ラガーマン、背番号16。

ひさびさに、文章を、書きたい。

欲求に、駆られました。

ラガーマン、背番号16。

どういう意味か、わかりますか?

ラグビーは、15人で、するスポーツです。

つまり、背番号16

とは

補欠である。

という事です。

何年間も、努力して、みんなと、同じ練習をして、大切な、試合の時に、ベンチに、座って、仲間を、見守る。

文章の捉え方次第で、悔しかったね。

同情する人も、いるかもしれません。

そりゃ、悔しい気持ちが、0か?

と、問われたら、否定しません。

しかし、

それよりも、

チームが、勝つことを、重んじる。

チームが、勝ったら、嬉しいと、

喜びを、

共にし、

チームが、負けたら、悔しいよね。

と、涙を、流す。

冷徹な、合理主義者ではない

自己弁護に、近いものは、させて、頂きたい。

スポーツの世界は

弱肉強食だ。

だが、

決して

温かい血の通わない

生き物が、スポーツしているわけではない。

お茶を、濁すような、物言いだが、

鋼の錬金術師の終盤のクライマックスに、近いシーンに、こんな、セリフが、ある。

「強い者が、弱い者を、守り、弱い者が、それよりも、弱い者を、守る。」

温かい血の通った、貴方なら、理解出来るでしょ?

表向きは、弱肉強食だが、本当は、何というか、人間的な、あまりに、人間的な、仁義の世界である。

バカな性善説信者と、笑うものも、いるかもしれない。だが、人間は、それだけ、優しいのかも、しれない。

話を戻そう。

スポーツの話だ。

今度は、ラグビーではなく、女子バレーだ。

日本の女子バレーが、世界のオリンピックの舞台で、数十年ぶりに、メダルを、取ったのは、ご存知の方も、多いだろう。

監督のインタビューで、こんな事を、語っていた。

「日本のバレーの強さは、日本代表として、ユニフォームを、着られなかった選手の一番目の選手に、ある。」

何を言ってるか、わかるだろうか?

この、監督の深い造旨を。

私には、よく、わかる。

痛いほどに。

私が、大学時代、

ラガーマンだった頃

背番号は、16だった。

直接、試合に、出れない。

だが、共に、頑張って、勝利を、目指してきた、同志達が、鼓舞する姿を見て、感情が、動かない人は、いないのでは、無いだろうか?

己の感情を、超越して、チームの感情を、味わう。

音楽好きなら、この言葉に、ピンと来るだろう。

「グルーヴ感」

最近、流行りのアドラー心理学なら、アドラー心理学の真骨頂のこの言葉で、表現可能だ。

「共同体感覚」

政治的言葉は、嫌われるだろうが、こういう置き換えも、可能かも、しれない。

「全体主義」

全体主義は、善い方向にも、悪い方向にも、転ぶ。

だからこその

「個人主義」

難しい言葉ばかりを、つらつらと、並べてしまったから、噛み砕こう。

「1人1人が、善くあろうと、しなければ、全体が、善くなることは、無い。」

難しい言葉に、なるかもしれないが、ニーチェのある言葉を、持ち上げてみる。

「影響力が、皆無な、人間は、いない。」

ミスチルの歌詞の引用なら

「僕らは、連鎖する生き物だよ。」

ラガーマン、背番号16

から

だいぶ、壮大な、話に、なってしまったが、お許し願う。着地点(収束地点)が、見つからない。

より善い記事を書きたいと思うので、サポートしていただけたら幸いですm(__)m