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神々の山嶺 マレーシアキナバル

『キナバル』は
ボルネオ島北部、
マレーシア領サバ州にある山で、
標高4000mオーバーの頂は
マレーシアの最高峰だ。

日テレ『世界の果てまでイッテQ!』でも
女性芸人みんなで登っていた海外登山入門編。


山を始めて間もなく、
自分はその頂にいた。

楽しみにしていた海外初登山。

ボルネオ島に到着した時は、
まだ天気は良かった。

しかしその日の夕方から何やら天気が怪しく、

夜には街の樹木が、
暴風雨により荒れ狂っていた。

翌日の登山を「ないな」と判断した我々は、
翌朝ゆっくり起きるつもりだった。


そして朝。

「GO!!」
と現地ガイドに起こされた。

「登る」と言う。

外は変わらず暴風雨だった。

(ウソだ、、、死ぬぞ。)

そう心の中で思いながら、
(仕方なく)ガイドについていった。

現地ガイドは、
穴の空きそうな白いスニーカーに
(むしろ空いていたかもしれない)、

ジーンズ、ヨレヨレのアウター、
「DOVE」という文字と、
「白いハト」の絵が描かれた穴の空いた傘、、

その出で立ちで、
先手を切って歩き始めた。

(ウソだ、、、死ぬぞ。)

そう心の中で思いながら、
山を登り始めた。

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一日目、命からがら
標高3200mにある山小屋に到着した。

本来なら熱帯雨林のジャングルの中を
熱帯植物を愛でながら歩ける行程のはずだが、
暴風雨の中では、
もはやその魅力も忘れ去られていた。

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山小屋に着いてもガイドは普通だった。

登山者らしからぬ格好なのに、

暴風雨の中を登ってきた標高3200mで
どこも何ともないですよ、
という顔をしていた。

スゴすぎだ。

山小屋に着いてすぐご飯を食べた。

山小屋はもちろん相部屋で、
一部屋に2段ベッドが2つあった。

自分たちは、
フィンランド隊の中の2人と相部屋になった。

なぜキナバルを登りに来たのかとか、
山について、今後の登山の展望なんかを
その2人とずっと話していたのをとてもよく覚えている。

フィンランドの2人は満面の笑みで
「明日がとても楽しみだ」
と言っていたのもよく覚えている。

山の夜は、すぐに電気が消える。
20時には既に眠っていたと思う。

そして、夜中2時に出発した。

まだ、暴風雨の中だった。

山小屋を出発して、真っ暗闇の中、
ヘッドライトで照らしていても足場が悪く、
一歩一歩その足元を確かめながら前に進んだ。

キナバルのてっぺん付近は一枚岩で、
水を吸収しない。

降りつけた雨は、
容赦なく足元を洪水の如く伝っていく。

登山靴の中は雨水を蓄え、
もはやその重量で、尚重くなっていた。

手も足も、濡れてかなり冷えていた。

手袋をしていた手は2倍くらいの大きさになり
内心「ヤバイな」と思っていた。

『キナバル』そのてっぺんに近付くにつれ
暴風雨は加速するばかりで、

辿る鉄の鎖は、
2倍になって感覚を失いかけている両の手を
すり抜け、

岩肌に立つ雨水を含んで重くなった両の足は、
バランスを失い、
踏ん張りがきかなくなっていた。

何度も何度も岩肌に体が打ち付けられた。

先発していた
フィンランド隊やロシア隊も、
「来年また来る」と言い、
渋い顔をしながら引き返して行った。

韓国から来たというBoysも、
「無理」と言って帰って行った。

そんな中、

終始「大丈夫」と言って先頭を切っていた
無茶なガイドに連れられて
自分たちはその頂に登頂した。


その日、
約200人がキナバル頂上を目指した。

登頂したのは、
そのうち、5人だけだった。


下山後聞いた話、
「この暴風雨は、数十年に一度の台風だった」と。

途中、
何度も「死んだ」と思う場面があった。

でも、死ななかった。

山で300m滑落した時も、
自分は死ななかった。

エベレストで凍傷になった時も、
手足を切断するまでに至らず生きている。

何かに守られている気がする。
目には見えない、何かとても大切なものに。


晴れたキナバルのてっぺんを
自分は知らない。

でも、それでもいいと思っている。
生きて帰ってこれたことがすべてだから。

生きて健康でさえいれば
また登ることができる。

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この10年の間に、
日本百名山を踏破し、
世界最高峰を6つ登った。

あと、ひとつ。

エベレスト、その頂に。
今度は無酸素でも、絶対に下りない。



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