patercycleとは? (バイオ編 3)~いよいよ初ライブ~
前回はこちら→patercycleとは? 3(バイオ編 2)~初めてのバンド~
いよいよメンバーが揃い、初めての自分のバンドが組めました。おっと、その前にライブを手伝わないといけなかったんだった。
というわけで、続きをどうぞ!
波乱の初練習
ドラムのR君のバンドはギターボーカルのI君(どうも彼のバンドだったらしい)とキーボードのT君という人がいて、BEN FOLDS FIVEとミスチルの曲をコピーしました。
出来はあまりよろしくなく(^_^;)、ライブが終わるとそのバンドはそのまま活動停止に。
ラッキー?なことに僕のバンドに専念できることになりました。
さて、R君の所属していた某大学の軽音サークルでは定期的にライブもやっていたので、短大時代にできなかったサークルでのバンド活動にワクワクしつつ、どんな曲をやるかミーティングを重ね、いよいよ初練習の日がやってきました。
僕がスタジオに着くと、すでにドラムのR君とベースのIさん(年上)が来ていました。
セッティングをして3人で軽く音合わせをしつつ、キーボードのM君とギターのF君の2人を待ちました。
しかしスタジオの2時間中、とうとう彼ら2人は現れませんでした。
スタジオを出て連絡をしてもつながらず。その後も連絡しても返事はありませんでした。
いきなり波乱の幕開けに、「どうしたもんか・・・」と途方に暮れていると、ドラムのR君が
「サークルのA君とTに声かけてみようか」
と言ってくれたのです。彼はドラムの腕はそこそこでしたが(失礼)人柄が良く、鷹揚なところがあって、僕も「何とかなるだろう」という気持ちになり、お願いすることにしました。
次の練習では、そのA君とT君と5人でスタジオに入り、ようやくバンドとしてスタートが切れました。
A君にはリードギター(ギターソロ)を任せたかったけどあまり弾けなかったので、僕が歌ってソロも弾くという形にしました。
T君はR君と同郷で、先にベースでヘルプをしたバンドのキーボーディストで上手だったので、彼にもいくつかソロを任せることにしました。
メンバーが揃ってからは、僕が当時住んでいた四畳半の下宿に集まって選曲会議をしたり(最初はコピーからやろうと思ってたので)、バンド名を考えたり(マダムガイというバンド名でした。謎のセンス^^;)と段々楽しくなってきました。
そしてこのバンドで初のライブとなるサークルの新入生歓迎ライブに出演することも決まりました(R君のおかげ)。
コピーする曲は、The Velvet Underground,The Doors,Teenage Fanclub,The Jam,The Carsから一曲ずつ。
ベースIさんとキーボードT君は上手だし、R君のドラムも何とかなりそう。もう一人のギターA君にはリズムギターをやってもらうけど、ドラムとベース(いわゆるリズム隊)が出来ていればカッコはつくので、後はボーカルとリードギターの僕がしっかりしないとな、と秘かに気合が入っていました。
ボーカルが聴こえない
ところで僕はそのバンドでギター・ボーカルを担当しましたが、それまで人前で歌ったことなど一度もありません。
・・・あ、でも遠い記憶で3,4歳の頃、地元の小学校の夏祭りで櫓の上に昇って、沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ったらしい(記憶があいまい)ので、引っ込み思案だけど潜在的に目立ちたい欲求もあったのかもしれません。
歌うのは割と好きでしたが、中学の頃の声変わりをして声が出しにくくなり、音楽の授業で恥ずかしい思い(合唱の時に声が出てないと言われ、一人で歌わされたような記憶が…)をしてから苦手意識が芽生えました。
それを払拭したい思いもあったのかもしれません。しかし純粋に好きな曲を歌いたいという気持ちが大きかったと思います。
家で宅録してはいたものの、思い切り声を出したこともあまりなかった僕は、友人らとカラオケに行っても低いキー(原曲の1オクターブ下)で歌うことが多く、このバンドの練習でも低いキーで歌っていました。そしてそのキーが正しいと思っていたのです。
そして問題が浮かび上がってきました。
スタジオ練習を重ねていってバンドの演奏は出来てきたものの、ボーカルが聞こえないのです。
英語の歌詞をちゃんと覚えてないという事の他に、
まだ慣れていなくて大きな声で歌うことに照れがあり、声があまり出ていなかった事、
また、オクターブ下で歌っていた為に音の周波数がギターやベースと被って、声が抜けてこない。
結果、声が楽器にかき消されていました。
それでもオクターブ下が正しいと思っていたのには、僕の声質が細い方だというのもあります。
なかなかCDのボーカルの様には聴こえないので、低く歌った方が迫力が出るんじゃないか?と思ってそうしていました。
誰かボーカルをやっている人やボイストレーナーの人がいれば間違いを指摘してくれたかもしれません。
そして僕にはもうひとつ、ギターソロを弾かないといけないという課題がありました。
僕はどちらかというとギターの練習より曲を作るのが好きだった(…今でもそうです)ので、ソロの練習にも時間を割かないといけませんでした。
あ、そして実はこの頃前回書いた「ベースを弾いてほしい」と頼まれたバンドも並行してやっていたので、バンドを掛け持ちしてたのでした。
(↑ていうかそれが一番時間を取られる原因じゃないか!)
なんというか結構頼まれると断れないタチで(借金以外は)。
そして運命の初ライブ
まあ、そんなわけで初めての自分のバンドの初ライブのくせに、「始まる前から既にいっぱいいっぱい」でした。
結果、僕のバンドの初ライブは失敗だらけに終わりました。
ギターで入るタイミング間違えて2回もやり直すわ、
声は聞こえ辛い上に妙に野太い(オクターブ下だから)わ、
取り返そうと思って妙に力んでしまい、アンケートに
「バンドは良いのに、ギターボーカルがぶち壊してる」
などと書かれる始末・・・。
せっかく8バンド中6番目という良い出番をもらえたのに・・・。
先頃亡くなられた、ノムさん(野村克也氏)じゃないけれど、
「負けに不思議の負けなし」
ですな。
失敗には原因がある(つーか、原因だらけ)。それがこの時学べました。
ノムさんの本、読んだことないけど読んでみようかな。
というわけで続きは次回!(いつかな・・・)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?