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夢がいくつも叶った日の話。

 ジャムをもらった。人生で初めて、ジャムを、もらった。

 それはビンに入っていた。ベッドに寝転んだままライトにかざすと赤くキラキラと光る。その透き通る赤の中に何か黒いものが浮かんでいる。
「きれいだな」
 そのまましばらく、ビンの角度を変えては光に透かす。
「ほんと、きれいだな」
 まさか食べ物に対して、おいしそう以外の感想を1番に抱くことになる日が来ようとは思ってもみなかった。かれこれ1時間ほどこうしている。しかし、そろそろ頃合いだろう。
「おいしそうだな」
 きれいだな。と、おいしそうだな。をいく度か繰り返したのち、俺はベッドから起き上がる。確か下に食パンがあったはずだ。ジャムの入ったビンを大事に両手で包むように持って、ゆっくりと慎重に、階段を下っていく。1段ずつ降りながらイチゴジャムの味を想像する。期待が上がり過ぎてはいけないと分かっている。分かっているけれど、あの赤い色を見たら、期待が高まってしまう。いよいよ。台所に着いた。テーブルの上には食パンが袋に入って置かれている。あるという確信はあったけれど、これでひと安心。俺はほっと胸を撫で下ろした。

 テーブルの上には、皿1枚、豆皿1枚、食パン、スプーン2本。そしてジャムのビン。蓋に指をかけて、力を入れる。ボコッというくぐもった音。そして隙間から流れ出すイチゴの香り。鼻の奥まで吸い込む。あぁ、これは当たりだ。大当たりの匂いだ。近所のイチゴ農家の直売所でたまに売られる幻のイチゴジャムと同じかそれ以上のヤツだ。
 焦ってはいけない。慎重に蓋を外すと、原形を留めたままジャムになったイチゴが顔をのぞかせる。なんてことだ。最高じゃないか。俺はスプーンをビンに挿し込んで、潰れないようにイチゴを取り出して豆皿に移す。移して、別なスプーンを使って口に運ぶ。
「―ッ!?」
 最高だ。もうこれは我慢できない。食パンを取り出し、ジャムを乗せていく。白いパン生地、赤いイチゴ、謎の黒い粒。鼻の高さに持ち上げ、あらためて香りを楽しむ。よし、行こう。意を決してかぶりつく。最初はイチゴ。酸味と甘みが広がると、ザクッという歯触り。これは何だ?
「チョコ…レート…?」
 ジャムにチョコレートだと?聞いたことが無い。ホイップクリームにチョコチップやオレオならまだしも、ジャムにザクザクとしたチョコチップ?初めてだ。いったいこれは何なんだ。あっという間にパンが1枚無くなる。
「うまい…」
 2枚目が消える。
「うまい…」
 3枚目が消える。

 カツン

「あれ?」
 ジャムのビンは空になっていた。
「嘘だろ…」
 うろたえる。あんなに大事に味わったのに。
「どうしよう…」
 もう、他のジャムじゃ満足できない。ホイップクリームと板チョコ?勝てるはずがない。ハチミツとクルミ?惜しいけれど及ばない。
「どうすれば…」
 そう言えば、これをくれた子はなんと言っていただろうか。そう、あれは数時間前。学校帰りに家の前で呼び止められたのだ。

「あ、あの!これ!」
 マフラーをした女子が紙袋を抱えていた。
「うちのイチゴで作りました!食べてください!」
 話す間もなく、グイッと押し付けるように渡された。女子はそのまま、走り去ってしまった。

「うちのイチゴ…うちの…イチゴ、だと…?」
 記憶の中で引っかかっていた言葉が光り輝き始める。そうか、俺の鼻は間違っていなかった。あの直売所のある家だ。そうに違いない。それに、この近くでイチゴを作っているのはあそこだけだ。俺は立ち上がる。使った皿とスプーンを洗い、蓋をしたジャムのビンをジャンパーのポケットに入れると、玄関を出て、自転車に飛び乗る。

 時刻は6時。目的の家に着くと、ためらわずに玄関のチャイムを鳴らす。家の中から叫び声と何かを倒すような音、そしてバタバタと走る音がして、ガラリと引き戸が開く。目の前には、あの女子がいた。マフラーが無いが、多分そうだ。よく覚えていないが、おそらくそうだ。
「あの」
 ポケットからジャムのビンを出す。女子の驚いた顔。
「ここで、間違いないだろうか」
「はい!ここで間違いありません!」
 間髪入れず、女子が返してくる。よかった。これで安心だ。俺は姿勢を正して、深々と頭を下げる。

「おかわりをください!」
「はぁ!?」

 結論から言うと、あれはバレンタインの贈り物で、紙袋の中には手紙が入っていて、俺はあの後、玄関先で女子に説教され、勢いで手紙に書かれていた内容と同じことを口頭で伝えられ、俺は即答で返事をし、そのまま抱き着かれた。人生とはどうなるか分からないもので、かくして俺は幻のイチゴジャムを作る、世界で一番敬愛している人物に挨拶を果たし、おかわりの焼きチョコ入りイチゴジャムと試作のスパイス入りイチゴジャムをお土産にもらって帰路に就いた。
「美味いジャムを作る人に、悪い人はいない」
 帰り道、俺は夜空を見上げて呟いて、自転車を漕ぐ足に力を入れた。

~FIN~

夢がいくつも叶った日の話。(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:Pawn【P&Q】
『おかわりをください!』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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