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凡庸”嘘”雑記「小説」

これは小説である。

彼の楽しみは、仕事が終わった後に、近くのショッピングモールの駐車場に車を停め、その中で、一人、映画やドラマ、そして、アニメ。(側から見るとかなり情けない風体)

むろん、しっかりと、それなりに、仕事をしているから、その時間から解放された後だから、なんの後ろ指を刺される筋合いではない。だけど、どうしてだか、一般的な日本人、社会人として、ひどく後ろめたい。

会社では、夜遅くまで、社員がPCの前に座っている。永遠と思えるほどの、丁寧な時間の使い方をしている。行うことが、どれだけ深夜に近くなることが、人生の全て唯一の価値であるかの如く、悲壮な形相で時間を消化している。

悲しく、不可解なのが、共鳴して長時間、深夜まで、それぞれが誠意を持って、皆で共に時間を食い散らかしているのに、業績は悲惨。その現実の白羽を当てられぬように、免罪してもらうために、定時外の時間を目配せしながら、共にしているのだろうか。

彼は、それができない。空気の読めない、世の中を分かっていない人だ。

息を止める思いで、朝から夕刻の決められた時間。集中し今日一日必要なことだけをする。少し未来や、少し余計に、なんて行わない。いや、発想できない。抜けや忘れが多いのは事実、丁寧にのっそり確認しながら行えば、若干質は良くなるだろう。だけど、そこまでして、仕事以外の人生を削りたくはない。

そんな感じて、今日も、近くのショッピングセンターの駐車場に車を滑り込ませ、後部座席に体を横たえ、iPadにダウンロードした、映画やドラマを観る。

全く、無意味な人生だろう。胸がすくような結果を得ることは出来ないお粗末な行為だ。だけど、人と言うのはどうしても、我知らず、行ってしまう悪癖がある。

会社帰りに、洒落たパーで高価なワインや、カクテルを飲んだり、美女を連れて、名のあるシェフの作るフランスレストランに行くのと、大差は無い。はず。はたまた、気の合う友人たちと、古びているが頑固一徹の主人がやっている、安くてうまい居酒屋に行くのとも同じ。

まあ、そちらの方が、儲け話や、見知らぬ知恵話を聞けて、人生が少しばかり上向きになるかもしれないが。どうしたって、経験の違う人からの、新鮮な情報は、得るものが多い。車の中で、Netflixのドラマを観るよりも。(そうでないかもしれないけれど)

この間、車の運転中、眠れぬ夜の布団の上で、面白い小説を聴いた。オーディブルに申し込んで、今、無料期間中だから。

かなり名のある、誰でも知っているだろう小説家の小説。だが、初めはエッセイだと思い聴いていた。一人称で、生々しく体験したことを書いているふうだった。聴いていて、心地よく、しっとりとしっかりしていて、さすが彼は、経験したことを、これほどまでに言葉巧みに表現できるのかと、関心した。

が、途中から、どうも具合が変だ。妙に都合の良い摩訶不思議な展開。複数短編があり、その中のいくつかの物語には、あからさまに嘘が混じっていた。すっかりと、騙されていたのだ。

それを知ったら。戸惑いが面白さに変わった。そして、とてつもなく新鮮だった。このような、小説の表現があるのか。読者を、愉快に素敵に騙すことができるのか。実体験を綴ったエッセイに擬態した嘘物語を、僕も書いてみてもおもろいのかもしれない。案外、スルスルと書けるかもしれない。と、思った。

もちろん、そんな都合よく何事も世の中は進まない。だけど、全くの無から、物語を作り出するが、億劫ならば、さっき、体験して、感化された現実と、心象を書き綴り、それに、嘘を滑り込ませて、一つの架空の物語を作れば、案外、人様に褒めてもらえる何かが生まれるかもしれない。

で、これは小説である。嘘を入れるのを忘れた、嘘を思いつかずに終わってしまった。何かである。

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