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不思議に起こるパノラマ

しばらく時間の感覚が無くなったかのように思えた。眠っていたわけでも、何かに集中していたわけでもなかった。天井を見ると、わずかな照明が瞬きと少しずれて、震えている。時計を持っている、私の声がうっすらと聞こえたかと思うと、消えてしまい、ここでは何らかの作用が起こっているようだ。上下するように、2進法に流れる滝がある。自分を取り巻いて、0と1がずっと流れているような感覚。

そういえば、最近、脳関連の本を買った影響なのか、何らかの心理が働いているのか、場が揺らいでいる。一途な小さな空間にいるような気がした。これは一つの詩であった。現実世界が、幻想であると悩めば、本当にそこにいるような感覚になった。

誰かが、涅槃したという唐突な声が聞こえて、その季節は夏に近かったそうだ。蝉はまだ鳴いていなかった。ミクロコスモスとマクロコスモスの関係のように、つまり内世界と外世界を繋ぐ確かな道のようなものが、極めて極端に繋がっていた。青年はキーボードを叩いてから、静かにその世界に入ったのか、それともキーボードがあるから、それを実在として認識したかの議論はわからないとしても、勝手な自己欺瞞の形式を取ることは無かった。

ドビュッシーの作品に心打たれた自分は、もしかしたら、想像上の棘や花弁、それから連なっている銀世界のような欠片に、何かを求めていて、何と言おうと想像力の限界を体験していたように思える。

世界の中には、浮かび上がる氷の女神が何度も何度も追ってくる。非常に言葉にしがたい表裏一体の感覚だった。雪に棘が小さく幻想を語り、その結晶は夜の訪れを願った。

叶った夢が、錯綜する中のほころびで、強い感性に叩きのめされた僕は、何を想い、感じたのだろうか。内世界に閉じこもっていた僕の世界には、雪崩が落ち、外世界では奇妙な現象が続いている。今初めて、外に出た引きこもりの少年が、規則のない模様にスティックにて、夢を飛ばすような感じがした。走り抜けても、駆けても駆けても止まらぬ視界の先の霧に、奇妙な虹のような、華やかな晴れ模様のようなラビリンスにでも入り込んだような強い眼差しが見える。

フロートかい?と誰かが奏でながら言った。音楽をわからぬ少年時代の輝きの間に、溶け込んだ音色が咲いている。それを両方の側面、小さな宇宙と大きな世界との境界の中で、垣間見た気がして、心もとない兵士は、勇敢になり消えていく。僕は、自分の少年時代の頃を思い出し、懐かしい風景に魅了された。何事にも一途に励むことが出来た夜、どこかで穏やかさが煌めいた夜に、発散できる帳があったことだ。そんな主人公を思い返すたびに、今の自分がどういう立場にあって、何をしたいのか考えるようになった。

錯綜という言葉は負の言葉ではない場合もある。そして、そもそも霧が晴れてしまう春のような天気の中で、シャッターが上がったかのように永い間、訪れを待っていた蝶々が、まるで折り紙を折るときに空想する世界のように、虚構と現実を見て、紙一重のところで強く結びついた。

ピアノやアコースティックギターの音のように、流れながら外に出たいとすら思って、深呼吸をすると、星屑たちがザッとよろめき落ち込んできて、雪崩の中にできる相似のように脳裏に強く描かれた。

僕は、こんな瞬間が、いつ起こり、何時に味合うことができるのかを約束として、その琴線の波長にとろりと寄り添った。

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