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僕らを乗せて。

街クジラ【まち-くじら】
地球上の陸地のほとんどが失われた大陸水没現象の際に建造された巨大客船の通称。食糧生産を含めて人類が生存するためのあらゆる機能を有しており、災害から200年が経過した現在でも、その背に多くの命を乗せて大海原を泳ぎ続けているとされているが、他の街クジラを観測したという記録は一例も存在せず、接触もまた行われた記録が無い。

街クジラ4278号 船内データベースより抜粋

「世界にはもう私らしか残っていないんじゃないかと思うんだよね」
 沈む夕日に染められて、君は今日も同じ台詞を繰り返す。
「人間同士の争い、略奪やトラブルを防ぐために、街クジラ同士は航路を調整しながら泳ぐように設計されてるってだけだよ」
 僕も昨日と同じ台詞を繰り返す。毎日のルーティーン。精神を保つための決まりごととも言えるし、それを要するということ自体、既に精神は綻んでいるとも言える。そんなことを取り留めも無く考えている。水平線はどこまでもまっすぐだ。
「でもさー、ちょっとぐらいすれ違ってもよくない?」
「それが希望だろうと絶望だろうと、ちょっとでも見えてしまったら人間はそれを目指さずにはいられないからね。海の上の変わらぬ平穏に飽いた気持ちは分かるでしょ?」
「年中無休四六時中だと海の景色も整った顔も見飽きちゃうものね」
「お褒めにあずかり光栄です」
 いつものやりとり。あとは夕日を見送って、月を眺めて、眠るだけ。昨日もそうだったから、今日もそうなるはずだ。
「ちょっと…あれ、街クジラじゃない?」
「さっきの話聞いてました?そんなこと、あるはずが」
 君の指の先、夕日の方向から少し外れたところに、黒い影があった。この船にレーダーの類は無い。少なくとも僕らはアクセスできない。通信機の類も同じだ。信号弾も無い。そもそも舵すら無い。僕らは自動航行システムに身を任せる身なのだ。
「見間違いですよ。さ、寝ましょう」
 諦めきれないといった様子の君の手を取る。希望は毒だ。ときにそれは、絶望よりも人を死に至らしめてしまう。

 あれから数日、君は水平線の向こうに街クジラを探してばかりいる。ルーティーンはすべてキャンセル。月曜日の掃除も、火曜日のカフェ巡りも、水曜日の映画デートも、木曜日のお昼寝も、金曜日の農作業も、すべてキャンセル。君はぼーっと海の向こうを眺めていて、僕はじっとその隣にいる。残念なことに、水平線の向こうに見える街クジラらしきものの発見例は日ごとに増えていく。遠くから汽笛のような音が聞こえたこともあった。君はそれをくじらのあくびだと言ってはしゃいだ。僕は笑ってそれに応えた。君の目の下にはくまが出来ていた。

「昨日、システムにアクセスしたら新しい情報が増えていたよ。こんなことは10年前に謎の病気で皆が死んでしまったとき以来だよ」
 宛てもなく、ただただ他の街クジラを避けるようにして泳いでいたはずの自動航行システムには明確な目的地が設定されていた。その座標がどの国に属していたのかも表示されていたが、調べてみる気にはなれなかった。
「ねぇ、いつになったら触れ合えるのかしら」
 僕の言葉を聞いていたのかいなかったのか。彼女はぼーっと水平線の向こう側を眺めている。明らかに痩せてしまったその姿に、僕は睡眠導入剤や点滴の導入を検討するが、綺麗な肌に針を突き立てることをためらってしまうのだった。

「ほら、街クジラだよ」
 僕は車イスに乗った君に話しかける。君は人形のようにぼんやりと目を開けたままだ。はるか遠くに小さな点のようにしか見えてなかった他の街クジラは、いまやはっきりとその姿を視認できる程度の距離にあった。明らかに同じ方向に向かって並走している。
「もうすぐ、他の街クジラに乗っている人に会えるよ」
 君は薄く微笑む。僕にはそう見えた。

 大きな音を立てて街クジラが陸地に乗り上げる。激しい揺れから君をかばうように抱きしめる。音と揺れは後ろからもやってきた。どうやら他の街クジラがぶつかってきているようだった。あるいは、僕が陸地だと思ったのも、先にやってきた別な街クジラだったのかもしれない。僕はすっかり痩せ細ってしまった君をお姫様のように抱き上げて街クジラを降りた。しばらく歩くと大きな塔のようなものがあった。他の街クジラから降りてきた人々にならって、僕らもその塔に入る。
「管理AIの方はメンテナンスのためにこちらへどうぞ。他の方はこちらへ。大丈夫ですよ、また元気な状態で会えますよ」
 笑顔の女性に君を預けると、頭上からは大きな声が降ってくる。
「これより新型街クジラ1号機は選ばれた皆さまを乗せて新たな海へと旅立つことになります。遠い未来、座礁した街クジラで新たな大陸が出来上がるのを、我々は星の海で待つことにいたしましょう」
 僕は君の頭を撫でて、軽く頬にキスをした。
「また後でね」
 僕が握った手を君はしっかりと握り返した。

~FIN~

僕らを乗せて。(2000字)
【シロクマ文芸部参加作品 & One Phrase To Story 企画作品】
シロクマ文芸部お題:「街クジラ」から始まる小説 ( 小牧幸助 様 )
コアフレーズ提供:花梛
『くじらのあくび』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
シロクマ文芸部、参加させていただきました。
ここまでお読みいただいてありがとうございました!

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One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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