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小豆餅80's - 可哀想な「ひとくん」

ひとくんのことを思い出している。ウチから70mほど向こう、通りを挟んであった小さい畑の脇に、ほったて小屋のような平家があり、そこに住んでいた私の一個下の小学生だった。多分ヒトシという名前から「ひとくん」と呼ばれていた。思い出す姿は彼が3年生くらい。坊主頭でまゆげが繋がっていて、肌がちょっと黒くて、冬は鼻水がつららになっていた気がする。いや違っていたら申し訳ない。

ひとくんとはある夜の出来事があってから、家族ぐるみでの絶交を余儀なくされた。そしてそれは紛れもなく私の責任である。自分勝手を絵に描いたような、自分の性格が呼び込んだ、不幸な夜の出来事が原因である。

ひとくんの家族と絶交した夏。それは私の家から花火が消えた夏でもある。

その夜、近所の仲が良い4、5家族が集まって、家の前の空き地のような駐車場で手持ち花火を持ち寄って楽しんでいた。夏で完全に日が落ち切っていたので、8時くらいだったと思う。子供の頃、バカな子供は暗くなると足が速くなるような錯覚を起こして、よく全速力で走ったりする。鈍足の私もそういった夜間の集まりがあると、何故か全力疾走をしていた。走りまくって、笑いまくって、花火をつけたまま手を回しまくって、このような子供にはあまり近寄ってほしくない、そんな子供に私はなっていた。

そして間違いは起こるべくして起こった。カンカンに蝋燭をいれて、そこの火をつかって花火に火をつけていた「ひとくん」。私はそこに向かって全力疾走していき、暗闇の中、缶蹴りのように缶を蹴り上げたのだ。理由はわからない。子供はお菓子の食べ過ぎか何かで血糖値が上がると、コカインを摂取したような状態になるのかもしれない。蝋燭がどろどろに溶けて溜まったカンカンが蹴り上げられたので、花火に火を付けようとしゃがんでいたひとくんは、頭から溶けたロウを浴びせられた形となった。

うわああーーん、と「ひとくん」の悲鳴が小豆餅に響き渡る。その後、私の記憶はぶっ飛び気味である。周りの母親たちの阿鼻叫喚で時間がゆっくりと、ほぼ時間が止まったような感覚になった。月明かりの下、うっすらと見えたロウを浴びた「ひとくん」の泣き顔が見えた。気がつくと、私の母親が泣き崩れていて、後ろの方に救急車の赤いランプが回っているのが見えた。

逮捕された人間の夜は長い。わたしは4年生なので逮捕はされなかったが、留置場にいるような気分だった。

ひとくんの家族と、私たちの家族は、その後絶交状態となった。母親は全力で謝罪を続けたと思われるが、向こうは全力でそれを拒否した。私の家からは花火が無くなり、私が家を出るまで、夏になっても花火をすることはなかった。罪悪感は万里の長城のように私と母の心に立ちはだかり、今でもそれは立派な遺跡として、毎年観光客で賑わっている。

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