲のもとに成り立っているんだと実感できた日。
自分の状況を考えると、苦しい辛いしんどい。全てが望んだこととは違った。だから、「綺麗事じゃん」とか思っちゃう自分もいるけど、それでも、「自分の留学は、誰かの犠牲のもとに成り立っている」ってちゃんと理解はして、(腑に落ちないけど)ちゃんと感じてる、それだけでも十分偉いと思う。ふうかは神様みたいな完璧人間には一生なれません!笑
でも、望み通りに全てがうまくいっていたら、こんなことを1ミリも考えてなかったとおもうし、留学行けて当たり前、学べて当たり前って何の疑問も持たずに言っちゃうような嫌なヤツになってたと思うから、そんな人にならなくてよかった、っていうのが唯一リトアニアでよかったって思うとこかな。あと物価が超安い。
とは言っても円安だけどね。
その日の夜に走り書きしたメモより

コロナパンデミックがやってきてから、留学に行けなくなった人は何人もいる。留学という選択肢を諦めざるを得なかった人も何人もいる。
先輩たちがまさにそうで。そもそもわたしは、こんな不安定な世の中にも関わらず、「留学に行く」という選択肢を手にすることができている数少ない存在なのだとわかった。
わたしは地方生まれだから、挑戦したくてもできないということや、そのことに対する自分の熱量だけでは乗り越えられない壁があるということを、わかっている。

自分の目標や夢を形にするためには、何人もの人の助けやサポートが必要であること。
決して自分の意志だけでここまで来たわけではないということ。
わたしが挑戦できるとき、同時に挑戦できない人もいるということ。

自分だけの世界に閉じこもって、幸いにも自分中心の悩みだけだったわたしは、誰かにとっての「留学」、特に地方のみんなにとっての「挑戦」というものを考えることができなかった。
それが悔しい。忘れたくなかったのに。


いったん忘れてしまったけど、地方で生まれて、弱者の立場を何度か味わったわたしは、やっぱり弱者だったり、熱い気持ちはあるけど自分の力だけではどうにもならないことに立ち向かっている人のことを考えずにはいられなくて。
挑戦したいのにできないっていうもどかしさも歯痒さも悔しさも苦しさも全部わたしも経験しているから、気持ちがわかる。
気持ちがわかる分、その人たちのために胸張って生きたいと思ってしまう。

カウンセラーさんには、ふうかがそこまで抱える必要はないよ、もっと肩の力を抜いて、楽になって。と言われた。
あ、ふうか4月から学校で心理カウンセラーさんのお世話になっていて、月1とかで通ってるんだよね。

カウンセラーの先生はそう言っていたけど、電車であの子に会って大切な言葉をもらって、忘れかけていたことに気づけてやっぱりよかった。
思い出したからには、ふうかが「ふうか」として、この留学を全力でとにかく楽しんでくるしかないと思った。勉強を一生懸命にやるという意味ではない。目標は「とりあえず生きて帰ってくること」(この「とりあえず」っていうのがテキトーでふうかっぽい。)

ふうかが「ふうか」であることを忘れずに、「ふうか」として生きて帰ってくること。勉強なんかできなかったっていう結果でもいい。
大学に来てから、ひとりで悩みすぎて苦しんだ結果、自分を見失うということが割と頻繁に起こってるので(参照:https://note.com/pcfcca/n/neb54f31dae9b)

この留学では自分が自分であり続けることを大事にして、なおかつ楽しかったーって言えたら最高かな。

小学生のころから欲しくてたまらなかったこの「留学」という権利、決して甘えて、手に入れたものじゃない。真剣な正当な努力の結果手にしたものだということを、これからは私自身が忘れずにいたい。
だから「留学楽しみ〜!」を口癖にしていた。
それで救われる人がいると信じたい。
わたしはやっぱり、誰かに必要とされたいし、誰かのために生きたい。
わたしが傷ついたり苦しい思いをした経験も、誰かの頑張る理由になれたり、誰かの諦めを止めることができるなら、悪くない。
そう思えたからこそ、こうして文字に起こすこともできた。


相変わらず留学のちゃんとした目標も目的も持てずにいるわたしだけど、去年相談に乗ってくれた大事な友達から、こんな言葉をもらっていて。

「お買い物に『絶対これを買う!』って思って行くと、目当てのものがなかなか見つからなくて何も買わずに帰ってくるっていうことがある。でも、特になんの目的も持たずにフラっと入った店で、お気に入りのものを見つけちゃって衝動買いしちゃう時ってある。
だから、必ずしも目的や目標を持っていることが良いとは限らなくて、何も持っていないからこそ見えてくるもの、目に付くものがあって、得るものがあって。
それでいいんじゃない?」

この言葉だけで、何度救われているかわからない。「留学」というものに憧れの気持ちを持ちすぎたわたしは、留学に対しての「こうしたい」「こうあるべき」でがんじがらめにされていたのかもしれない。
その時に比べて、お友達のおかげで理想とか欲とか以上にもっと大事なことをわかった今の方が、わたしは留学に対してポジティブでいられてるし、不安も少ないし、純粋に楽しみだなぁ〜って思えてる。
それがすごく嬉しいんだ。


そう、そしてね、わたしの大好きな漫画家矢沢あい様の、これまた大好きな漫画「Paradice Kiss」に出てくるジョージが、パリに行く前に仰った言葉がこちら。

「自分の可能性を信じなきゃ何も始まらないよ。なんとかなる。」

この言葉を抱きしめて、自分の未知数の可能性を信じて、自分ならなんとかなる、これまでもそうやってきたんだから、と胸張って堂々と生きて、安全に帰ってくる。

コロナにも、逆境にも負けないぞ!!


これから、留学の様子もnoteにあげていきます。
勉強熱心では全くないけれど、ありのままの姿を書いていきたいです。もし、こんなわたしのことを応援してくれるという方は、これからのnoteもぜひ覗きに来てください🫶🏼🥰
あさって出発、ドキドキ!

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