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パープル・レイン

 ブルーベリーの雨が降っていた。タタタタタ…と、硬いものが地面に当たる音。パチュッ、パチュッ。コンクリートのタイルに真新しい染みがついていく。たまに混じっている柔らかい粒が着弾と同時に弾ける。雨宿りをしながら、私は黙ってそれを見ていた。
「なぁ。なんでなんだろうな」
 隣で彼氏が雨空を見上げて言う。まるでドラマのように。ドラマを見過ぎた勘違い男がするように言う。
「よく分からないって言われてるようよ」
 私は適当に相づちを打つと、コートのポケットに入り込んだブルーベリーをつまみあげて口に含む。
「ブルーベリーのことじゃなく、俺たちのことだよ」
 演技じみた溜め息、次いで聞こえた電子タバコを取り出す音。私は悟られないように数歩離れる。潰れたブルーベリーの酸っぱい香りが流れてきて、鼻腔をくすぐった。
「俺たち、うまくやってたと思うんだよね」
 私は返事をせずに、口の中でブルーベリーを転がし、臼歯に挟んで感触を楽しむ。顎にゆっくりと力を入れて、潰れてしまうギリギリでパッと解放して、また転がす。早く終わらないかな、と思う。隣からは恋愛ドラマで使い古されたような言葉たちがタバコの香りに助けられながらも、ブルーベリーの降る音に掻き消されながら流れてくる。残念ながら私の鼓膜は1ミリも震えない。
「俺はお前を幸せにできる」
 ブツリ、という感触とともにブルーベリーの味が口の中に広がる。
「お前は俺じゃなきゃ幸せになれない」
 ブツリ。ブツリ。私は足元に転がってきたブルーベリーを指先の部分で潰す。ゆっくり、ゆっくり、体重をかけて、一粒ずつ潰す。靴の裏に甘酸っぱい汁気を感じながら、丁寧に潰していく。
「いい加減、機嫌なおせよ」
 気持ちの悪い猫撫で声は僅かに怒気を孕んでいた。私は、足元が紫色に染まっていくのを見ている。
「おい!なんとか言えよ!」
 私はハンドバッグに手を入れ、引き抜いて、指先に少しだけ、ブルーベリーを潰すように優しく力を入れた。特大の1粒が弾ける音と硝煙の香り。タタタタタ…。辺りには雨音だけが響いていた。
「私、煙草の臭い嫌いなの。あと、同じくらい臭い台詞も」
 吐き捨てるというにはあまりにも淡々と言葉を紡いで、私は小降りになってきた雨の中を歩き出す。さっきまでは大きかった雨粒はすっかり小さくなっていた。

「で、殺しちゃったの?」
「仕方ないじゃん」
 私はベランダにたっぷり溜まっていたブルーベリーを浸けていた水の中で転がしながら選りすぐって鍋に静かに入れていく。粒は大きければ大きいほど良い。鍋底が隠れていく。
「ジャムの代金代わりに拳銃渡しといて何だけどさ。そっかー、使っちゃったかー」
「仕方ないじゃん」
「あー、違うちがう。怒ってるわけじゃないよ。よしよし」
 彼女が後ろから抱き締めてくる。
「火、つけられない」
「いーから、いーから。なーんも心配しなくていいよ」
 頭がぐしゃぐしゃと撫でられる。涙が鍋の中に落ちた。
「今日も、美味しいのお願いしますよー?」
 ひとしきり私を慰めると、彼女はソファに戻っていく。私は気を取り直して、鍋を火にかけた。木べらを手にしてブルーベリーを潰していく。ごしゃっ、ごしゃっ。荒く潰していくと、部屋に濃厚な香りが広がる。

 世界にブルーベリーが降り始めたのが半年前。そのときに人類の大半は死んでしまった。ブルーベリーが有毒な物質を含んでいたと分かったのは少し後のことだった。私はそれが分かる前にブルーベリーでジャムを作った。丁寧に作ったジャムからは有毒な物質は検出されず、代わりに強い多幸感を得られるような成分が検出されたとのことで、どこかからそれを嗅ぎ付けた人に高値で引き取られていった。私の家には同居人が増えた。拳銃はそのときに大金と一緒に貰ったものだった。

 香りづけのためにアールグレイを濃く煮出して、慎重に注いでいく。焦げ付かせないように木べらでかきまわす。最初とは裏腹に、撫でるように、愛でるように、丁寧に、丁寧に。
「まーだー?」
 同居人の声がする。味見のおねだりだ。
「もう、できるよ」
「やったー!」
 ソファから起き上がる音がする。鍋から目を離さなくても分かる。
「火、あぶないから」
「分かってる分かってるー」
 抱き着き癖のある彼女をけん制しながら、私は鍋に向かい続ける。
「さーて、ボスに連絡しなくちゃなーっと」
「あ、渡すのは」
「脱気してから」
「そう、うん」
 私は小皿に少しだけジャムを取って、彼女に差し出す。
「内緒だかんな!」
「わかってる」
 彼女は満面の笑みで猫のようにそれを舐めるのだった。

 レシピ通りにジャムを作る。それしかできない私は、ブルーベリーの雨のおかげで褒めてもらえるようになった。世界は紫に染まってしまって、人もいくぶんか減ってしまったみたいだけれど、私の人生には虹がかかるようになった。今、空にかかっている紫一色のものではなく、昔どこかで見た七色の虹が。

~FIN~

パープル・レイン(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『ブルーベリーの雨』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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