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Coの時代のキャリアデザイン #ゲストハウス運営夫婦

電車好きがJR東海の車掌の地位を捨て、新婚旅行で世界一周、その後ゲストハウスを開いた夫妻からのインタビュー。


第一回安曇野シャルソンで出会った加藤武留くんは、見るからに真面目な青年でした。シャルソンを作って1年ちょっと。まだ知名度もなく、体験してもらう以外にその面白さを伝える方法を持っていなかった頃。一人で参加していた武留くんを誘って一緒に走ることにした。

僕の常套手段ですが、まだシャルソン自体をほとんど理解していないだろうことは承知の上で言いました。「シャルソン、いつやるの?」と。

武留くんは考えて慎重に行動するタイプだったと思います。また、シャルソンを主催するようなタイプではなかったと思います。しかし、人が動き出すにはタイミングが大切。僕と真逆のタイプに見えたからこその、熱烈な勧誘でした。結果的には、この一言から彼のキャリアは変わることになったのです。

走り始めて10年超。ここ数年は月間300km走るので、僕に対してランナーのイメージを持っている人は多いと思いますが、実はランニング完全否定派でした。

僕は長距離走が苦手だったのもあり、スピードを競うというマラソン自体が昔から大嫌いでした。走ることを完全に否定して生きてきました。

ランニング完全否定派がどうやって180度転換して、エクストリームランニングをやったり走るイベントを企画しまくるようになったかなどについては、『「ありえない」をブームにするつながりの仕事術』をどうぞ。

走れるようになった酒好きは、まさに酔狂という形容詞がピッタリ当てはまるアレに出るしかない。そう思い、メドックマラソンに出場しました。

人生の経験として、旅の自慢話として、一度だけ行ってみよう決めました。

しかし、メドックマラソンのあまりの面白さに、これは一度だけじゃ楽しみ尽くせないと気づきました。

スタート地点での異常なまでの盛り上がりに興奮し、マラソン中なのに立ち止まってワイングラスを手に取ったり、周りの人と乾杯したり。すごい仮装をしている人を中心に会話の輪も広がっていくんです。こんなマラソン大会は見たことがない。興奮しました。そして、レース中に決めました。こういう素晴らしいイベントへの参加を「一度限りの経験」でなく「人生の一部にしたい」と。

メドックマラソンに出場し、その本質は、「コミュニケーションの生まれるマラソン」だと結論づけたのです。僕の事業との親和性も高いので、メドックマラソンに出続けることとメドックマラソンの日本版を作るのが使命だと感じました。

ただ、日本の現状を考えると、時間をかけてメドックマラソンのコピー版を作るよりも、そのエッセンスをすぐにでも取り入れて実行したいと考えました。

僕がコミュニケーションのある場作りをしている理由は、それが今の日本に「今」必要だからです。十数年かかって日本版を作れたとしても、それでは遅いんです。

メドックマラソンの本質を抽出し、僕が嫌いだったマラソン大会の概念を真逆から捉えて再解釈し、「シャルソン」を作りました。初めてやったとき、それは「経堂マラソン」という名で始まりました。

ランナーが店や人とコミュニケーションを取ることは、まちを発見・再発見することになるんです。地域の中で店舗を運営していた僕は、地域にどのように貢献すべきかを時々考えていました。

趣味となったランニングと自分自身の事業を融合させたのがシャルソンでした。そして、商店街の中に店舗を構える一人として、シャルソンが起こすコミュニケーションと情報発信が地域貢献にもつながると分かりました。

実際、やってみたらどういうことが起こるかは推測するしかありませんでした。いろいろな目新しいイベントを繰り返していたので、「よく分からないけど、参加するよ」と言って来てくれた人たちにより、シャルソンは完成したとも言えます。

参加者のほとんどは、主催者から離れ一人または少数のグループでまちと向き合った時に、その面白さを理解したみたいです・・・面白いものを見つけるために観察してみると、面白いもの・ことは無数にあることに気付くんです。

給○スポットとして協力してくれた店舗も、思わぬ効果がありみな喜んでくれました。

ランナーが口々にその楽しさをその人なりの視点で語りまくるので、各店舗もじわじわ理解したみたい。あと、飲食店に行って水だけ飲んで帰るという通常できない行為を楽しんだだけでなく、店主やスタッフと話したことが次の来店を強く促すことも分かりました。


シャルソンの新規性から、ほとんどすべてのシャルソンが地方メディアに取り上げられることになりました。主催者に仕立て上げられた人たちは、そういう意味でも面白かったでしょう。

シャルソンの「ゆるさ」について。

ルールで管理するのは簡単なのだけど、創造性が失われるんですよね。
元々ルールをゆるくしているシャルソンは、回を重ねるごとに拡大解釈され、どんどんゆるくなっていきました。
(最初の想定から逸脱するような行動を)禁止しようと忠告する直前で考え直しました。僕も参加したシャルソンで、車で回った人が「いつもと違うまちを発見できた」と仰っていたからです。「面白いものを見つける」気持ちがより大事だと確認しました。

まず「受け入れてみる」のが、僕流の進め方です。

ランニングを続ける秘訣とは?

ある日、飲んだ次の日はしんどいから走らない、から、飲んだら走る、というように自分ルールを変えたんです。そうしたら、ほぼ毎日少しでも走らざるを得ない。しかも、多少お酒が残っていたとしても、走り終わるとだいたい全部抜けているんですよ。

発想と行動の転換です。

店舗やイベントの運営に際して留意していること。

僕は自由意志を尊重していて、シャルソンの仕組みはもちろん、レストランやコワーキングの中でも、こちらのやり方に従ってもらうよりは、ヒントだけ与えて面白い状況を生み出してもらうことを目指しています。
一人でも多くの人が自分の生きている社会や世界の理想的な姿を描き、それに向かって進んでほしいと常に思っています。お客さんであろうと、友人であろうとそれは同じで、だから、シャルソンでたまたま出会った武留くんに、出会ったばかりであったにもかかわらず、課題を投げ込んだんでしょう。「いつやるの?」と。

誰もやっていないことをいくつもやって、気づいたこと。

分かったのは、他人は無責任であるということです。常識という印籠をかざして一般論で他人のパッションを否定する人がいかに多いことか。
やれば必ずうまく行くわけではありません。でも、やった人は必ず満足します。そして、次に進んでいきます。いつまでも鬱々としている人たちとは人生の質が違うのです。

コロナ後の世界。

自分の意志で人生を切り拓くことは素晴らしいですよ。新型コロナウイルスとそれにまつわる政策・噂などなどで世の中がめちゃくちゃになってきたじゃないですか。いい加減な情報や空気に踊らされていると不幸になりますよ。自分でやるしかないです。自ら動くのが最高。
会社を作るとか、転職に成功するとかはゴールではないですからね。そこから何を成し遂げていくか、自分にとって、同時に社会にとってなにが素晴らしいのかを常に考え続ける必要があります。「生きてる」っていうのは自分の意志を働かせることなんです。
コロナウイルスの影響で行動を制限される時期がどれだけ続くかわからないけれど、何があってもやることを変えないのが一流の人の傾向だと思っています。やり方は変えるけれど。だって、自分たちの行動は不要不急じゃないですから。


シャルソンを主催したい方はこちらをどうぞ!


パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。