『梅切らぬバカ』の感想と異なる立場の人への理解について

映画『梅切らぬバカ』を観ました。
お母さんに『トークサバイバー』というネットフリックスの番組を勧められて見ていて、それは芸人がエピソードトークをしながらドラマが進んでいくというバラエティなのですが、3話目くらいでドランクドラゴン塚地さんが(正確には覚えていないのですが)、「ドラマで5歳の子役の子と楽屋にいると、その子が「台本読み合わせ一緒にしよう」と言って膝の上に乗ってきて、一つの台本を2人で読み合わせることになり、子どもの純粋さにぼろぼろ涙が出てきた」と語っていて、感動しました。それでトークサバイバーを見ながら塚地さんって映画の主役とかもしてたよなと思ってwikipediaを見たり調べたりしていると、2021年公開された『梅切らぬバカ』という加賀まりこさんと塚地さんが親子役を主演で演じている映画があることを知りました。お父さんの部屋で日本映画専門チャンネルの映画が録画してあって、ちょうどお父さんも最近その映画を見ようとしていたところだったので、一緒に観ました。

簡単に言うと、自閉症の息子とその母親と地域コミュニティとの関わりを通した日常を描いた作品です。映画は演技も含めてとても良くて、最後に白黒つけたりしないのもリアリティがあってよかったです。隣の家の人との関わりの描き方を見てあたたかい気持ちになりました。映画で出てくる地域には知的障害者が共同生活を送るグループホームが建っているのですが、それに対する地域住民の反対がリアルでした。

以前、京都市伏見区に身体や精神の障がいなどがあり日常生活を営むことが困難な人たちが入所する『救護施設』を建設することに地域住民が反対したというニュースをみました。ここ1、2年くらいの話です。子どもを持つ親などからの猛反対があったそうでした。しっかり調べたわけではないのですが、万が一トラブルがあったらどうするのか、という懸念が多く上がっていたということでした。わたしはそれを読んだときにはそういう地域住民みたいな『逸脱していない人』こそ本当に怖いものだよなと思いました。お父さんにこの話をすると、親として心配になる気持ちもわかると言っていました。お父さんは障害を持つ子の学校の先生をしていて、作業所にも関心があり、福祉のことも詳しいのですが、それでもどちらの立場もわかるのがすごいというかそうありたいと感じます。わたしには親の視点みたいなのが欠けているので全面的に建設とかに対しては賛成してしまいますが、たしかにそれもみんなの立場をわかった上で判断しているとも言えないよなと思います。

今調べていると、このような記事がありました。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/413a5e2005eb839414096276ace1ea3f63d94dec

ここでは以下のことが書かれていました。

障害者と関わったことのない人が51.9%

ーなぜここまで不安が高いのでしょうか?

 地域住民の人たちは、これまで障害理解や人権啓発の講座などで、「精神障害とはこういう障害」という知識は得ています。けれど、知識を得ることと、施設を受け入れることは別問題なのです。いくら知識レベルでの理解があっても、差別偏見はなくならない。

 そして、これも日本特有の点ですが、日本は障害者と関わったことがないという割合が他の国と比べてダントツで高い(表3)。障害者と関わったことがない人がなんと半分の51.9%。関わりを持ちたい人は26.2%のみ。

 そのため、施設建設にあたっての合意形成は、いかに障害者と住民の関係性をつくっていくか、が肝となります。施設側から意図的にその機会をつくりあげていかないと、住民側から進んで障害者を知ろう、とはならない。他の国ですと、例えばイタリアは住民から積極的に関わってみたい、触れ合ってみたい、という声が多いが、日本の場合はそれがない。

別の何かの記事でもたしか、日本人はボランティアをしている人が少ないということが書かれていました。反対している人たちは知識としてしか障害のことを知らず、差別とかなんかあかんから普段は言っていないけど、内心は何も理解していないのだということがわかります。LGBT理解法案なども、できても国民の意識や理解っていうのは形式的なものだけなんだろうなと思います。

また、この記事に以下の記述がありました。

差別をなくしていくための具体的な方法

 野村准教授の実践・研究は、差別をなくしていくための具体的な方法を示してくれている。「差別はダメ」と言ったり、「障害についての知識を増やす」ことでは十分ではなく、実際に日常の中で接することで感情的に理解する機会をつくっていくこと。「良い関係性」を築くことをゴールにして、その機会を提供していくこと。これらは、施設コンフリクト以外の場面でも応用できる。

こういう内容は映画で触れられていたことでもありました。この映画は特にメッセージ性が強いというわけではないと思うのですが、主役の親子の隣の家の子どもが(もともとやさしそうな子ではあるけど)、実際に自閉症の忠さんと関わって、隣の家の両親も少しだけ変わっていくみたいなことが描かれていました。わたしも普段から、知識と経験が相まって初めて、概念とか物事を実感しながら心の底から理解できるんだろうなと感じていました。

ジョジョの5部でもそれを体現するセリフがあります。

わかったよ、プロシュート兄ィ!!兄貴の覚悟が!「言葉」でなく「心」で理解できた!」
「ブッ殺すって思った時は、兄貴ッ!すでに行動は終わっているんだね」

ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

先ほどの記事では理解増進の方法のヒントになるようなことも書かれていました。

ー「障害者との関わり」経験がある人は不安も減るのでしょうか?
 関わったから良いということではなく、どのような関わりをしているかにもよります。例えば単発の行事など、ある特定の場面のみでの関わりだと、「この人たちは日常にはいない人たち」「自分たちとは別のグループに所属している」と認識してしまいます。

 本当は日常の生活の風景の中で当たり前に生活をしていないと、知識としては得られたとしても感情面では「別」がずっと続く。今の学校の「障害理解教育」も変えていかなければなりません。一番いいのは、早いうちから当たり前に生活する。日常に障害のある人が当たり前にいる。そこから変えないと、障害者に対する感情を伴った理解は難しいのです。

たしかに、障害を持つ人に限らず、日常的に自分と全く異なる想像もできないような立場の人が存在することで、自然と理解をしていけるのかなと思いました(具体的にそれをどう実現していけるかは置いておいて)。

このような良い活動をしている人がいます。


この美容師の方みたいなことができるのって、もともとやさしいからなんだろうなと思います。そうでない人はどうしたら理解できるようになるのかは今のところ思い浮かびません…。また、お父さんの学校でも若い先生がたくさんいるそうで、そういう色んな立場のことを理解して考えられる人が社会を作ってくれたら誰でも住みやすい社会ができるだろうなと希望が持てます。


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