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凡庸雑記「素直に被写体に向かう」

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抜け殻

とにかく”スゲエ”仕事が終わり、実は最後の締めが終わっていないので、終わったとは言えないけれど、それはさておて、物理的にはようやく終わり、安堵しているというか、抜け殻になっている。

正直、こんな仕事はしたくない。

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なんだかもっとダラダラと、うまい具合に仕事とそれにひっついてくる大人の責任を逃げに逃げて、金だけもらって、のらりくらり好きなこと、楽しいことだけして生きてゆきたい、残りわずかな人生を。

そう、日々頭の中で強く念じているが、よくある成功哲学本の様には上手くいかない。

兎にも角にも、逃げ方が下手くそなのか、どこかの誰かの陰謀なのか、はたまた天が与えたもう恵なのか、冷や汗たらたら、胃はキリキリ、心臓ばくばく、足りない頭と、心意気をフル活動させて日々を乗り切っている。

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評価も賞賛も捨てて

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そんな中でも、写真はボツボツ撮っていて、側から見たらどうしたって通報されてもおかしくない労働者ゼンとした風態で、肩からカメラをぶら下げて、キョロキョロしつつ適当に街中を撮っている。

写真を撮りながら、やっぱり人に褒められる、心に残せる、感動を焚きつけるものを撮りたいと思ってしまう。これは、写真を志す人ならすべからずそうだ。

でも、人から評価され、認められることをすっかり捨てて、素直に写真を撮りたい気持ちに寄り添って、撮るってのも良いのかも知れぬとも思ったりする。

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写真機が手の中にあり、それが、NikonZ6でも9でも。もしくは写真機ですらなくiPhoneだったとしても、写真が残せるものならば、写真を撮りたいという欲求を解消できるものならば、なんでも利用し”写欲”を消滅させる。

本能に近い気持ちを純粋に行動へ直結させる臆面のなさ。そんな素直さが良いとは言わないけれど、半分正しいのかもしれない。

実際、そんなお気楽極楽気ままでは、いつまで経っても写真が上手くならないだろうし、それこそ自慰でしか無いのだけど、そんな身勝手な自慰の中からこそ生まれる、予定調和では測れない”創造”も愉快なこともありそう。

と、勝手に考える。

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iPhoneで撮った東南アジアの風景

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この間、いつもみているYouTubeの「2B Channel」で、ジブリの関係者が出ていた。

写真系のYouTubeなのにと観ていたら、写真のことに興味を持ち、渡辺さとる氏と知り合い、日々教えをこうているとのこと。

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番組の中、写真集の宣伝をしていた。

その写真集、ジブリの鈴木さんと親交のある東南アジアの女性が撮ったもの。

ジブリの人たちの評価がとても高く、作品として十分認められるので、写真集をとの運びになった。アジアの田舎の小旅行を題材に、旅行者が見知らぬ異国と擦れ合う心地よさが、写真全体から浮き上がってていた。

驚いたのが、その写真全てiPhoneで撮られていた。

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それも最新のiPhoneでは無く、少し古いものだったようだ。そのため、写真集をできるほどの画像品質が確保できるか、かなり悩んだと語っていた。

ただ、印刷の技術品質が特別高い、小規模だが技術力のある印刷業者を、渡辺氏から紹介され依頼したところ、写真集に使えるようにできると太鼓判を押され、事実とても満足いく結果になった。

ほとんど褒めることのない、ジブリの鈴木氏が唸ったと言うぐらいだから、よほど良きものだったのだろう。

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写真を撮る、創造する、ことへの素直さ

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言い方が悪いかもしれないが、東南アジアの田舎でシングルマザーとして生活し、それほど豊かでもないだろうから、高価なカメラを手にすることは難しいと思う。

だけど、日々の感じたこと、体感したことを、何かしら自分の中で咀嚼して、形にしたいとの思いを素直に形にするために、手にあるiPhoneを”写真機”として、無垢に被写体に向ける軽やかさや自由さが気持ち良いと素直に思った。

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結果、美しく、確実な写真は撮れないかもしれないし、写真技術の向上には効果がないかもしれないけれど、何か行動し結果を出さなければ何も生まれないのだから、後先考えず心の赴くままに(というとあまりにも凡庸な言い草だけど)被写体との一期一会を楽しんでも良いのではないかと思う。

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