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歴史と伝説の交わる場所…コナハト地方「ピアースコテージ」訪問記

今回は、アイルランドのゴールウェイ県、コネマーラ地方の小さな村ロスマックにあるドマイナー歴史スポット「ピアースコテージ」について紹介しよう。

ピアースコテージとは、1916年イースター蜂起の指導者、パトリック・ピアースが建てた別荘のことである。イースター蜂起とはなんぞやという方は、この記事を読む前に独立国家アイルランド始まりの場所――「ダブリン中央郵便局」訪問記に目を通されたし。


訪れた感想を述べる前に、まずは彼が別荘をコネマーラ地方に作った経緯を説明しよう。

パトリック・ピアースといえば、出身地のダブリンか、敬愛していたクー・フリン繋がりでアルスター地方を連想するかもしれない。だが彼はこのコネマーラ地方、もといコナハト地方をこよなく愛していた。

パトリックがロスマック村に最初に訪れたのは1903年のこと。当時「ゲール語連盟」というゲール語の復興を目指す団体に所属していた23歳のパトリックは、ゲール語の試験官としてこの地にやってきた。

そこで彼は、コネマーラ地方の荒々しくも美しい大地と、ゲール語を話す人々の優しさに大いに魅了された。

パトリックはロスマック村で数日の休暇を過ごした後、1905年に土地を購入。1909年には夏の休暇を過ごす別荘として、また自身が校長を務める聖エンダ学校のサマースクールとして、茅葺き屋根の小さなコテージを建てた。

このコテージというのが、今回私が訪れたピアースコテージのことである。

パトリックは、1903年から1915年まで定期的にコネマーラ地方を訪れ、家族や聖エンダの生徒たち、地元の人々と穏やかな時を過ごした。彼は地域の祭りのほとんどに参加し、時には幻灯機を用いてパフォーマンスすることもあったそうだ。

コネマーラの人々は、パトリックを「自分のことはほとんど話さないが、礼儀正しい聞き上手な青年」と評し、温かく受け入れた。まるで自身の家のようにくつろげるコネマーラ地方は、パトリックにとって「第二の故郷」と呼べる場所だったのだ。

なお、現存するピアースコテージは実はオリジナルではない。オリジナルのコテージは、1921年に英国の傭兵部隊「ブラック・アンド・タンズ」に焼き尽くされ、永遠に失われてしまった。今我々が見ることのできるコテージは復元されたものなのだ。


と、ここまでピアースコテージの歴史的背景について説明したが、コネマーラ地方には、みんな大好きクー・フリンやフィン・マックールにまつわる伝説も存在する。

なんと、「巨人のクー・フリンとフィン・マックールが、コネマーラの山で何度も大げんかをした」というのだ。

「あいつら同時代の英雄じゃないだろ!」「そもそも巨人じゃないだろ!」などと皆さん思うかもしれないが、このようなクー・フリンとフィンの喧嘩伝承は北アイルランドにも存在する。暴れん坊の巨人クー・フリンが、心優しい巨人フィンを痛めつけるべくやって来たものの、フィンの奥さんウーナの知略によって撃退されてしまう、という内容の昔話だ。

また、コネマーラ地方には彼らの喧嘩で出来たとされる遺物もある。コネマーラ地方で最も有名なスポット、「カイルモア修道院」の裏手には巨大な三角岩があるのだが、これはフィンに激怒したクー・フリンが、怒りのあまり投げつけたものだという。この岩に背を向け、岩の上に小石を3回投げると願いが叶うそうだ。なんとも可愛らしい伝説である。

ゲールタハトの小さな村「ロスマック」を目指せ

さて、本題に入ろう。

パトリック・ピアースの第二の故郷とあっては行かないわけにいかん、ということで今回ピアースコテージ行きを決めたわけだが、地元の観光案内所の人に「Difficult Location」と言われる程度には行きづらく、訪れる手段は限られている。

考えられる移動手段を以下に並べてみた。

①電車

ない。パトリックが生きてたころはあったが現在は廃線。

②バス

あるにはあるし値段も安いが、1日のうちに往復することは不可能。※同じくピアースコテージを訪れた方によると、バスでコテージ近くの町まで行き、そこからタクシーに乗り換えるという手もあるそうだ。

③地元バスツアー

できるだけ節約したいならこれ一択。40ユーロ前後でカイルモア修道院のついでにピアースコテージも訪れることができる。ただし最少催行人員の条件が厳しかったり、滞在時間が極端に短かったり、夏季限定だったり、そもそも英語力が…と壁は多い。日本語ガイド付きツアーを手配することも可能だが、私が見積もりした時は半日で5万円近い値段だった。人数が多ければもう少し安くなるだろうが、ブルジョワ向けと言わざるを得ない。

④タクシー

今回私が使った移動手段。走行距離120キロ+待機1時間で150ユーロだった。ぼっちかつ余裕を持って滞在したいならこれ一択だろう。流しのタクシーはぼったくりリスクに加え走行距離の長さから断られる確率が高いので、事前にゴールウェイ市内のタクシー会社で予約することをオススメする。ちなみに私は「Big O Taxis」という会社を利用、予約は「ロスナリーの戦い」添削でお世話になったseri.naznaさまにしていただいた(本当に感謝…)。チート利用の私が言うのもなんだが、カタコト英語でも多分何とかなるだろう。頑張れ。

⑤徒歩

大体11時間の道のり。物凄い風と雨を浴びながら羊と交流したいお遍路さん向け。

⑥レンタカー

どこでも行ける無敵のツール。私は国際免許証を持ってない上、羊さんを轢いてしまいそうなのでハナから選択肢にない。


以上、行く手段はこんなところである。アラン諸島より世界の果てしてる気がする。

観光案内所の人いわく、「ピアースコテージのビジターセンターが完成したのは2016年だから、まだ受け入れ態勢が整っていない。来年はもう少しアクセスも良くなってるかもアハハ」とのこと。もう2019年なのだが? と突っ込んではいけない。


さて、ゴールウェイ市内からタクシーに乗ってコネマーラ地方へ向かう。ロスマック村までは車で約1時間の道のりだ。

車を走らせて30分もすれば人家もまばらになり、ぺんぺん草と岩、時々牛しか目に入らなくなる。

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あまりのド田舎ぶりに「とんでもないところへ来てしまった…」と思いながら運転手との会話を放棄し気絶していると、荒涼とした景色に妙にマッチするSFチックな建物が見えてくる。2016年に完成したばかりの、ピアースコテージ・ビジターセンターだ。

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このセンターでは、パトリックとゴールウェイの関係や、ゲール語文化圏の生活について紹介している。

パトリックが作った詩や物語に関する説明もある。博物館としては控えめな内容だが、ピアースオタクなら大いに楽しむことができるだろう。彼がアルスター伝説のファンだったためか、クー・フリンらの絵も飾られている。

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ちなみに、ビジターセンターにはカフェも併設されている。私が訪れた時はスタッフ不在だったが…。


ビジターセンターを一通り見学したところで、大本命のピアースコテージ見学に向かう。

見学料はビジターセンターの入場料込みで5ユーロ。センターの裏道を歩いて5分の場所にあるのだが…

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工事中だった。

運の悪いことに、コテージ内部は工事中のため見学することができなかった(入場料は3ユーロに値下げしてくれた)。

悔しいのでKEEP OUTの看板ギリギリまで近付き写真を取りながら、

「ああ…あの湖でパトリックは泳ぎの練習をしたのだろうな…」
「カナヅチだからな…」
「でも結局泳げるようにならなかったんだよな…」※実話

などと、パトリックの知られざる私生活にぼんやり想いを馳せた。

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しかし、最も注目すべきはコテージそのものではなく、パトリックが愛したコネマーラ地方の景色である。

この世界にタクシーの運転手、センターの職員、そして私だけが取り残されたかのような寒々しい景色…ゴツゴツした岩とぺんぺん草だらけの痩せた土地…どんよりとした曇り空に凄まじい豪風…まさにアイルランドの原風景と呼ぶにふさわしい、この場所でしか堪能できない眺めだ。私の下手くそな写真では伝わらないだろうが、この独特な風景はなかなかの感動モノであった。

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コテージ内部を見学できなかったのは残念だが、パトリックがこの地を愛した理由を、リアルな体験を通して実感することができた。ピアースオタクなら一度は足を運ぶべきだろう。

それ以外の人も、古代の伝説の息吹が感じられるこの場所に、機会があればぜひ訪れてみてほしい。


<参考文献>


<参考ページ>

ピアースコテージ・ビジターセンター公式サイト(http://www.icpconamara.ie/)
アイリッシュ・タイムス参考記事(https://www.irishtimes.com/culture/heritage/patrick-pearse-s-cottage-a-cultural-visit-to-ros-muc-1.2488318)
カイルモア修道院公式サイト
https://www.kylemoreabbey.com/


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