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透き通る君との夏。

 ガラスの手に亀裂が走る。否、手だけではない。ガラスでできた体に亀裂が走っていき、透明な体に白い線が無数に入っていく。追って、足元に溜められた赤いインクが亀裂に吸い上げられていく。透明な体に赤い線が無数に刻まれていく。胸の中心にひと際大きなインク溜まりが形成されると、全身がドクンと脈打った。透明で硬くて無機質な肌が、柔らかくて有機的な色味を帯びていく。
「りんご飴かいちご飴みたい」
 見えなくなってしまったインク溜まりを惜しむように、胸の辺りをそっと指でなぞる。
「もうちょっと良い喩えが良いんだけどな」
 私の指に君が手を添える。まだひんやりと冷たい。
「おはよう、おねぼうさん」
「おはよう。ちょっと老けた?」
 私は君に抱き着いて、君は私を抱きしめて、私と君はキスをした。

「今年はどうするの?彫刻?油絵?小説?」
 私はコーヒーを淹れながら、ソファに座る君にたずねる。
「そうだなぁ…音楽にしようかな。ボーカロイド?だっけ?あれ触ってみようかと思って」
 君は晩ご飯のメニューを決めるみたいに、こともなげに言う。
「えー、さすがにひと月じゃ厳しいんじゃない?」
「まぁ、いつも何とかなるし、大丈夫じゃないかな」
「幻の天才芸術家、ボカロPデビューですかぁ」
 私が言うと、君はくすぐったそうに笑った。

 幻の天才芸術家。それがさっきまでガラスの人形のようだったこの人の正体。1年に1カ月だけこの人は人間として生活できる。あとの11カ月はガラスになってしまって動けない。どういうわけだかそういう体質なんだ、と出会った頃に打ち明けられた。悲観しているわけでもなく、達観しているわけでもなく、生まれつきのアレルギーとか花粉症の話でもするように言われたから、最初は冗談だと思った。その数日後に目の前でガラスになっていく彼を初めて見て、私は彼を支えようと心に決めた。

「去年の水墨画、すごい値がついちゃって大変だったんだから」
「毎年ご苦労をおかけいたします」
「いえいえ、養ってもらっている身ですからね」
 彼はガラスの中で11カ月間溜め込んだ情熱を1カ月間で爆発させる。その生き様はセミを思わせた。ある年は銀細工、またある年は推理小説。楽しそうに生活して、楽しそうに作品を生み出していく。そして、そのことごとくが業界を騒がせてしまう。それらを管理するのが私の仕事だった。然るべき人に値段をつけてもらったり、次の年に何を作りたいと言われても良いように色々と準備したりしていると、11カ月なんてあっという間だった。

 ガラスになっている間、実は意識があるという話になったのは何年目のことだっただろうか。あるいは私が気付いたのだったか、今となっては遠い昔のことだ。成長が止まるとか、仮死状態になるとか、そういうのではないようで、目覚めた彼の体には確かに変化が見られたし、どうせ聞こえていないだろうと思って話しかけていた内容を茶化されたりして発覚したんだと思う。悲しませてごめんね、と優しく言われたこともあった。

「もう、あまり時間無いね」
 君の肌が白磁のように柔らかさを失ってきている。それに気付くのはいつだってベッドで触れ合ったときだった。
「え?もうそんな時期?」
 人間でいられる期間はその年によって違う。今年は少し短いかもしれない。少し寂しくなる。
「明日、お出かけしよう」
 私が甘えた声で言うと、君は私の頭を撫でてくれる。OKのサイン。
「それじゃ、もう1曲仕上げちゃおうかな」
「やだ。もう少しこうしてて」
 精一杯のわがままを言いながら華奢な体を抱きしめる。力を入れたら壊れてしまいそうな錯覚に陥りながらも、必死につなぎとめた。頭に手の感触を感じて、私たちはまた互いの肌に指を這わせた。

 今年も私と君の夏が終わる。たくさんキスをして、たくさん抱き合って、それでも足りなくて、また肌を合わせた。
「作品、YouTubeに予約投稿済ませてあるから」
「分かった。楽しみにしてるね」
 最後の最後。業務連絡を終えて定位置についた君の体から色が抜け始める。君は私の頭を撫でてくれる。 
「来年の今頃は、子どもがいるかも」
 私は無理に笑いながら冗談めかして言う。君の足元には赤い液体がうっすらと溜まり始めた。
「それ、去年も言ってなかった?」
 君も笑っている。透き通る肌の向こうにはひと際きれいな赤い結晶が光っている。
「りんご飴かいちご飴みたい」
 残された時間を惜しむように、胸の辺りをそっと指でなぞる。
「もうちょっと良い喩えが良いんだけどな」
 私の指に君が手を添える。もうひんやりと冷たい。
「おやすみ、愛してるよ」
「おやすみ、またね」
 柔らかくて有機的な肌が、透明で硬くて無機質な色味を帯びていく。透明な体に無数に走る赤い線は白い亀裂に変わっていく。その亀裂もやがて無くなっていった。透き通る美しい体。ガラスの右手。その小指の先から、赤い液体がぽたりと垂れた。

~FIN~

透き通る君との夏。(2000字)
【シロクマ文芸部参加作品 & One Phrase To Story 企画作品】
シロクマ文芸部お題:「ガラスの手」から始まる小説 ( 小牧幸助 様 )
コアフレーズ提供:花梛
『りんご飴かいちご飴みたい』
本文執筆:Pawn【P&Q】

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シロクマ文芸部、初参加させていただきました。
ここまでお読みいただいてありがとうございました!

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One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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