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サンドマンの声がする。

 幼い頃、父は毎晩、私が眠れるまで本を読んでくれた。
「このお話で人は死にません。だから、安心して寝てください」
 父のおはなしは、毎晩この前置きから始まる。
「あっと驚くようなこともありません。だから、安心して寝てください」
 布団のうえから私のことをトントンと優しく撫でる。
「誰かが悲しくなるようなことは起きません。争いも起きません」
 父の声は大きくなく、しかし、耳にするりと入り込んでくる。
「だから、安心して寝てください」
 私はいつの間にか目を閉じている。おはなしに興味が無いわけではない。ただ、あぁ安心できる。そう思って私は目を閉じていた。父はいたずらに盛り上げず、同じ音量で、どんな情景も、どんな台詞も、淡々と語っていく。それを音楽のように聞いて私は眠りについた。だから、内容はほとんど覚えていなかった。

 そんな父がいたから、私が本の虫になるのは必然だった。父におすすめの本を聞いて、それを読んだ。私の成長や気分に合わせて、父は本を選んでくれた。怖い話や刺激の強い話を読みたいと言ったときには、困ったような顔をしながらも、うんうん唸りながら必死に選んでくれたのを覚えている。人生の節目節目で、そんなことがたびたびあった。そんな私だから、今夜も寝落ちのために本を読む。小さな画面の中の文字を読みながら物語に吸い込まれていく。頭の中では父の声と私の声が重なっていた。その画面が突然、切り替わった。
「ッ!あ、お母さんか。なに、電話?え?」
 画面に映し出された家族写真と母の名前。現実に戻ってくるまで数秒かかって、私は通話ボタンをタップした。
「もしもし、どうしたの、こんな時間に」
「お父さんが、な、なく」
 母の声は落ち着きが無い。
「どうしたの、お母さん?お父さんがどうしたの?」
「お父さんが…亡くなったの。亡くなったの…」
 電話口で泣きだされてしまって、私は泣くタイミングを逃してしまった。血の気がすーっと引いて、思考が冷えていった。

 実家に着いたのは翌日のことだ。葬儀に関することで母がバタバタと出歩いていたので、私はひとりぼっちで父の部屋にいた。図書館みたいな部屋だった。本棚だけが並んでいる。衣服や他の持ち物は居間にあった。だから、この部屋は父だけの世界だ。そこに私がいる。久々だった。今でも、どこかに父がいる気がする。本棚の陰からひょっこり出てきて、やぁ来てたのかいなんて、あの声がしそうな気がする。私はその姿を探して、部屋を彷徨う。彷徨いながら、並んでいる本の背表紙が目に入る。借りた本を見つける。立ち止まって背表紙を撫でる。父の声を思い出す。また歩く。借りた本を見つける。それを繰り返した。声がする方に歩いた。声はするのに姿が無い。そうして、部屋を何周もして、いつの間にか私は父の机の前にいた。机の上に積まれた本の中に、見覚えがある背表紙の本があった。革の装丁のそれは、本というよりノートに近いデザインで、背表紙には題名の表記は無かった。積んである本を丁寧にどけて、それを手に取る。表紙にも題名は無い。どこで見たんだろう。少し考えて、私は小さい頃のあの夜を思い出す。父の手には、この本があった。意を決して開く。

 そこには何も書かれていなかった。

 ノートだった。白紙のページが続く。めくってもめくっても、何も書かれていない。首をひねっていると、真ん中の辺りで、突然、名前を呼ばれた。手を止めたそこには、私の名前が書かれていた。

「さとこへ。君がこれを見つけたということは、僕に何かあったのだと思います。多分、もう亡くなってしまっているのかもしれません」
 父の字が語りかけてくる。1ページに少しずつ。私はゆっくりとめくっていく。
「残念ながら、このお話では人が死にます。僕です」
「突然のことで、あっと驚かせてしまったことでしょう」
「君とお母さんを、悲しませてしまっているでしょう」
「大した財産もありませんから、争いは起きません。安心してください」
「僕は、幼い君に、何を伝えてあげればいいのか、本当に悩みました」
「悩んで悩んで。結局僕は、毎晩、お話を作ることにしました」
「小さな頃の君は、とても繊細でした。大きな音が苦手で、ちょっとした変化にそわそわして。だから僕は、うんと悩みました」
「つまらなかったかもしれません。僕は自信が無くて。だから、本が好きな子に育ってくれて、一緒に本の話ができて、僕は幸せでした」
「先に行くことを許してください。お母さんをよろしくね」
「君はよく育ってくれました。大丈夫。何も心配ありません」
「だから、安心して寝てください」

 涙をノートに落とさないようにそっと閉じ、机に置いてから。私は声を出して泣いた。あの夜のようにお父さんの手の感触を背中に感じながら泣いた。泣いて、泣いて、その後で。私は大きな声を出したくなる気持ちをぐっとこらえた。

「おやすみ、お父さん。安心して寝てね」

~FIN~

サンドマンの声がする。(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『小さな画面の中の文字を読みながら物語に吸い込まれていく』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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