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小豆餅80’s - 時空を超えたビンタ

掛川市につま恋という有名なリゾートホテルがある。ある幼い少女がそこにある屋外ステージの壇上で、あのアントニオ猪木に花束を渡している。真っ赤な薔薇の花束だ。小さなコロセアムのようなに高低差が付けられた観客席には、ゴールデンウィークの喧騒がさらに凝縮したような、楽しくて仕方がない、あの80年台ジャパンの日本国民たちが座っている。猪木さんは「可愛いお嬢ちゃんだねえ」みたいなことをマイクで言いながら、花束を受け取る。それを天に掲げて客と共に言った。「1.2.3.ダー!」その後、絶妙のタイミングであの闘魂のテーマが流れる。静岡と浜松の間の空白地帯、掛川に炎が灯った瞬間だ。

その少女は私の妹。そして、猪木を掛川に呼んだ張本人が私の父だ。イベント会社をしている父は、この頃毎年、つま恋で行われるイベントの運営を任されていた。家にはプロレス雑誌も転がっていたし、浜松市民体育館で行われた伝説のイベント、長州力vsアンドレ・ザ・ジャイアントにも、幼い私を連れて行ってくれて、ボンヤリとだが、アンドレ・ザ・ジャイアントを見るとフラッシュバックのような感覚に今でもなる。浜松のような街の、薄汚い市民体育館で、アンドレをみた記憶なんて、そう容易く消える種のものではない。そんなプロレス好きの父だから、きっとキッズイベントに託けて、猪木に会いたかったのだろう。

晩年の猪木さんといえば、ビンタのサービスタイムがあった。でもこの時の猪木さんはまだビンタのイメージもなく、壇上で誰もビンタはされなかった。幼い妹もビンタは喰らっていない。この時はまだ。。。

時を進めて、幼かった妹は15歳になった。ある日、古くなった自転車をそろそろ買い替えたいという話になり、父と妹は意気揚々と自転車屋に新しい自転車を買いに行った。そこで事件は起こる。
購入する自転車を巡って、父と妹が言い争いになったのだ。父が勧める自転車、妹が欲しい自転車、意見が分かれた。
妹がそこで放った一言が、仲の良い親子関係を永遠に分断する言葉となった。
「その自転車ならわたし要らない。自分で働いてでもこっちの自転車買う。」

結局自転車屋からは何も買わずに帰ってきたという。帰りの車内は無言であったという。そして家に着くなり、車から出ると、父親が完全にブチ切れた。

なにしろ見た目は「映画アウトレイジに出演中の西田敏行にスーツの代わりにフカフカのウールのセーターを着せた状態」である。この巨体がアクティブに向かってくるのである。妹は動物の勘というか生命の危機を察知して、玄関とは逆の方向に逃げた。家の横には国有林の森があった。

森の中を逃げる中学生の少女。それを追いかけるウールでフカフカの西田敏行。
徐々に差は狭まり、少女を捕まえる西田。
そして捕まってしまった少女。さきほどまでは仲の良かった父と娘。猪木の伏線がここで閃光と共に上から降りてきた。雷だ。

父は妹を掴むと、思いっきり往復ビンタを始めた。妹は放心状態だっただろう。真っ赤な頬は徐々に赤く腫れ上がっていき、少女の柔らかい口内の肉が切れて、血まで出てきている。後にも先にも父が子供に暴力を振るったのはこの時だけだ。たまにブチ切れて家中の物という物を床に落とすと言う行為は散見されたが、ビンタはなかった。

これはある親子関係の終わりの話である。
「地獄の黙示録」という映画の始まりのシーンにある、あのボンヤリとしたヘリコプターの羽の音が聞こえて、そこにドアーズの曲が流れてくる。妹がビンタを喰らい終えて、気を取り戻す時はきっとそんな感じだったのではないか。
妹と父はこの後一切会話というせず会話もせずに今に至っている。
父は死んでしまったため、本当にこの日自転車を買いに行く車中が最後の団欒だったのだ。
(今、娘を持った私には、この時の父の気持ちが分からないでもない。)

猪木を呼んだ親父が、猪木には喰らわなかったビンタを、時空を超えて代行処理してくる現実。こんなもの、信じられるわけがない。
しかし、この話はわたしの家族に起こった、紛れもない真実である。

R.I.P.
アントニオ猪木さん、そして父のご冥福をお祈りします。
地獄で安らかにお眠りください。(鬼を殴って楽しんで)

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