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【Day19】『押し付け』と感じたらそれは違うのだと思う

今日の『 #書く習慣 』は書き方によってはかなり辛辣になりそうだな、と思うのですがそういうエネルギーはないのでやんわりと書いていこうと思います。

テーマは『賛成できない常識』と書かれていましたが、そもそも『常識』とはなんなのだろうとしばらく考えました。

  • 当たり前だろうこと

  • 守るべきもの

  • 知っているだろうもの

など浮かべましたが、どれに対しても「うーん」と唸ってしまうような経験をそれなりにしているので、改めて『常識』とはなんだろうと悩んでしまいました。

法律で定められたことを守る、などはわかりやすい指針ではあります。
それが守られなかった結果の事件は毎日起こっています。
それも『常識』ですが、そのルールの内容も国などでは差異があります。

そのくらい『常識』と思っているものは案外脆いものだと思うことは多いのですが、今回のテーマとは少し違うなと思うので範囲をせばめてよく言われる・見る光景に絞ります。

最たるものは『何々(職業・趣味・その他)ならコレコレを知っている(できる・好き or 嫌い)のは当たり前だろう』と言われるアレです。

もともと主語が大きい人は苦手なのもあってこの手の発言は見る度になんだかなあと思ってしまいます。
もちろん職業の場合は最低ラインはこれはできてほしいというのはありますが、それを超えたところのものは人によるわけで、自分ができるイコール全員ができるという主張は基本暴論だと感じます。

例えば『締め切りを守る』は基本的には常識です。
けれど『締め切りを守れないなら寝てはいけない(寝る暇などない)』のような主張は同意できません。
それで身体を壊せば元も子もないですし、その人がそれを常識として主張するのは『できる人』であるという根拠しかない話だからです。
どちらかと言えば『きちんと寝て体調管理をして締め切りも守る』のほうが自分には賛同できます。
この辺りで有名な話は水木しげるさんのエピソードですね。

周囲に前者を常識として強いてくる人が少なくなかった環境も経験しているので、余計に体感としてそう感じます。
実際その結果こわしましたので。

趣味でよく見る「何々好きならコレは知ってないと見てないと」もよく見かける光景ですが「何故趣味なのに」と感じることがもっぱらです。
人に勧めることはあっても選ぶのは相手だと思いますし、趣味は好きなものを楽しめば良いと思います。

こう挙げてみて感じるのは『賛成できない常識』というのは『それと相反する自分にとっての常識』のたたかいなのかな、と気付きました。

どちらも当人には『常識』なのは自由だと思います、それを押し付けたり競り合ったりしなければ良いのだと思います。

人は人、自分は自分。ということを思って本日ここまでにしようと思います。

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